できごと

慈しむ気持ち

自分をいとおしむ

私は里親さんという言葉をお守りのようにして毎日をすごしてきた。自分が何もできなかったことや、こうであったら、と思うことがある。小さな子を慈しんで育ててくれる里親さん方と、育て親を探す方たちがいるのを知ったことは私の人生で大きいことだった。…

砂浜で小石を拾いたい

自分のあるいは誰かの自殺について考えるとき、非常に苦しく、果てしなく苦しく、全ての人が何か個人的に軽くない悩みを苦しむのだろう、それなら一体どういうこと?と思う。 わたしだけでなく全ての人が、このように個人的な苦悩を苦しむと思わないとやって…

いつか吐き出しをやめ、ゆったりしたい。

いつかしばらく経ったら吐き出しのような語りをやめたい、ゆったりのんびりしたい〜と思っている。時々、私のせいであの子たちが、という気持ちになる。 早く知らせて欲しかった思いがあってブログでは、大人の私から子どもの私へ、子どもの私から大人の私へ…

里親さんへの思慕のイメージ

たぶん私はまだどこかであの施設に居るのだと思う。 私はイメージする(思慕する)、 ある子が、あたたかで、人生の良さも知ってて、「助力者としての大人」(養護児童の声p172)として共に生きてくれる養育者のもとへ行ける事。 小さな子が里親さんのも…

私の暗い深い闇のところが癒える

子どもの頃のことを決して語らない、これが最優先なことだった。 本当に遺棄された子、人間がいるところでは、なぜこの人間が生まれここにいるのか、本当にわからない。 知的の重度と呼ばれる人への安楽死についても連想したことがある。たぶん私の過去の、…