できごと

里親さんへの思慕のイメージ

 たぶん私はまだどこかであの施設に居るのだと思う。

 私はイメージする(思慕する)、

 ある子が、あたたかで、人生の良さも知ってて、「助力者としての大人」(養護児童の声p172)として共に生きてくれる養育者のもとへ行ける事。

 

 小さな子が里親さんのもとへ必ず行ける事・・・。

 

 30歳前後まで、自分より小さい年齢の者たちのことまで思おうとするゆとりが生まれてこなかった。私はどれだけ、小さい子ども達を蔑ろにしていたかを内省する。

 

 私には強い思慕があって、あたらしいふれあい2のp180『C子の実母が、手元で育てられないから、養子縁組で誰かに託したいと言ってきたので、里親を求めることになった。D夫妻は緊張感の高いC子を何の苦労もなく育てたという。苦労なんて途中からの育児だからあたり前という覚悟と、苦労を楽しみに変えてしまう柔軟性ゆえのことである』このような里親さんのことを、ずっと、ずっと想い描き、そのイメージで生きているところがある。

 世の中には、しっかりした、内面的にも豊かなのんきな大人がたくさん居て、私の魂の中に残るあの子のような子も、まずまず、ぼちぼちっと育ててくれるだろーと、つい、思慕のイメージを湧き起こす。