できごと

子どもだけの建物では、子どもの無惨は、自然な日常だった

あの子どもだけの建物では、子どもの死は、太陽が昇って沈み、また昇るような、自然な日常だった。

それは・・・・・・、たぶん、わたしのおもう死と無惨は、まじかだった。

だから、わたしは

太陽は本当にまた昇るの?なぜ?と考えたりしなかった。(考える学者もいるだろうけど

太陽は昇り、雲は流れ、また太陽は沈んで、昇った。それの何が疑問だろう?

でもいつしか何故か考えることができるようになった。
子どもの死が、無残なことが、太陽が昇って沈むようなごく当たり前の悠々自適な日常であったのは、おそろしい、くやしい。

わたしはこんな感性の子だった。

安全になり、正しく苦悩できるようになれたこと、本当に良かった。

苦悩は、良心があらわれてくれたのだと解釈してる。

神々に感謝します。

学園(施設)を改善したいと活動して下さる方に1つだけ頼めるなら

 一つだけ、学園(施設)について改善したいと行動して下さる方にに頼めるなら、意見書を人権系センター・市民系センターへ配って下さい!!とお願いすると思う。そして養護施設に関する広報DVDを人権センターへ置いてもらってほしい(2つ願ってしまった)。子どもの虐待DVDは多く置いてくれてるのに養護施設について語っている啓発DVDがほぼ1つもないのだよ!!!!

私は怒っている。
 比較はダメと思うけど切磋琢磨的な意味で言うと、会員がたしか数百の「多文化共生センター」、ここは機関紙が施設関連のものより自由に発信され個人情報も守られ地域に置かれているし、「隣に生きる外国人」というような多文化に関する啓発DVDもセンターをうろちょろしただけで、ふっと目につく。でも施設にかんするDVDは、うろちょろしただけではほぼ決して見つからない。しょーじき、人権系のセンターが、そういう情報を自ら、学園について活動する団体へ連絡をとって集めようとしないところに特に怒りを感じる!!!!うおおおおお!(すみません)とにかく養護施設があることすら一般市民は意識にない木すらするので。

 

 理解に苦しむ・・・とか言ってちゃ、私は本当にダメ、、私は真剣に、お願いしたいと思います。1日中、土下座をしてお願いしたい気持ちがあります。学園(施設)に関する啓発DVDを、人権に関するセンターへ配って下さるように。学園についての意見書を、人権に関するセンターや大きい図書館等へ置いて下さいますように…。何卒、何卒、お願い致します。

 

(施設の単語を言うのが個人的に苦痛なので、学園と言い換える事が多いです。すみません。)

乳児院や施設の子どもが気になる方。機関紙「あたらしいふれあい」の購読会員になって下さい。

 あらゆる市民の方。不妊の方、LGBTの方、色んなご夫婦の方。乳児院や施設の子どもが気になる方、人権・平和・子どもの権利・子どもの暮らし・人間の一生などに興味のある方、とにかく読んでみたい方、なんとなく気になる方。

 

 大阪の家庭養護促進協会から出ている広報機関紙「あたらしいふれあい」の購読会員になって下さい。


 家庭養護促進協会さんは、日々、乳児院と施設に居続ける小さな子どもにあたたかですてきな親御さんを探す活動をしており、毎月の活動を「あたらしいふれあい」に載せて発信しています。小さな子どもさんに良き親御さんを探す活動は全国にあると思います。その中でも、家庭養護促進協会さんの機関紙「あたらしいふれあい」は、個人情報に配慮しながら、その月の活動のまとめを丁寧に書いて、市民に知らせている広報紙だと思います。

 

 色んな団体の方にも購読をおすすめします。幅が広がるし、身近な方や不妊のご夫婦さんや、必要な方に、情報をお伝えすることができるかもしれません。様々な活動がありますが、特に1つ購読会員になるとすれば、「あたらしいふれあい」をかなり勧めます。ぜひ考えてみて下さいね。

 

追記:

 2015年の秋ごろまで、わたしは子どもだけの建物がそうであることを、自然だ、仕方ないと思っていた。なのであまり辛くなくて、希みがなく、希みないままに生きてた。建設的な活動をし続けている大人達のことをその頃やっと知り、はじめて辛くなり、同時に希みをもてました。

施設で小さな子の無を垣間見ること

過去について。そばに沢山の小さな子が居た事とは。

 

 私のそばに小さな子達が居続ける事は、(別に里親になろうとしてたわけじゃない子どもの)私にとっては毒でしかなく、年下の子に対し排除的な思考しかなく、どうあがいてもあの子にとってこちらは加害者でしかなかった。このことがおぞましい。これに関してだけは、考えてくと私は自分の存在を滅ぼしたくなる。

 

 ほかの年上の子ども達がこういう感じだったとは決して考えない。特に私にとって、小さな子が、その無が、脅威で、害で、私は罪人だったのだ。

 

 私は、知っていた。たぶん・・・・・・・。その小さな子が遺棄されていて、生まれてもいないかのように、何をしても・・なんでもないとされるだろう事・・


 たぶん、施設には乳幼児からいる小さい子がいて、虐待受け続けた大きい子が入ってくる。大人の里親さん養親さんでも、捨てられた小さな子と絆を作っていくのは戦いになる。それなのに、要養護児童の小さな子と、大きな子をいっしょくたに入れたら、戦いが起きると思うのは、自然な考え方にも思える。


 小さな子は遺棄されていて静かで、大きな子は傷で苦しんでいる。2つは根っから別問題で、大きな子を、ミニ里親さんのようにしてはいけないと思う。大きな子は、小さな子がずっと施設で遺棄され続けてることへのショックが、自覚的にしろ無自覚にしろ、あるのだと思う。

 

 里親さんや固有の大人ががんばって、小さな子を慈しみ育てるのとは違う。大きい子は有無を言わさず、小さい子と過ごさなきゃいけない。それは大きい子に加害者になれと言ってるも同然と思った。


 里親さん宅でも、実子がいたら、実子をスタッフのように使わないように、と考えられている。もしも施設の中で小さな子や希望するあらゆる子が里親さんのもとへ行く事についてもっと考えられていたら、きっと大きな子達や、里親の元へ別に行きたくない子どもにも、それは良い知らせだと思う。小さな個人の存在と個人個人の事を考えてくれてる事だから。


 里親さんが、里子さんを見て虚無を感じ、心を砕き、苦悩を重ねるのと同様、施設内で大きな子も、小さな子の虚無を見てしまったら、苦悩すると思う。

 

 正直、わからないの、こうやって書いていても・・・何が何なのか、どういうことなのか・・・。わからない。理詰めで語れなくて、がくがく震える感覚のままに、書いてる。

 

 今回は特に私の暗さを書いたので、読んでくださった方ありがとう・・・。書いてる理由は、吐き出しと、発信と、そうせずにはいられないから・・・という感じなど。重い表現などでもし悲しませてしまったら、すみません。

 

季節里子になれなくても成人して里親情報を読むことはわたしを解放に導く

 

事実を、情報を求めてた。

 そういえば、わたし、漫画で施設に捨て置かれる=施設に買われる虚無の赤ん坊をメインテーマにした漫画を読んだことない。小説なら、ゲルマニウムの夜がいちばん、本質、真実をかいてると思うけど。基本、文章をあまり読めないので色んな漫画や本自体知らない。

 漫画「残酷な神が支配する」も性犯罪の絶望をはっきり描いてる点ですきだけど、寮内での話はあっさりしてた。外国で、主に義理の父との話。区分けするならステップファミリーなので、世のステップファミリーさん達にはきつい話なのでは・・・。というかわたしは不特定の人に対して震えたから、特定の大人からの話ってのは、わたしにはきつい話。

 ゲルマニウムの夜はキリスト系施設内身体暴力・性暴力・精神暴力・ありとあらゆることを、しかも日本を舞台に描いてるから、わたしはつらい時、枕元に置いて眠ると楽な本。施設内での実状がこれほどわかりやすく書かれた小説形態の本はないのでは?と思う。それがすべてではないんだろうけど著者は学園出身で。わたしがこの本に思い入れがあるので、学園内で他の子が体験したものを、外に出せる形態で、語ってくれている感じがする。

 

過去を回想すると


あの小さい子(複数)は、わたしにはなんのかかわりもない。
どーあがいても、あの子が捨てられてよーと餌食になってよーとなってなかろーと
笑ってても泣いてても叫んでても平坦でも
わずか数歳でも、なにがあったってなくったって、わたしには通りすがりの子。わたしは通りすがりの空気のような他者。久しぶりに泣いた。あの子は生きてるのかな?どこでどうしてるの?わたしが怯え続ける対象には顔が無く名前も無い・・・

2016.4.27

 

追記

それでも・・・。


里親に関する機関紙を読むと。


読むだけでも、とても嬉しくて、・・・

子どもの頃になにも知る事の出来なかった自分と、連鎖について、小さな子のこと、いろいろ、いろいろ考えるからつらい。

誰もはっきり教えてくれなかった世の中がつらい。

でも基本は、うれしい、

だってやっと、なにも知らなかった世界を脱して、ここに来れたんだもの。

 

わたしにとって機関紙を読むことはそれだけ大きいこと。

2016.4.29

いつも、里親さんについて隠されてない世界だったらと希求してる

倒れてる女の子がいて、誰かが来てくれてその子を助け起こしてくれて
もう倒れてなくてすむように、そこから出してあげてほしい

という空想がある。

誰かが、小さい子を、ぜんぶ出してあげてほしい

倒れてる子を出してあげてほしい

餌食になり虚無が続いていく子どもを出してあげてほしい

保護された子どもはいいんだけど、

そこより別のとこへ行きたいってなんとか言おうとしてるタイプの子は誰でも

もっと・・・・なんとか・・・・・。


愛の手欄(子どものあたたかなあたらしい親御さんを広く求める新聞の欄)で

5、6歳の子を紹介してくれるたびに思うの、

ああ、私は5、6歳を大きい子と思ってたけど

愛の手欄での紹介があるような年齢でもあるんだと。

 

 私のような、一時期だけ建物に入って小さい子が多いことにびっくりした子で、いつか、里親家庭について詳しく知って情報を広めたいと思う子も増えると思う。私は実は28歳でやっと、ああ、里親家庭について知りたかったんだと把握した。23歳ごろから里親さんという言葉はある程度目にしていた筈なのだけど、なぜだか、実際の活動があるサイトまで決して行かなかった。検索する気になれなくて。なので活動や団体を一切知らなかった。意識に入ってこなかった。活動がある事を把握したのが、28歳。私のターニングポイントになっていると思う。私は自分が一時期すてきな家庭で休みたかったんだと把握。というか、建物内に里親さんの情報もあり雑談・対話もあり情報がオープンならば、そこにいてもまずまず気楽だったかもね。

 何か私のブログが気になるような人がもしいるなら、里親さんの団体の活動を検索して知って下さい。
「あなたの愛の手を」欄など、色々検索してみて下さい。

 知りたかったことを早くに知れるかもしれない。この誘導文は、私がなぜか23歳頃から里親さんについて言葉は聞いていたにもかかわらず、苦心しながら、確実な良き後ろ盾となってくれる大人を探し、かつ実親さんのことも考え、とにかく懸命に、すてきな活動をしてくれている様々な団体さんのことを知ったのが28歳と、かなり間があいているからです。

里子さんの立場から描かれたビデオ「子守歌が聞きたかった」

時々思うの、自分の痛みを書いて、私の何になるのかな・・・。と。

できるだけ、痛みを書くなら、昔はこういうところがしんどくて、

子どものわたしはこうだったらもっと良かったと思ってたし、

わたしたち大人はなんでもできると思う

すでに色んな活動がある

という起承転結で話を書いて行けたらと思う。せっかく良い取り組みが実はたくさんあるのだし、

そういうのを取りあげて書いて、自分で覚えておかないとね。

 

------------------------------------

 

 里子さんの立場からつくられたビデオ「子守歌が聞きたかった」を埼玉県の図書館内で視聴してきました。

 県外から埼玉県立図書館へ訪れたのだけど、数日ですばやく取り寄せてくれて観に行くことが出来た。

 内容は、美容師さんになった里子さんの小さな頃からの回想。実体験をもとに描かれてる感じだった。

 劇団のこととかは全然知らないけど劇団ひまわりの名がエンドロールに出てきて、アニメにもなった少女漫画「こどものおもちゃ」でたぶんその劇団ひまわりをもじった「こまわり」が出てきてるから、知られてる劇団の人が出て、里子さんについて演じてくれたんだと思ってびっくりした。

 私の知らないところで、きっと色んな人が小さな子たちの事を考えてくれて、この映像のモデルになった里子さんもきっと思うところがあって、それで形になって、私のところにも届いたんだと思った。いいな。できたその年に、わたしたぶん子どもだったけど観たかったな。

 今回はじめて観れて、本当に嬉しくて有難かった。こういう映像があると知ってからの行動は早いの。今月だったと思う、知ったのは。

 ひとりの里子さんのエピソード、色んな出来事、気持ちと意志。序盤で歯医者さんに実親の姓を呼ばれて、ちょうど一緒に居た同級生に知られるシーンがあった。実際にこういうシーンがあったのだと思う。「どういうこと?」「聞きたい?」ってなって、どうなるのか息を詰めて見てたら、同級生の子が寄り添って話を聞いてくれて、そこもとても良かった。

 私はこういうビデオ映像を今まで知らなかった。
 こーいうブログで、どこまで、何を書いていーかわかりにくいし。実は情報や映像はひっそりと多いようだから、どれを紹介しよう・・・みたいな感じもあるの。 

 私は里親さんになりたいのじゃなくて、季節里子になりたかった気持ちを引きずってます(ちょっと違うかな・・・あの時期一人で安全で静寂な旅館にいたかった、という感じ)。「子守歌が聞きたかった」はネットのいくつかのページで知りました。こっそり映像を観て癒されていたい気持ちもあるし、もし子どもの私のような存在が1人でもいるなら、こうやって発信して伝えたい気持ちがある。実際、私は書いて子どもの私へ伝えているのだと思う。

 今回はビデオ「子守歌が聞きたかった」をご紹介しました。
 借りられるところがいくつかあると思うので、よかったらぜひ。

子どもの頃に里親さんについてもっと知りたかった。私の居た場所は煉獄で修羅場で淵みたいに空っぽだった

状況

 どんなにいやでも、どんなに身体的な性的な精神的な喧嘩があっても、私のような児童生徒がそこから出たいと言えない環境にいた。

 いやだという思考を忘れる環境にいた。小さな子はクールで大人で、何かされていたとしても、傍の私のほうが怯える状況だった。

 

 幼児は3歳までだと思ってた


 検索したら、小学1年に満たない子は幼児とあった。5~6歳まで幼児だったとは。私は幼児を35歳だと、そういう表情で暮らしてるから35歳以上だと思ってたのだ。身体の歳はスルーし、精神年齢、表情の見た目年齢をみてた。

 

 10代前半ごろの私より5歳ぐらいの者のほうが実際、大人びていた。あの者たちは、何事も動揺せずにこなし、大人のかんしゃくもキレイにやり過ごし、泣かず、物を盗られたり周囲が犯罪的に騒がしくても通常運転で、本当にすごく大人だった。

 でも5歳だったのだ。やっとわかった。私は見たくないから、子どもの沢山いる建物の中の5歳ぐらいの者たちを幼児と呼ばず、者と呼び、35歳だ、誰よりしっかりしてるなどと無理やり考えてたのだ。

 いまも油断すると、35歳以上だからいいの!という空想に引き込まれる。実際にあの子達が幼児の年齢だってことを忘れ、本気で年齢不明になる。

 

 小さな子のことを考えたらどうなるか


 小さな子のことは考えたことが無かった。小さな子にもしも心を痛めたなら、その建物の中で私は苦しまなければいけなかったから。苦しむのが苦痛だから、年長者だけど私だって子供なのだ、小さな子のことなど知らない、と考えていた。それ以上考えられなかった。私は小さな子を虐げる子どもや大人を見て見ぬ振りした。

 

 いまは、とにかく小さな子どもたちのことも考えたい

 

「小さな子ども」などと書くことに脅えがあるけど仕方ない。

 特別養子縁組可能な6歳未満の子は、学園に居続けるのなら、いつも社会の大人達に、養子縁組を前提に考えられていてほしい。

 乳幼児が、傷ついた18歳ぐらいまでの子たちの中で過ごし続けることが、どんなに危険な事か。やっと朧げに感じてきた・・・

 


 特別養子縁組はあらゆる子どものための法だとも聞いた。そうであるなら20歳までを特別養子縁組可能にしてほしいという言葉もどこかで読んだことがある。

 養子縁組のほうが(どちらかといえば)しやすいが、いつも特別養子縁組・普通養子縁組が難しい、実親がいるとされる放置され続ける子どものことが難しい問題になっている、でも本当にその子だけのあたたかなお父さんお母さん…里親さんが必要なのだ、という言葉も。

 

 子ども個人個人に合った取り組みがより広がってほしい。短期学園入所者には、家庭復帰のための多様な取り組みも、私が知らなかっただけでこの社会には沢山あるそうだ。もちろん学園をもっとしっかりちゃんとしたものにしていく取り組みも。地域社会に知られにくいけど探せばあるようだ。

 


施設学園へ行きたかったけど行けなかった子ども、

里親さんを嫌だと言っていないのに来てくれなくなったと語ってくれた子ども(書籍あたらしいふれあい4編 参照)、

施設学園と里親制度とこの地域社会の不備により、行きたくない所へ行かせられ、逃げ出す手立てももてない子(これは施設のことも里親のことも指す。丁寧に聴き感じとる手間を惜しまなければ、社会がちゃんとしていたら、施設に放置され続ける子もへんな里親の元へ行かせられる子もいなくなると思うのだけど)。

 そういう苦しむ子がいなくなってほしい。

 
 自分のことをまず語れたら

 
 私は私のことをまず語りたいし、私のことしか語れないと思う。建物/学園に居続ける小さな子を、虚無を、見続けるのがショックだった。どうしても、小さな子がどうしたいかは私には語れない、私が語れることではないと思う。

 でも私は育ってから、小さな子・乳幼児の施設放置は子どもへの重大な侵害で、あたたかな新しい親御さんを探す取り組みがもう長いこと着実に行われていたことをやっと知った。あの幼い頃の私はこれを知りたかった、子どもの頃に会報を機関紙を読み、大人とこのことについて丁寧に話したかったと心から思った。それに、里親さん養親さん候補がたびたび来る建物なら子どもたちは小さくてもちゃんとわかって、自分のお母さん(候補)はいつ来るの?と言いやすくなる。

 

 子どもの私がまだ知らないことが多いので引き続き伝えてく、子どもの頃の私へ。 

 

2016.4.3~5

 

 ・・・・・・・


 学園での私の犯罪を忘れない。

 施設は小さな子や私のようなタイプにとっては圧倒的な闇で虚無だ。

 あらゆる煉獄、修羅場があって、淵みたいに空っぽ。あらゆる闇は湧き出て逃れられない。

 

 大人になってからだと、すでに遅い。

 里親さんのことを知りたかった子どもには戻れない。

 里親さんのことを知り、学ぶ事が出来るのは、

 里親さんになりたい大人だけ。

 小さな頃に知りたかった、大人になってしまったただの子には、里親さんについて詳しく知る事が出来る場所は、もうどこにもないのだ。

 昔子どもだった者が、学園に里親さんの情報やパンフや映像をバランスよく置いてほしいと述べてもそれは、すでに手遅れだ。

学園に一つ、広報映像。

学園に一つ、里親会報。子ども・地域・人権センターにも一般家庭にも図書館にも。私はこれを願っていくと思う。とにかく子どもの頃、要所要所で、そのどこかで知れたら、あの罪を・・・なしにできたかもしれないから。

家族づくり~子供たちと里親の一年(関西のMBSで放映)

☆彡お知らせ☆彡


http://www.mbs.jp/

ここの左上の番組表ボタンをクリックしてください。

2016年1月22日(金) 10:05~11:00

第11回日本放送文化大賞準グランプリ映像’15
家族づくり~子供たちと里親の一年

親と暮らせない子どもを育てる里親として40年間で80人近い子どもを育ててきた老夫婦の日常~ある里親と子どもたちの泣き笑いの日々を見つめる

が放映されます。

関西地方にお住まいの方お出かけの方はぜひ。

養育家庭を子どもの頃に知りたかった気持ち

2015年12月後半あたりに書いたメモの引っぱり出し。

ブログ記事にしといたら、メモの場所を忘れずにいられるかな?と。

 

あの場所でこわれる自覚と、養育家庭を子どもの頃に知りたかった気持ち

 

 とにかく、子どものわたしが里親制度について知っていたって良かったよね、知っていたかった。子どものわたしの気持ちは安心でき、ピュアで人間的な気がする。

 

 短期で子供100人の場所に居ただけでも、ほんとに子供が、どのぐらいのスパンでそこに居続けるのかわからなくても、わたしは、そこでこわれることを意識した。そのためにこわれない手段を用いたり策を弄したり恥じ入りながら必死になった、そのような覚悟が要ったのはもしかしたらはじめてだった。

 

 だから、短期だけのわたしが、そこにいた5、6歳?の人達の事実を知りえなくても、ここに小さな子がいていいのか?ここに居続けていいのか?と悩み続けてもいい思う。

 

 罰のための部屋があったり、子供同士「やーい、そんなことしてたら罰の部屋行きだよっ」と言葉を交わし合う建物。暴力のある、建物。たとえ暴力がなくても、無機質。

 私は外の世界で大きな加害があって→家でパニック&沈黙→子供だけの建物へ入った。なのでちょっと建物の中で浮いてた。一般家庭や地域市民の様々な仕事の場や通常の地域社会には、罰のための部屋や体罰はないことに改めて気が付いた。外の世界から急に私の前に現れた大きな加害を、一般市民の私の親がケアするのはそうとう難しかったと思う。

いま、村上春樹が何人かの仕事仲間と、サリン事件に遭った人の話を綿密に聞いて録音をテープ起こししたものを丁寧に載せている本「アンダーグラウンド」が手元にある。「取材に答えたいのだけど、家族や周囲にとめられた。巻き込まれるのは大変なことなのだと家族は言う」というような話が「はじめに」に収められていた。私の家族も、私のであってしまった外での加害について、とばっちり感があった。私は私の家族が、この地上に生きる市民として、里親制度について何も知らなかったことに怒りがある。そして私も何も知らなかった。

 

 わたしは子供個々人の要望を決める立場にないし、子供多数(100人とか)の入る建物と里親家庭、どちらの情報もより多くあってほしいと思う。 

 

 あの場所に居続ければ、殺伐の渦中で、視界に入る小さな児童への通常の気持ちが、しだいに荒れ果てた、ここに居ればこうなるのはごく自然だ、当然なのだ、という心に組み変わっていく。悲鳴、傷み、怒声、力などに感じるものがなくなる。そうなっていく時の、脳が組み変わるこわさ、興奮と、やさしい落ち着き感、いまではそれが脳内麻薬が出て麻痺に至る道とわかるし、

つらくてこわい。   (希望は、こんなこと前は一切言っちゃだめと自分を断罪してた、今は書いてるってこと。


 やっと最近はゲルマニウムの夜をある程度読んで、わたしが居た、子供が居まくる建物で起こった事のこわさがわかった。この本は5年以上は目に入りながらも、避けてしまってた。
 そのような事が起こる建物だけは嫌だ。安全な建物に居てほしい。安全な施設とは、

 里親家庭についても情報が豊かにあり、小さな子ができる限り早く里親家庭へ行ける、

 実親家庭に子どもを戻せる支援をしつつ、平行して里親家庭へ行けるように支援しながら、一定期間を超えたら里親さんの元へ行く支援に切り替えてくれる(必要なら実親さんに、子どもが学園で暮らし続けるのは社会的な放置であって、もし子どもさんとの繋がりをもっていたいなら、逆説的だけど、養育家庭へ繋げてくれること。これが子どもさんの心を守って、しだいに実親さんのことも考えられるように育っていく。里親の元へ繋げることは、実際には、実親家庭との繋がりを守ろうとする実親家庭支援なのだと真摯に伝えてほしい)、
長期入所者のいない建物だと思う。

小さな子への連鎖。(起きて少しだけ考えます、その後日常に戻ります

きっと沢山の人たちが小さな子どもについて考えて行動している。
でもまだまだ、子どもの私が情報を得られるようにはなってない。
あの敷地内であの5~7~8歳ぐらい?の子どもに群がる、同じぐらいの年の子たちと、
その周囲のもっと大きい子ども達。

乳幼児が、小さな子が、傷ついた沢山の子ども達の渦中にいるよりあたたかな家庭で育てられる事を
たぶん、わたしはもっと望みたい。誰かと話したい。ひそかにでもいいから
あの小さな子を小さな子どもとして感じる心をとにかく無くさず、捨てずに、もってたい。
それはくるしい。やめたいようなくるしみ。

私は一時期、子どもだけの寝泊りする住みかに居ただけ。
それでこれほどこのように苦しむのは、よくわからない。その子のことを忘れればらくになれるかもしれない。自分を守り生きるために、夜は熟睡して昼は通常通り日常生活をすごして、とにかくあの小さな子どもに対する私個人の思いを守ってる。ほんとにわすれたい。

なんにもなかったと思うけど今でも危機感が残ってる。怒声と叫び声と泣く声、マリア様の名前を繰り返す子どものロザリオを抱きしめる微かに鋭い音、泣き声と混じる笑い声と嘲り、放っておこうよという声、

夜静かになっても、こわかった。女の子6人部屋でわたしは年上のほうだったけど、こわかった。自分への危機感もそうだけど、なにかあれば私は年下の子を売っただろうから。それができるのは年上の子どもだった。(できないって言われそうだけど、大人→年上の子→年下の子→幼子の順に連鎖があったりするから)
しかもその時は自分の年上だということに無自覚だった。なにか私があの建物の中でしていても、いまも無自覚だったらどうしようって思いがあるし。圧倒的に年長者は強いし、大人は強い。ちいさな子どもはかなり弱くて、わたしはとてもじゃないけどあの場に居た幼い存在を優しく守り抜けなかった。下手したら盾にして走り去りそう。
罰は、言い逃れが下手な子や幼子が受けることになる。連帯責任の時もあるけど、うまくやれば逃れられる。方法をいくつかやって私は、逃れてた。そのたびにほかの子がされたのだと、認めたくないけどどこか印象を覚えてる。書けない、わかってる。書けるものならすでに無くなってる。神様。

わたしにも里親の可能性があって良かったことと、地域での情報の少なさ

 わたしに短期でもフォスターケア、季節里親、レスパイトの可能性があって良かったのだと今頃になって知った。いまもわたしはそれを認めにくい。子どもの頃その可能性を知らず、他の子どもの可能性としても何も知らなかった。里親に関する情報を今になってやっと少しずつ知っている。


 地域に生きる一般の人として、わたしは7歳やもっと小さめな頃から、地域の里親家庭という存在についても身近に知っていても良かったと思う。そんな風に自由に知ることのできるもの、選択可能なものとして、実際に存在するあり方として情報が身近に存在することで、里親家庭の人たちを実際に知っていたかった。そのようなことが実際に地域で語られていてほしかった。

 わたしは大人になってから、やっと里親家庭、里親制度、養子縁組、養育家庭、季節里親、里親の体験・お試しなどを知った。

 子どものわたしはきっと児童館で、里親の情報を見たかった。図書館や地域センターで、里親に関する情報ちらしを見つけたかった。学校でも情報源やちらしコーナーがほしかった。1つもなかった。わたしが遊んでいて生活している範囲には決して、大人たちが里親について考え語り発信している実際のあり方は、なかった。

 わたしには里親制度に関するあらゆる情報が、たとえば「女性の生き方」「子ども虐待について」「セクシュアルマイノリティについて」「あらゆる差別問題」「シングルマザー」「シングルファーザー」「親サロン」「過労死について」「世界の貧困の子ども・戦争」「国連が勧告する人間の権利」などの情報と同じぐらい、地域に満ちてほしいという願いがある。

 男女参画センター(人権について一番豊富なので人権センターと勝手に呼んでる)へ行くと、上記の情報は満ちている。地域センターにだって多い。1つだけないものがある。里親に関する情報ちらし、パンフレットなどを男女参画センターで見たことは、数十か所で1度もなかった。あらゆるひとと子どもの権利を守ろうと活動している男女参画センターにも。
(最近、1か所の地域センターと1か所の人権センターで2種類の里親関連のイベントちらしを見つけて嬉しくなった。その前は15か所ほど人権センターへ行って里親関連は何も無かったから。人権センターに記されていたあるセンターには複数の里親関連ちらし・パンフレットがあった。流浪してやっと見つけた)

 一番気にしていることは、里親の情報をわたしが大人になってから知った事実。こんなに情報が少なくていいんだろうかというような。
 子どもだけの寝泊り場に一時期いただけで、疑問がいっぱいになった。あっけらかんと子ども達が集団で生活して寝起きしている事…。短期で過ごすのもつらい場所だと思った(個人的意見)。ごく自然に起こる暴力はさりげなくて、気ままな暮らしだった。盗みも、暴行らしきものもあって、スルーされていたと思う。記憶の中では小さな子どもが小学生か幼稚園児か分からないシーンもあって、自分の感覚がいまいち把握不可能。ここは、適切な場所のはずなのに、なぜわたしは、重大な危機感を持ってしまう異端なのか(でもある程度イマジネーションを働かせれば危機感を持っているのは大多数と思う)…。

 児童が60~100人程(うろ覚え、60以下ではなかった筈)居た、合わせてたしか複数の建物、そこにいた子のことはもっと考えていきたいし、里親について語ってはいけない強い規制を自分に入れがちな感覚も認識して把握していきたい。「どこの誰でももちろん!」自由に里親についてだって語っていって構わない筈だし。それに、さりげない気ままな暴力を、これはお茶の時間だ、と把握するよりももっと違う認識の仕方をしたい。

裁判員でも刑務所の人でもないのに判決と懲罰を見させられた時の感覚。(体罰をやめてほしい理由)

f:id:iroiromura:20150911110416j:plain

大人が来て、
子ども10人ほどがぶたれるために選ばれて、教室の前に並ばされる時の
死神に命を引き抜かれる感覚を、歯を噛みしめて堪える時間とか、


教員が選び終えた後の、自分が呼ばれないことがわかった瞬間の体の異常な安堵感、脱力反応、「私でなくあの子らで良かった」という感じとか、


指導が納得のいく理由でも、
並ばされた子どもの生気を失って虚ろな、やさぐれた、よどんだ人形のような瞳が
時おり私たち椅子に座る児童生徒のほうに向く時、
「お前ら馬鹿だな」というような目つきと笑みになってたり、
孤立してすでに死んでいるような目つきになってる一瞬を知ってしまった時の
わけのわからない体の焦燥感、火照り、息苦しさ、動悸……。

 

それを今でも覚えてるから、体罰はいや。

 

 


ぶたれるまで息を潜めて待つ。

全身の圧迫感。

逃げ出したい体をどうにか抑えて鎮めてパイプ椅子に座り続ける。

こうなると授業など始まらない。


大人の決めた好きな時間に体罰は始まる。その前に指導してた言葉は忘れちゃった。
始まった瞬間、ぶたれてる子は別なのに、私の体にも熱さが走り、
体が熱いのか痛いのか、怯えてるのか、指導の熱にあてられて浮かれているのか
わからなくなって、体の動機や震えや反射的な動きをとめられなくなる。


そのうち、
これは血ではなく指導、
これは倒れているのではなく指導、
生きている体でなく物質、別に何もおかしい事は起こっていない、
と都合よく解釈するようになっていく。震えていた体がいつのまにか落ち着いて、耳元の心臓の速い音もしなくなって、ぼーっとしている。

 

これは私の場合で、ほかの子の事はわからない。


痛くなくて、苦痛でも怖くも恥辱でもなくて、別になんてことなかった場合だってある筈。

 

血は少しだけ、椅子が飛んだのも少しだけ、と最近まで自分に言い聞かせてきたし今も考えてる。


でも、もし有能な弁護士がついてくれていたら、
子どもたちはそれぞれ皆、体罰指導の判決を受けずにすんだ
筈だった。絶対に冤罪の児童生徒達がいたと私でも思うもの。

 

だから裁判員でも刑務所の人でもない児童生徒の前で判決を下したり、懲罰を与えないでほしい。裁判官でも警察でもないのに、罪や罰を指導と称して勝手に決めないでほしい。

先生「男の子はこんなもんじゃたいした痛みなど感じないんだ。ほかの男の子への侮辱だぞ」

f:id:iroiromura:20150912073118j:plain

 

中学校の頃、先生たちが子ども達をぶっていたから私はなんでもできたけど、
今は誰も、誰かや私をぶってくれない。

(やっぱり子を絶対ぶっちゃだめだよ。子どもに罰される子を見せないで!)

 

特に男の子の中にぶたれる子がいて、
その子は痛いと言ってたけど、

 

先生たちが「男の子はこんなもんじゃ、たいした
痛みなど感じないものなんだ。ほかの男の子への侮辱だぞ」
と言ってた。

 

私はその子が痛いと言った記憶があいまいになっちゃった。
異性は痛覚が無だと、思い込まずにはいられなくなった。
行き過ぎた指導の闇がかなしいよ。

 

(私がぶたれないように必死に大人の言うことを聞いたがために
ほかの子がぶたれたんだと思う。

なぜか先生の目の敵になる子がいたからこそ、
私はお気に入りでいられたんだと思う。

お気に入りになるのと先生が目の敵を作るのと
ニワトリとタマゴ、どっちが先なんだろ。

ぶたれていい子どもの人なんていなかったと思うけど、
つい、いなかった筈だけど筈だけど、でもいたんだ、と
教員の威圧を今も思い出して語ってしまうし、
ぶたれていい子なんていなかった、と言う言葉で教員は激高して
授業や放課後が潰れるし、言った子のせいにされるし、
さらに暴力を振るうようになった)


スウェーデンかどこかで懲戒含めた体罰全ての禁止がもうだいぶ前に法で決められた
って書かれた本をチラ見したのだけど、
他人事みたいな気がして、なんの本か忘れたので
見つけたら忘れないように書き込んでおきたいです。

 

f:id:iroiromura:20150912074635j:plain

子どもだけの病棟では暴力や性暴力が起きる可能性がある

 ※消そうと思ったけど記事にしました。

 

私、暴力や性暴力のない、子どものみの寝泊りする建物ってあるのかわからないみたい。私のいたところが、そうだったからだと思う。

f:id:iroiromura:20150911101120j:plain
子どもだけ(小学生ぐらいが大半?)の暮らす建物で、起こってたことを考えると、

私のいた建物に、本当に長期で暮らしてた子がいるか不明でも、

(もうずっといるの。と言っていた女子はいた…)

乳児院から児童養護施設へ行き、長期で施設にいる子どもの総数がたとえ少なくても、フォスターケアというのをもっと考えていくことは必要なことだと思った。

 

いま私が中学生の時を思い起こせば、クラスか学年に数組は、もう数人子どもを育てる余力というか余裕がある家族がいた。(残念ながらうちは違う)

 

電車内でも阿吽の呼吸のような父・母・子どもを見ることも少なくなくて、たくさんのエピソードが重なってることと、自分の表現力が貧弱なのでうまく言えないんだけど、ああいう家族だったら…と思う。

 

f:id:iroiromura:20150911102243j:plain

ああいう家族だったら、子どもだけの建物に子どもを入れたりなんかしない。

 

いまの私は全然、ぎゅう詰めの子ども達と関わりのないところにある。
なぜ、あんなことが? なぜ昔、あれを見たのだろう? と困惑する時もあれば、

 

あの建物の中の、ぎゅう詰めな子達を忘れるのが、
厳しく辛く、良くないことに思える時もある。

 

叫び出したい時も、なぜ社会の人は知ってくれないの?と怒る時も、
言ってはいけないことだと思いつめる時も、
忘れようとする時も、そうしなくても忘れてる時もある。

 

 

f:id:iroiromura:20150911105926j:plain


私は、やばいから早く逃げ出さなきゃって思って逃げた。
ずっといると言ってた子のことを今も気にするようになった。

 

全然違うものだけど、子どものみが長期間過ごす心療系の病棟と、乳児院からのネグレクトや虐待を受けた子どもが長期間過ごす児童養護施設(元孤児院)を重ね合わせてしまうし、
男女共同の病棟は、すでにそれは「治療用の」「病棟」と呼べるものなのかもわからなくて、いまはただの棟とか、子どもだけのいる建物って呼んでいる。

 

 

f:id:iroiromura:20150911110132j:plain

子どもが精神面で困難をかかえているから入院したのだとされているけど、
子どものみの寝泊り場にいれば、傷が上塗りされていくだけの存在も少なくないのではないかとも思ったりする。

 

私のように、
※通り魔関連の出来事に遭遇→家族は子の変わりようにびっくり、私は出来事を一切口に出せず→専門家も一切出来事を知らず→病棟入院措置※

という場合も少なくないと思う。

 

もし親切な専門家が通り魔的出来事を探り出してくれていたら。怒怒!!


専門家が「このような出来事に遭ったかい?」と一言も聞いてくれず、
病棟での私の書類にも一言も書かれなかったことを、ただの親が把握することはできにくい可能性があると思う。

でも、棟の中でのことは、みんな、実は知っているんじゃないの?

 

f:id:iroiromura:20150911110416j:plain


専門家がどうしてかけらでも疑ってくれなかったの? 怒怒怒

家族外の世界で、流血沙汰などに遭遇してしまった子どもの対処が難しいのは当然だけど。
社会の人は学校で虐待が起きたとなんで言えないの?
嫌がる子どもを子どもだけの建物の中へ有無を言わさず入れるのが、親と専門家の虐待だとなんで言えないの?


子どもだけの建物の中で、「恋愛」と言われる性暴力が起こるのが、どうして軽視されてなかったことにまでなってるの?怒怒怒怒怒!!!

 

 

f:id:iroiromura:20150911103700j:plain

短期で入った私ですらこうなのに、ずっといると言っていた子どもさんや、大人に放り投げられてた子どもさんは、

一体全体、どういうことなんだろう……。


専門家には、子どもに何が起こっているのかを把握してほしい。

中で何が起き得るか、外の人は知っていてほしい。失われたものは帰ってこない気もするけど……

 

f:id:iroiromura:20150911102823j:plain