できごと

アメリカとイギリスの里親関連機関誌を購読したい

どうしても知りたいこと。

アメリカとイギリスの養子・里親について問い合わせ中。

 

まず問い合わせた、イギリスの子どもと若者向けらしいインケアに関する2つのマガジン「Become」のサイト。購読に関する用紙を届けてくれると返事が来たけど、待ち遠しい!

 

次にhttps://www.childwelfare.gov/

このインフォメーションゲートウェイのページから、インディアナ州のニュースレターを購読したい、インディアナ州のその問い合わせ先はどこか教えてほしいとメールした。

返事が来た。

「 Indiana- https://www.in.gov/dcs/fostercare.htm
Oregon- https://www.oregon.gov/DHS/children/Pages/index.aspx 」

それで今インディアナ州発行の雑誌とオレゴン州発行のニューズレターを購読したいと問い合わせ中。

 

イギリスのparent to parent information of adoption、(今はadoption UKに多分なっている?)やはり情報誌を作っているようなので、これも購読したいと問い合わせてる。

ナショナル・フォスター・ケア・アソシエイションという協会も機関誌「フォスター・ケア」を作っているそうで、問い合わせ中。

 

思うのは、州がニューズレターを発行してるのがすごいということ。日本でいうなら都道府県が発行してるイメージになるので。イギリスで社会的養護・里親・養子に関する子ども・若者向けの雑誌が発行されてることもすごい。外国の里親ニュースレターはたくさんありそうで、でも私は英語がグーグル翻訳しかできないのでどれか1つでも情報誌が得られれば嬉しいと思っていくつか問い合わせした。

 

Becomeは国会図書館にあった翻訳本「こどもの声:里親家庭・居住施設で暮すこどもの意見表明」で知ったと思う。

イギリスのparent to parent information of adoption、

イギリスのナショナル・フォスター・ケア・アソシエイションは書籍「あたらしいふれあい第1編」239ページ〜あたりで読んだ。

インディアナ州発行の養子の雑誌は「養子でわくわく家族」という書籍で。

オレゴン州発行のニューズレターは「THE KID」276ページで。ニューズレターは引き取り手がなかなか見つからない子どもたちについて書いてくれている。著者は、オープンアダプションの事務所で予約した打ち合わせを待つ間に、このニューズレターが3年分綴じられたものを読んでいる。

 

多分私は、日本で孤独なので、腐らないように、外国の情報が知りたいのだと思う。

外国がこのように、適切な情報発行について発展してるのだということが良い意味でショックだった。ネットでグーグル翻訳すれば読める記事もたくさんあって、人種や人身売買に関する文章もあったと思う。日本の里親の本を読んでいると外国にルーツを持つ子どものことが書かれていたりもする。なのでアジアの人身売買に関する本を読み始めた。私の住んでたとこには何人かの外国にルーツのある子どもがいた。母子支援の施設についてもまた読みたいものがあるし・・・

 

 

 

 

知りたかった事、知って良かった事のメモ

知りたかった事、知って良かった事のメモ

 

書籍『子どもへの回復・自立へのアプローチ』p210によると、

2014(平成26)年現在の、社会的養護に関する当事者団体は、

さくらネットワークプロジェクト、

CVV、

日向ぼっこ、

こもれび、

なごやかサポートみらい、

だいじ家、

レインボーズ、

明日天気になぁれ、

ふたばふらっとホーム、

ひ・まわり、

白ひげ、

COLORS

 

国会図書館で観られる里親・社会的養護に関する映像は、

『あなたも里親になりませんか~あなたを待っている子どもたちがいます~ 里親制度普及啓発ビデオ』★

『風とどまる 自立援助ホーム「憩いの家」40年の歩み』★

『いのちを未来へ!』(ドイツの赤ちゃんポストについてなど)

『子ども虐待における家族支援 ファミリーグループ・カンファレンスの実践 第1巻 (準備編)、第2巻 (実施編)』

『あなたも養育家庭になりませんか?:養育家庭制度広報用DVD』★

など。★マークは東京ウィメンズプラザにもある映像。

 

千代田区立図書館にある映像は

『タイトル 扉を開いて・・・ 養育家庭制度広報ビデオ』。

 

東京の国会図書館で映像を観るには、映像を借りる所へ行って用紙を書くのですが、一般でも「研究」に丸をつけて良くて、それで誰でも映像を観られると思います。

 

福岡県の小郡市人権教育啓発センターにある映像。

アミティ・魂と出会う旅』。(里親関連ではない。自分が東京ウィメンズプラザで、DV加害などについて調べる過程で、里親情報・母子支援・少年院・加害者へのアプローチについても載ってる報告書とかいくつかの資料(うろ覚え)にかつて販売していることが載っていたので、借りられる所を検索した。)

 

国会図書館所蔵。

『赤ちゃんの死へのまなざし 両親の体験談から学ぶ周産期 (死産) のグリーフケア』。子どもの死について思うところがあってここに書いた。里親関連ではない

 

観たことのない、関心のあるDVD。

『わかち合う声』。自死遺族が、2時間半のわかち合いの様子を18分の映像に収めたもの。書籍『自殺で家族を亡くして』p150で知った。

 

◇◇◇

 

付け足し

あたらしいふれあい誌は現在、

共生社会センターに数点あり(確か住民図書館の会報類が全て移行)

東京ウィメンズプラザに数点あり

大阪府立中央図書館に1975〜2008年まであり

大阪中之島図書館に新しい何年かが短期保存であり

東京国会図書館に2008〜があり

 

東京国会図書館

アン研修シリーズは8除いた1〜10まであり

 

東京ウィメンズプラザにあるのは

子どもの権利ノートガイドブック:子どもと里親養育の未来のために(冊子のような感じで、多分今は売られていない)

雑誌 新しい家族  養子と里親を考える会  日本(検索で出た、まだ私は見て確認してない)など

 

書籍『養子とわくわく家族』によるとアメリカには

インディアナ州の里親・養子協会Foster Care & Adoption Association発行の雑誌あり

Adoptive Families(Adoptive Families Magazine刊)という雑誌あり

 

書籍『子どもの養子縁組ガイドブック』には、試し行動についての文がある。うまく言えないけれど、理由があってここを読むといつも自分はとても嬉しくなる。

 

書籍『愛を知らなかった子』

この本をやっと読んではじめて、子どもたちと里親候補たちが集まって縁組したい子どもを探すハートギャラリーのことを知った。

ダニエルの場合。

ガレットという自らも養子である専門の大人がダニエルの里親を探してくれる。

家から保護され、すぐ治療の里親へ→そして養子里親を探すやり方。

 

書籍『ジョディ 傷つけられた子』7〜8歳の子が、数回里親委託に失敗したのに、施設へ行かぬよう、次の里親候補女性キャシーにそうとうかばわれる。そこだけでもインパクトがあった。それでキャシーの元でやっと本当のことを話し出す。

 

◇◇◇

 

メモしておきたいことがちょっとまだ多いので、また書き足します

 

ここは性行動が多いと言った大人やコンドームの事

 私はずっと人とのかかわりのもち方がわからなくて、大人に罰を受けてる子どもたちを見ても、何もできなくて、家族外の者からの被害を子ども時代に受けたりむごい世界を見たりして、それでも、この世界に染まらずにあることはできると、そうありたいとずっと思ってる。

 

 私たち子どもたちにはコンドームが必要だった。大人は、子どもたちを罰していた。でも、性非行とされるものには、逃げられなくて強制されたり(性別問わず)、あるいは家族があてにならない中、若者同士愛情をもって、かかわるものもあると思う。全てを罰してもなくならないと思った。死角(あるいは愛情や未知なもの)は常にあるから。だから、怯える私に「真面目な子」と言うより、私や全ての子にコンドームを配布して欲しかった。

 

 あの子とあの子はカップル、ここは性行動が多い、といった話を大人が私にした時点で、良い悪いじゃなく、すべての者にコンドーム配布を考えなければ、実情に即していない。

 コンドームがあれば、男の子も女の子も、自分の身を大切にしようとできる。

 

 私は人とともに愛情深くあることはとても苦手で、奥手で気弱でナイーブだったけれど、誰か少年少女達が愛情深くあろうとする時にコンドームより罰を与えて欲しくなどなかったし、

 

 人とのかかわりのもち方は自分は下手だけれど、知りたいことがたくさんあって、今もその問いを持ち越していて、過去を見るのはつらいけれど、見たくないものも見ようとする人生を生きようと思ってる。

 

 私は自己規範を探していたので、大人たちからの罰は役に立たなかったし、それと、厳しい罰や性被害と性売の関連を考えるようになったのは、ずっと歳月を経てから。

 子どもの頃のことは、たいしたことでなく、とりとめもなくて、これからも書けないものもあると思う・・・

 

 大人になってからは、子どもの頃と違って男性も女性も適切にコンドームを使用する人も多いと知っていった。

 子どもの頃の、コンドームが配布されず、罰しかなかった頃のことは、覚えておきたい。 

 

里親に関する会報を図書館で読めたこと

 そっと見守る消え去らない大人がいない、子どもの無残な様子を見て、ずっと辛かった。たびたび廊下でトイレをする女の子のことはどう考えればいいかわからなかった。

 大人になってからやっと書籍を読んだりして、そういうことはありうるのだと把握した。それで私は自分の接してしまった世界が、この場所でしかない唯一の孤独なものではなくて、ここしかありえない孤独なもののほうがよかったかもしれないけれど、この場所以外にもある事なのだと把握した。

 

1992年4月20日のあたらしいふれあい誌によると、

愛の手掲載児童1300回の分析。

掲載された子どもの数は1383人。

男の子は807人、女の子は576人。

1345人は日本国籍。38人が外国籍。

1992年5月20日のあたらしいふれあい誌によると、

「実親の事情が複雑な子供や、年齢の高い子供、あるいは0歳児であっても男の子」が里親が見つかりにくいのだそう。

 

2005年8月20日のあたらしいふれあい誌によると、

「T君と同じように、愛の手に掲載されてから、何ヶ月も何年も養親との出会いを待ち続けている沢山の子どもたちがいる。彼らのことを思う時、T君と養親とのこの出会いは、「決してあきらめちゃいけない」と、私たちに力を与えてくれる」とあった。

(手元コピーを見直すのはこわくて、大切なメモノートを見てる。ほんとははっきり見直して打ち込みたい。。)

 

 去年、はじめてやっと、あたらしいふれあい誌(古い年代)が大阪の中央図書館にあると知った。急にドキドキして、嬉しくて、涙が出そうだった。嬉しいことが怖かったので、血圧があがって倒れないように気をつけた。それで私は、孤独に思ってずっと苦しんできたけれど、毎月毎月何十年も会報が出ていて、大人たちが里親の必要な子どもたちのことでずっと骨折ってくれていたことをやっと知った。実際に原本を手に取れることはとても大きいことだった。

 

 今年からは、あたらしいふれあい誌(新しい年代)が東京の国会図書館で読めるようになったそう。全ての児童相談所へ送られている機関紙だと何年か前に聞いていて、いつかさかのぼって読み込める事を願い続けていた。

 

 ずっと孤独だった。恥ずかしいことだけど、ある福祉関係の会報は、あれもこれも国会図書館で読めるのに、私が何より読みたいやつはあれもこれもない、と恨みに思っていた。いくつかは購読を選んでいるけれど、読みたい十数種類の会報を全ては購読できないので、国会図書館にだけでも置いてあったらなと思っていた。大阪府立中央図書館にあるだなんて思いもよらなかった。手に取るまで半信半疑だったけれど、実際に手にとったら、長年の苦痛が解けていくような感じだった。

 

 わがままだけど、いつか誰か、あしながおじさんが、「ストックしてるから、会報の欠番をまとめて寄贈しても良いよ」と寄贈してくれる願いは持ち続けてる。3500部ほど印刷されているらしいから、誰か購読して残している人が・・・。でも私にはできないことなので、大阪と国会図書館で見られる年代があることをただ嬉しく思っていたい。まだ読み込んでいない箇所も多いので、また読みに図書館へ行こうと思う。

音声の図書・図書館について

覚え書き

 

アメリカのbookshareは、読書が難儀な数十万人が、63万以上の本を点字やテキストで拡大したり音声にして読める・聴けるのだそう。

利用者本人やボランティアがスキャンしテキストにしたものをシェアできる。

視覚に難がある人、ディスレクシアの人、肢体に難があって読みにくい人など。

 

日本ではネットのサピエ図書館というところで、読書に難儀な人がネットから、点字や拡大可能テキストや音声の本をダウンロードできる。アメリカのような、利用者本人等がスキャンした本のシェアは無い。

 

日本で使われる文字はひらがな、カタカナ、漢字が混ざった形。そのためOCRというソフトで紙の本を、合成音声が読める形に変換するのが難しかったのだそう。合成音声も誤読が多かったらしい。でも最近は2つともかなり精度が良くなってくれて、読書障害の人が紙の本をスキャンし、パソコンに入れ、OCRソフトで合成音声が読める形に変換して、合成音声で聴くのがスムーズに可能みたい。

 

それで思うのは、アメリカの3億人のうち30万人が障害のため本をbookshareで読んでいるとして、

日本のサピエ図書館は1万5千人ほどが使っているそうなのだけど、日本人口は1億人ぐらいだから、アメリカの割合をずぼらに当てはめると本当は日本の10万人が読書のための代替策が必要で、今の人数プラス8万5千人がサピエを使っていい、ってことになる。

 

難儀なため点字や拡大可能テキストや音声での読書が必要な方、ぜひサピエ図書館に登録を。(里親関連本もあるそう)

 

OCRソフトや合成音声の精度が良くなってきたので、アメリカのように、紙を読むのが難しい本人がOCRで変換した本をシェアできるようにもそのうちなるのかも。

 

悲哀が可能な自分になりたい

回想、

子どもが急に去ったり、

行方知れずになったりすることを悲しめない、

あるいは無理に悲しみや慈しみを表現しないとならない時のこと・・・。

 

『遺体』という本を読んでみている。遺体を運ぶ方は、日が暮れ、明日にさしつかえるから今日はここまで、というのがあるらしい。子どもだけの建物じゃ、その概念はないと思う。人生全部にさしつかえかねないと思う・・・。

 

 小さな子が来たら、休みなくお世話しないとならない。でも本当は、プライベートな休息時間があってもよかったらしい。

 

好きなことを好きなだけ好きにやることを、

特定の子どもとして、特定の消えない大人に守られて、

自分のペースと行動と休息を、どうやら、持って良いらしい。

 

 よき家族がおり施設を体験していなければ、同じ町の人や、他者の遺体にも、哀哭を持てるのだと思った。私にも家族がいて、家族が死ぬのは悲しいけれど、施設の子に対してはどうしても「ここはそういうものだ」と考えてしまう。施設の子の生き死にが悲しくなくて、次第に私の家族の生き死にも悲しくない感じになる。捨てられた子がむごい嫌な状況なのを、悲しむとしたら、切りがない。施設に対し大人の様々な考えがあって、情報が極端にない中、うごめいていないといけなかった。

 

 遺体という本を読んで、比較するのじゃなく、「つながりがあれば、このように悲しいものなのか」「ちゃんと悲しめるようになりたい」と考えてみたい。津波の本で、ちゃんと読みたい本なのに、「悲しいものなのか?」と疑問をもつ自分を、どうにか悲哀が可能な自分へもっていきたい。施設の子に対しては、共に住むのに、つながりはなかった。親に捨てられた子は本当にむごい。そう考えるのに、なんの感じも持てない・・・。その子達に親が、特別な対象者がもたらされないままのことを、明晰に嘆いてみたくて。。。それは、個人的な自分をもたないと、できない。

 

 概念にしろ実体にしろ、里親に出会えていないと、家族のいる大きい子の私は、「施設は、捨てられている子は、それしかないのだ。施設しかない。捨てられているしかない」と思うようになる。

 小さい子に里親がいてほしい。書籍『ジョディ、傷つけられた子 里親キャシー・グラスの手記』では、8歳の子どもに対しキャシーが「施設に入れるには幼すぎます」と何度か強調していて、そんなに言ってもいいのか、と私にはおっかなびっくり。はっきり言うと、とても、嬉しかった。

 

 

 

「ルーツを探る」「親子になる 血のつながりを越えて」などを大図書館へご寄贈ください

 東京以外にお住まいの方、どうぞ、その県で一番大きい図書館に、お持ちの冊子「ルーツを探る」「親子になる 血のつながりを越えて」「うちあける」「親子への道標」などをご寄贈ください!(大阪府立図書館にはあります)

 

 様々な施設にいた子達が、凄まじくたいへんな徒労なく、自分の人生へ立ち戻って欲しいです。実は見えにくいところで、多くの子どもが里親のもとへと行けるようにと行動する方々がおり、施設に対してもつ難しい思いが自分個人のものではなかったと振り返るためにも、重要な冊子と思います。

 

 1県の図書館に1つあればその県に住む者は、自分の住まいの近くの図書館からリクエスト用紙を使い取り寄せることができます。(区外からの取り寄せか購入、と説明文があったりして一見購入のリクエストに思えるけれど大抵は、区外取り寄せ)

 

 ですので、もしご自宅にこれらの冊子をお持ちの方で、今までは自宅に置いたけれど図書館にでも置こうと思ってくださる方に、大きな図書館への寄贈を検討いただきたいのです。

 

 どの置き場にするかが少し難しい点で、私はこれらの冊子を東京の国会図書館、東京都立図書館、地元の図書館のどこに寄贈するか検討しました。

 

 リクエストで東京のどこからでも取り寄せて読めることを重視し、都立図書館にしました。地元の小さな図書館だと置くことが難しいのではと思いました。「うちあける」「親子への道標」は売り切れで寄贈してないです、何卒寄贈お願いします。

 

 DVDだとまた違って、例えば「風とどまる」というDVDは図書館でなく、東京ウィメンズプラザにしました。DVD単体の区外リクエストはやっていないと地元図書館で言っていたからです。都内の方が東京ウィメンズプラザまで来て借りることを願い、そこへの寄贈にしました。

 

 とある市区町村の男女参画センターへ行き、寄贈は難しいと実際に確かめた結果、大きいウィメンズプラザならと考えた背景があります。

 

 里親志望の方々のことを私は心配しておらず、登録の行動をして、子どもとともに生きてくださる、と思っている。

 

 私が考えずにいられないのは、一体自分の徒労は何なのだろう、わずかな親モデルの道順すらないという問いも出にくいような、模索する子について。具体的な冊子があれば、過去に何があり何がなかったか、把握し整理するきっかけになるのでは・・・全く悼めない過去を悼めたら、もしかしたら・・・。

 

 里親について知ることは、誰も来なかった苦痛の確認ではあるけれど、もしかしたら、親を知らぬ施設で生きる子を少しでも減らせると思える、灯台の光のように想えるきっかけになるのでは・・・。

 

 どうぞお願いします。

子どもだけで住むここは嫌な場所だ、と思い続けたこと

 子どもだけで住むことの内容について、なんで大人たちはこんなに内緒なのかと思う。養子の子どもたちが少しずつ真実告知をしてもらえるように、私にだって、施設に子がいることを少しずつ話して欲しかった(いつ入所するかも、恋人になるかも、友になるかも、敵になるかもしれなかった)。

 

 子どもだけで住むことの何より嫌な、悲惨なところは、基本的な個人のことが満たされる環境じゃないという事。その子だけの特定の大人からのお世話が必要なのにもらえない子は居続けたと思う。そして、自分なんかにお世話を要望する子がいて、それでも私は、その子は本当に求めているのは私ではないと、なんとなく把握していた。それなのに、その子が私や不特定多数への、対象の決して定まることもなく満ちることもない求めを求めるままにしておくのか。

 

 私はそれを言えなかったしそばにいた事で後悔してる。あの場所では何でもあるし何もない。地獄と無が揃っている。放っておかれてるから、地獄が地獄なのか気がつかない。ただあの場所が嫌だと言うことも、今でも大変だ。無理にそこに住まないといけない事は、免罪符でもないのに、それを理由に、ほかの子たちのことに気が回らない時がある。そういえばアウシュヴィッツではフランクル氏が、自分はもっと他者を支えないといけなかったがそうする勇気が持てたのは収容所ではわずかな時間だったとか書いていた。レナはアウシュヴィッツビルケナウで、自分と妹がひどい労働でなく洗濯係になれたかわりに、盗んだ食料を渡してもらっていた女性たちがその、生き延びるために必須な洗濯労働から外された事を、申し訳ない、でも、自分と妹が生き延びられるのでとても嬉しい、というように書いていた。私も、多少だけど、自分のために他者を犠牲にして生きることを、やってきた。あそこは、そういうところだ。私は生まれてこなければよかった。生まれてこなければ、捨てられたあの子達を見て、自分の無力と犯罪性を知ることもなかった。

 

 自分を壊しながら、ここは嫌な場所だと思い続けた。それとは多分また別のことなんだけど、どうかあの子のような子にだけは、よき里親さんが見つかりますように。そう願っている。悲惨な場所にいるのはかつてのあの子達だけでもう充分だと思う。私はどこかで、あの子達は何をされても問題ではないのだ、と思っていないと、生きていけないほど弱いのではないかと思う。

お部屋へ来てほしいという子の話

 何度も衝撃とともに思い出すので、そこで立ち止まって思い返し、また書いてみたのだけど、一体誰に何があったのだろう。

 ある女の子がいた。正確な年齢は覚えていない。その子からあるとき、最低7回ぐらい、お部屋に来てほしいという言葉があった。早足で歩いて、無視して、ずっと断っていたけど、ある時、お部屋へ行った。自分がお世話しないといけないような気がして。彼女は来るように繰り返し言い、何度もついて来て話しかけて来た。ベッドに座ることも、一緒に漫画を読むことも、その子の希望だった。他人の私なんかと一緒に少女漫画を読んで何になるのかと思ったけど、ページをめくった。ベッドの脇だったか、綺麗な赤いランドセルを覚えてる。しばらくして、そろそろ戻るね、と告げて私は自室へ戻った。もう行ってしまうのかと言っていたけど、ほかにどうしようもなくて・・・

 多分私はその子に何をしてもいいと思っていた。その子に何もしなかったのは偶然だと考えてる。たとえ私が先輩だとしても、1000度その子が私に要望を発したとしても、それがどのような要望だったとしても、断らなければいけなかったと思う。偶然が何か違っていたら、どうなっていたことか。私は自分の加害性を知らないままの存在だった。けどまとわりつかないでほしい、うるさい、どうしたらいいのか、と強く思っていたのははっきり覚えている。だから、あの子どもにはちゃんと見守る固定の大人がいてほしいと、すぐさま大人に私は告げなくてはいけなかった。でも、そこまで考えられずうろたえるだけだった。

 

 私は今も、子どもに対し自分に理性が充分あるか疑問に思う。この疑問をずっと持っていないといけない。私はケアする職でも大人でもなんでもなく、年上女子だった。学んだ大人たちでも、難しい状況の子どもと接するのは難しいと聞く。だからこそその大人は、私のように孤立した少女としてお世話するのでなく、適切な相談相手を持ち、ケアもしケアもされ、心底時間を作って関わることもあれば、ちょうど良い見極めをして、ほどよい休息の時間も選ぶのだと思う。子どもの私には小さなあの子のお世話なんて、本来、できる事ではない。できる事ではない責任を負おうとした。

 

 ほかに、ここは性非行が多くあなたは本当にまじめだからここにいるのは間違いに思える、ということを私に言った大人女性や、薄暗いところでものも言わず佇んでいた4人ぐらいの小学生の少年、廊下でトイレする無表情の子どもの事、それと無用な罰を受けていた気がする子と目が合ってしまった事、片目だけ灰色で黒が混じったところもあり皆に綺麗だと覗き込まれていた子、別の子どもだけの建物から来た子の記憶が、私の近くを行ったり来たりする。普段はそんなに差し迫った事は起きてなかったんだけど。

 

 前と同じことを書きなぐって思ったのは私は自分の被害や加害は認識しようとするのに、少し遠くで取っ組み合ったり叫んでいたり、佇んでいる子のこと、他者である子ども達のことは、たとえ生きようが死のうがどうでもいい他者なのだとどこかで強く思うようなところがあること。それもまた加害にもそして被害にもつながりそうだと今やっと思った。なので年下の子どもの事は特に回想して考えたい。

 

 あと以前何を書いたか忘れがちで、トイレに行くのが異様に苦痛だったことを書いたと思うのだけど、読み返せないため今さっき、やっとまた思い出した。トイレのことはやたらと苦痛なのでもう書けないかもしれない。でもだからこそ、廊下でトイレする子の事などでなく自分自身がトイレに行きたくないわけについて把握するべきなのだろうけど、多分過去のこれらは、ほぼ全て、掘り返すのは気をつけてやらなくちゃ。今はやめとこうと思う。

いつか吐き出しをやめ、ゆったりしたい。

 いつかしばらく経ったら吐き出しのような語りをやめたい、ゆったりのんびりしたい〜と思っている。時々、私のせいであの子たちが、という気持ちになる。

 早く知らせて欲しかった思いがあってブログでは、大人の私から子どもの私へ、子どもの私から大人の私へ、相互作用的に言葉を残すようになった。ここで吐き出す時期も必要なのかもと思ってる。

 資料は、斜め読みから始め、休憩をとりつつ読み進めてる。知りたかったものを読むと私は一時、気持ちのゆらぎが起きるから。それでも知りたい。休憩も睡眠も自分好みな量、充分にとる。読めない文もある。かなり、ぜんぶ情報をさけ、何も気づかずに済ます時があり、この自分の繊細なところを、なだめて、気楽に落ち着かせる。資料を述べる事にはなぜか迷いがある。

 専門的な資料を読む時、どうぞお気をつけてください。ぜひ無理なく、ためになりますよう。

ファミリーグループカンファレンスについて

 一生で一度ぐらい、辛かった事について書き留めてもいいだろうとズボラになって思う・・・。事実と想いを書けるのは安らぎ。

 

 取っ組み合っても、いつ、誰とか、覚えていられるところじゃなかった子ども集団。関わり続けるには責任がもてない子ども達が、いつもそばにいた。

 

 私は考えてる。

 「私は取っ組み合ったが、押したが、暴力じゃなかった」と思うのは言い訳かどうか。「子どものほうからやって来て、私から進んで子どもに触れた事は一切ない」と断言するのは、言い訳かどうか。こういう言い逃れは大人がよくする言い方のような。私はどの点で加害者なのか。

  小さい子ども達には必要なはずの連続した対象者がいなかった(のではないか)。

 

 たとえ、施設は3〜4人に1人が加害側になるとしても、それは言い訳にはならない。年下のあるいは弱い子が、いくらやって来ようが、近くにいようが、自制すべき。

 

 私は加害を自分の死で償いたい。しかし私は潔癖で、死で償えるものは何か?と思う。死で明確に償えるか。何が償いなのか。誰(複数)に償うのか。

 被害を受けた子どもという人間が、誰かわからず、数の問題ではないが数がわからず、その人間からどんな償いが適切かを知らされない。

 

 私はあらゆる施設的なところから脱落して、小鳥の声でも聞いていたい。昨日はメジロと1m半の距離でいた。私もメジロの好きな花の咲く木だと空想してじっと止まっていても、夢の中でないとメジロは止まってこない。ちょこまか機敏に動いている。尾長は少々、ゆったりした動きで、尾長に会えた私の人生は薔薇色の心だ。声は力強くて、姿がなくても判別できる。青みがかった灰色は尾長独自のもの。飛び方も美しくて、少々、典雅な様子で、しかもチャーミングだ、と思う。どちらかというと私の散歩コースの、ひっそりした神社をいくつか回るコースでよく見かける。ズボラなので見る時間帯や季節での変化は不明。鳥やバッタなどの生態系を調べる人になってみたかった。

 

 ファミリー・グループ・カンファレンスでやっと検索していくつか国会図書館で斜め読みしてきた。

 

 書籍 子ども家庭福祉分野における家族支援のあり方に関する総合的研究。確か、母はもちろん、短期で引き取りたいと願い、子ども側も、母が恋しく、家が良い、戻りたい場合。親族を含めたファミリーグループカンファレンスまでこぎつけて、対話し、意見や想いを考慮しあった結果、母が自分を整えるまで、子どもが親族のもとへ行く事が可能だとなっていった事例。子どもは同じ小学校へ通える。そして最優先されるべき子ども本人の希望、早く母の家へ戻りたいという願いを支える形になった。対話の、子どもの話したままの言葉がちゃんと載っている。(紹介事例なので実際の事例ではなく匿名的に構成してると思う)

 

(施設で家より多数の暴力がある事を、FGCでは・あるいは人々は大抵、知らされないかもしれない。けれど、それを言うのは脅しみたいなものかもしれないので、自分ではもし言うとしたら難しく感じる。)

 

 母も子どもも、共に暮らしたい。その場合、借りられる親族の力も借りることは本当に良いと思った。子供が施設入所がいいと言ったり、親側が子どもを家には置けないと拒絶し続ける場合とは違うのだと思った。

 

確か書籍ファミリーグループカンファレンスの可能性、61ページにはこうあった。「子どもの生活にとって最高の価値ある資源は、専門職や機関でなく家族である(Merkel-Hol-guin 1998a:10)」。

 

 施設で誰も来ない子が「自分にはなぜ来ないのか」「私にもほしい」と言う。そのような子どもに、必ず里親が現れてほしい。

 そのような子ども個人の思いが実在すると学び、感じ取りたいのであれば、「母と家にいたい」と望み、話す子ども個人が実在することも、私は学ぶべきとしている。

 

 書籍あたらしいふれあい2。縁組前提の里親のところで何年も暮らした子ども。その子どもを引き取りたいと、生みの親が来た話。引き取りたいならあなたが育てなさい、と語る里親。里親は施設へ返すのだけは、避けようとする。私は同感する。言いたくないが、施設は、家より、なんでも起こる。ここ一文は、消したいかも。家が難しい背景をもつとしても、家庭は一つのみの背景だ。施設は30人いれば30の難しい背景。50人いれば50の難しい背景だ。どうやって地雷を爆撃をよけよう? 家族なら数人からの危害を心配すればいいが、施設では数十人以上だ。

 

 司法福祉学研究の2010、確か248ページ。「実親が養育できないならば、子どもは親以外の身近な人のもとで育つことが望ましいという考え方がほぼ各国で根付いている。したがって親子分離を要する場合、FGCの実施と親族里親の模索がまず検討されている。」

 

 私は恥じ入りながら書いている。1度も盗まず、リンチせず、「真面目すぎ」と大人に言われ、内向きな私だけど、まっさらではいられない。里親やFGCや紹介したい様々なことを、さらっとうまく紹介できないジレンマ。 

 被害者が誰か、加害者が誰か、不明だった実状。

 そしてだから施設より育て親がいいと収束させる傾向が私にある事。一つずつ考えたい・・・

 

 入所して遭遇した事で、被害と加害を併せ持つ者になった。同時に、誰かから突撃を受け、誰かと取っ組み合ったのに、様々な事を目撃したのに、その子達が誰か、いちいち覚えていられない。それは被害の遭いやすさ、加害のしやすさに繋がる。

 

 共生と修復2の46ページ〜、共生と修復4の26ページ〜では、施設内の事ではないけど被害者加害者の双方が誰だかわかり、ここに書き表し難い、書き表わせないような、良き対話が行われているようだと読んできた。

 

 私が加害した子どもに謝罪したいと願った時、子どものあらゆる事を覚えていない、知らない事に気づいた。施設にいようがどこにいようが、取っ組み合った女の子には、産んでくれた親御さんがいたのだろうし・・・。でも私はといえば私本人にももちろん、そこの女の子、男の子、あらゆる子に、何があったか不明。

 これらが、施設より、実親のもと、あるいは里親のもとがいいのでは、と思う理由。

 今回は、施設より実親のもとがいいという場合について学ぼうとして、FGCについて書いた。

 

 

遠くからはるばる来てくれる里親さんのこと

  私は不道徳なところもあるけれど、いつでも、あの子ども達のことをちょっとだけでも考えていたい。
 北海道からも、大阪のほうへ、里親が決まらない子どものために大人がはるばる来るとのこと(ふれあい誌2017年3月。読み返し中)。
 自分のことのように嬉しい。
 あの子達は私・・・私はあの子達なのだから・・・そうでなくても、あの子ども1人へも心を向けられないのなら、私はどうやって自分を人だと言えるのか。
 私は嬉しがることもへただし、里親と子どもにつながりが持てるまでの戦いも楽な事とは考えていないけれど、小さな子に本当に必要なのは連続した人とのゆったりした日々の繰り返しだと思うので、その変わらない大人が、遠くからもはるばる来てくれることを、心から嬉しがりたい。(何月号か不明だけど同誌の裏ページに毎回、どこから里親候補が来るかやどこへ訪問へ行ったか等も書いてくれている。候補は、北海道からも、山形からも、神奈川からも、長野からも大阪へ来てくれる。私は、肯定的な意味で、胸がとても痛むようにおもう・・・本当の出来事、実際に起きている事だから、読むと嬉しくて胸が痛い。読み返す事が困難で、神社などで同誌の内容を思い返してた。)

葛藤と自尊心の無さについての内容

 子供たちの世話が人並みにできなかった事が本当に恥ずかしい。私は里親になりたいのでもなく、子ども達の世話をする大人や専門家になれそうなのでもなく、小さな子の代弁をしたいわけでもなかった。3、4人に1人が子どもだけの建物で暴力を振るわれると読んだことがある。私も逃げられなかった。私は盗みも、リンチもしたことがなかった。でもあの場所で即、被害と加害に応じ、生きていかなければならなかった。知らない人から受けた危害が、そこでは即、無自覚に小さな存在に向かうかもしれないものになった。

 家にいられない。そして小さな子に対処できないのなら、たとえ私がもう養子縁組をするには大きくなってしまっていても、里親のもとへうつしてほしかったと思う。同居人でいい。高校生ぐらいで、施設への宿泊をほぼ経由せずに里親のもとへ行けた子どもの実話を読んだことがある。私は、建物内での暴力も、この高校生の話も、本当かうまく認識できないところがある。

 

 すでに大きくなった私だけれど里親へうつしてほしい、と願う時に、避けて通れなくなってきた気持ちがある・・・。それは私が何か言うと小さい子が里親へ行くことの阻害になるのではという恐れ。

 書籍の心的外傷と回復で、戦場はもう嫌だし犯罪だと述べて抜け出した男性に関する実話があったと思う。すごいことだと思う。大きくなった私でも里親へ行かせてほしいとか、自分の抱える力が小さい子に向かう事を恐れるとか書く時に、この話を思い出す。小さい子が居続けるとしても私は抜け出したかった。でも自分のことはすごいなどとは思えない。

 

  大きくなってしまった私が施設から抜け出て里親へ行けても、あの場所に小さな子ども達は居続ける。それについてスポーンとぬけて思いやれない時もあるし、キツイ時は、本当にキツくなる。里親委託率が4、50%になるような県もあり、10%ちょいの県もあることが、本当なのか、実感を見失うことがある。誰にもかえりみられない小さな子は、いるのだ、と認識したいけれど、する力を私は失いがちというか。

 

 大きくなった私でも里親へ行きたかったとかつての願いを書く時、小さい子全てが里親へ行くのがまず第一なのだ、と思い自分の願いを遮る。乳幼児(や近い年齢の子ども)と、それ以上の年の私とはある程度(あるいは完全に)違いそうなのに、同じところで暮らしてしまうと、境界がなく、私は自分の理由から幼い子について書いてしまっている感じがする。それに、書籍養護児童の声では、里親などナンセンスで僕はずっと児童ホームへ居たい、と述べる子どもや、語り合いの機会があった事で十数人中、5人ほどが自ら里親を探して発見し里親のもとで暮らすようになったという内容がある。里親と合いにくく、しかし「次の里親を探してほしい」と言ったことで次の里親へ行った男の子の話(埼玉のほうの本)も読んだし、本当に人それぞれで・・・。

 

 なので、私は、ここでぐらい、私個人の言葉と想いを認識したい。だけど、私も里親へ行きたかったとか、あの建物が嫌だったし私は外で駆け回るのが好きだったから海浜留学里親/センターでも良かった、旅館の同居人みたいなのでも良かった、などと言うと、小さい子が里親へ行くのを阻害するのではと悩む、緊張する。ドイルが推理小説でホームズに、「この連れ子はかつて不慮の事故で不具になり、継母と父との間の健やかな赤ん坊を見て心をすり減らし、家にあった吹き矢の毒で赤ん坊を刺した、それを吸った継母を吸血鬼だと父のあなたは間違えたのです。連れ子は1年ほど海岸へ行かせてあげることですね、、」という内容を語らせてたけど、私もそういう風で良かった感じすらする。

 

 小さい子は特に里親が必要で、私は、大きくなっていたので、また違った内容でも良かった気もする。あるいは里親が必要な子には里親が必要で、私は単に本質は不登校系統の子どもだと最近気付いてきたので、私個人は、支配されない学校へ行ければ充分だったのではないかとも思う・・・。自分の感じ方を、つかんでみたい。書籍『この国の子ども達』で引用があり、日本の児童養護を研究したグッドマン教授が「不登校の子どもが施設入所を検討されるのはなぜなのか」も研究対象にしてたことが書かれてた。あの建物で私は「なんて真面目なの」と言われてたけど、小さい子達と一緒にちゃんと暮らせるとは、私は、思えなかった。

 回想すると、アウシュヴィッツで餓死監房送りとなった見ず知らずの男性の身代わりになりたいと言って了承され、最期までほかの囚人達をケアし、餓死監房で祈りを捧げていたマキシミリアノ神父と、小さな子どもが重なる。小さな子どもが、私の身代わりに施設、愛情の餓死監房に入っていたのだ、と。

 

20180112追記、(私が里親へ行ったら)

 私のせいで、ほかの子が里親へ行けなくなるのだと思う、と今日朝、やっとはじめて言葉になった。でも誰か子ども達にそういう思いはさせたくない。どんなジャッジも、評価も批判もせずに自己の内面を観照したいと思った。

 

 

『施設内虐待を防止するために』より抜粋

 施設内虐待について、できるだけ平常心で、起きたことを起きたとわかりたい。けれど、下記のビビーは驚かずに事実に対処できても、私は、驚きがち、起きていなかったと自分に言い聞かせがち。専門家の調査報告を拠りどころにだきしめて、枕もとに置いて安眠する。私には被害を実感・把握する個人の時間、加害を実感・把握する個人の時間、2つから脱出する個人の時間が必要だ。油断すると私は、子供の頃のあれらの出来事を、人生で一番素敵な時間だった、と考えようとする。こういう子どもを人間を2度とつくり出してはならないと思う。

 

施設内虐待を防止するために より抜粋

p11

1989年、ロンドンのブレント区社会福祉部部長代理であるピーター・ビビーは、彼自身のソーシャルワーク実務経験からすると、どの年を取っても、入所施設の75%で性的虐待事件が発生しているということを見出しても驚かないと主張している(ビビー、イートン編、1989)。

 

前述のように、施設内虐待が高い割合で起こっていることは、自分から訴え出たケアを受けている50人の若者のグループによって、ネイピックへ報告された(モス、1990)。グループの若者の65%が性的虐待を、75%が身体的虐待を訴えており、80%が拘束/謹慎処分が過剰または違法に使用されていると訴えている。

 

p12

リンドフライシュとラーブ(1984b)は、施設内虐待の発生頻度は家族内虐待の2倍であると結論づけている。(下線訳者)

 

ヌーノウとモッツ(1988)は、ある州では同州の精神保健諸施設にいる子ども100人当りの虐待通告率は州人口全体の虐待率の3倍である、と述べている。

 

パリー(1987、トーマス編1990)は、175人の児童ケアワーカーに対する非公式調査の結果2/3のワーカーが「仕事中」さまざまな機会に虐待とみなせる出来事を目撃したと答えていると、報告している。

 

グロウズは、総括すると(略)虐待の訴えは入所者100人中58.7人の割合で起こっており、入所者100人中8.5人の割合で虐待が確認されていると報告している。それゆえに、これらの数字は、虐待の訴え・虐待の確認のいずれにおいてもリンドフライシュとラーブが報告したものより高い比率を表している。