できごと

子どもだけで住むここは嫌な場所だ、と思い続けたこと

 子どもだけで住むことの内容について、なんで大人たちはこんなに内緒なのかと思う。養子の子どもたちが少しずつ真実告知をしてもらえるように、私にだって、施設に子がいることを少しずつ話して欲しかった(いつ入所するかも、恋人になるかも、友になるかも、敵になるかもしれなかった)。

 

 子どもだけで住むことの何より嫌な、悲惨なところは、基本的な個人のことが満たされる環境じゃないという事。その子だけの特定の大人からのお世話が必要なのにもらえない子は居続けたと思う。そして、自分なんかにお世話を要望する子がいて、それでも私は、その子は本当に求めているのは私ではないと、なんとなく把握していた。それなのに、その子が私や不特定多数への、対象の決して定まることもなく満ちることもない求めを求めるままにしておくのか。

 

 私はそれを言えなかったしそばにいた事で後悔してる。あの場所では何でもあるし何もない。地獄と無が揃っている。放っておかれてるから、地獄が地獄なのか気がつかない。ただあの場所が嫌だと言うことも、今でも大変だ。無理にそこに住まないといけない事は、免罪符でもないのに、それを理由に、ほかの子たちのことに気が回らない時がある。そういえばアウシュヴィッツではフランクル氏が、自分はもっと他者を支えないといけなかったがそうする勇気が持てたのは収容所ではわずかな時間だったとか書いていた。レナはアウシュヴィッツビルケナウで、自分と妹がひどい労働でなく洗濯係になれたかわりに、盗んだ食料を渡してもらっていた女性たちがその、生き延びるために必須な洗濯労働から外された事を、申し訳ない、でも、自分と妹が生き延びられるのでとても嬉しい、というように書いていた。私も、多少だけど、自分のために他者を犠牲にして生きることを、やってきた。あそこは、そういうところだ。私は生まれてこなければよかった。生まれてこなければ、捨てられたあの子達を見て、自分の無力と犯罪性を知ることもなかった。

 

 自分を壊しながら、ここは嫌な場所だと思い続けた。それとは多分また別のことなんだけど、どうかあの子のような子にだけは、よき里親さんが見つかりますように。そう願っている。悲惨な場所にいるのはかつてのあの子達だけでもう充分だと思う。私はどこかで、あの子達は何をされても問題ではないのだ、と思っていないと、生きていけないほど弱いのではないかと思う。