できごと

里親さんへのお礼の気持ちはどういう内容か

幼い子を里親さんのもとへ行けるよう骨を折ってくださる方と、里親さんには、個人的に深くお礼を言いたい心境が常にある。

 

そのわけ

わたしは一時期だけ施設に居て、そこでのダメージが、一生をかけて償う罪になったと思う。ほかの子どもは違う、けどわたしは、ハイリスクを知り抜いていたのに何もせず、時には悪に染まったのだから。捕まってない事、刑罰には問われない事をもってのうのうと生きるのは罪悪と考えてる。

 

言い訳の言葉

わたしの罪は幼い子(3~6歳ぐらい?覚えてない)達がそこに居た事に由来する。いなければ良かった、脱走し、もう行かなければ良かった。でも、いなければいけなかった。今もこのような言い訳を綴ってしまう。反省できてないし、罪の内容はとても書けない。

「自分の心を壊して小さな子を避ける」これが建物内ではうまくいかなかった。子供だけ50~70人の建物だって、何もしない子達だって多いのだから、元からわたしの内部に罪が根ざしてたのだ。

 

わたしは、傷つき続けて百戦錬磨となった子ども達が万引きや売春の指令を年下の子や幼い子に出す事を悪いと思ってない、それはエネルギーの方向が違うだけだとおもってる。わたしの罪はそれとは別だ。

 

お礼の気持ち

里親さんは、新しい親御さんは、こんなわたしのような子が暴力をしないように、する前に、幼い子を引きとってくださる。

 

あたたかく慈しみ、一緒に過ごし、絆をつなげ、苦心してともに悩んでくださる。

 

その子自身がどのように生まれ、生きてきたのかに思いを馳せて下さる、
そして、わたしのような大きな子からダメージを受けたかもしれないことについても、深く考えて下さる。


幼い子たちは、そうやって、ハイリスク環境から、そうでない環境へのご縁が結ばれた。わたしが小さな子を加害しないよう、自分を破壊しながら、罪を連鎖させないようにがんばってきたのは、無駄ではなかった。

 

同時に、わたしが行った罪からは、わたしは逃れられないのだと再三、思う。目の前にあった環境、状態のイメージから目を逸らせない。何をしたのか、を聞き出さない繊細な世界、今は、わたしはそこに、今もいるけど、それでも里親さん方は、社会的養護全体について、心を痛めながらも、魂を砕き、考えて下さる。

本当に感謝いたします


幼子が居続け、百戦錬磨の子ども達が幼子への権威を奪い合い、それを阻止する固有の大人が誰もいない、異次元の空間に従い続けた悔恨、それが里親さんの言葉にふれるだけで、癒されるのがわかる・・・。2016.6.26に書いたけど上にあげたいので投稿日時を1年ずらしました。