子どもをひきとってくれた里親さん、ありがとう。
だんだん、わたしは、
里親さんの話を聴いたり、読んだりするようになると
落ち着くようになった。
とても落ち着くの…かつて絶望してた子どものわたし、
幼い子の虚ろな目をまじかに見ながら何もできなくて絶望してたわたしは
やっと育って、里親さんがいるって知ることができた。
(きっとわたしは幼い頃に知りたかったものを今、自分で満たしているのだ。)
里親さん、養親さん、施設暮らしの小さな子をひきとり
長期養育を考えてくれる大人達がいるってやっと知ることができた。
(その人たちは必要なら産みの親を誰より弁明してくれる。必要ならともに葛藤し、
世の中を批判もし、建設的に考えてもくれる。ひきとられた子どものまるごと全てを、
支持しようとしてくれる。その子どもに対し、ひとりの人間の子どもとして接してくれる。)
それまで永い時間だった。
里親さんが自然体で、引きとった子どものことを考えてくれるのが嬉しいの。
里子さんに対しては、わたしは、遠くにいる一人でしかないから、
周囲の人が、里子さんのこと、施設にいた子どものこと、沢山考えてほしいと
思っている。その子どもを一人の人間の子どもとして。
わたしは自分がどのような人間かよく知っているし、
そして別の子どもはわたしとは違い、その一人ひとりは、
それぞれ違った特有のひとなのだもの。
その子ども自身を生涯、そっと見つめてくれる
変わらない固有の育て親の実在が、その子にあってほしい。
少数派でもいい。
わたしは年上の子。かつて
小さな子どもが少しだけ伸ばした手から通り過ぎてしまった・・・
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ふっと気持ちがわいてきたので即興で上記、書いてみました。あとで写真でもつけられたらいいのだけど・・・
産みの親御さんの、里親が里子に対してする弁明についてはまた何か書いてみたい。書籍では、配慮しながら、適切に肯定的に、自然体で里子に対し伝えていた。