できごと

車椅子を使う事になったけど誰もいない子たちの事のが気にかかる

諸事情で車椅子を使う事になった。私は大丈夫だけれど、思い出すのは、誰もいない子どものこと・・・。

 

里親が見つかりにくい子どもたちのことを思う・・・。

『はらっぱ』のNO.172を読み返す。こういうことが書かれてる。

(たぶん治療施設を含む)全ての子どもの施設にはアドボカシー事務所のポスターが貼られているということ。

外国でも日本でも、自分にも里親がほしいと言って、里親が見つかったいくつかの例を思い返す。里親さんが必要なすべての子どもに見つかってほしいと祈る・・・

 

私は大人になってずっと後で、好きな里親さん団体と会報を知ったし、日本で母親が養育費をもらえているのは2割しかいない事を知った・・・

諸外国はもっと女性支援やシェルターや母子への福祉も広がってるのだそう。

スポンサーシップの方法も私は良いなと思う。母と子どもがともに来られる母子プログラムもずっと少しずつ関心をもって応援していたい。なにしろ、子どもの施設ではこういう情報が欠乏してたりするし、里親にしろ母子プロにしろ、何にせよ、かたよらずその本人に合ったものに、つながれてほしいと思うから・・・ 子どもは施設にすし詰めでいるので、誰が誰だか分からない状態でない、そんな状態にしない、色んな福祉を応援してたいし知りたい。

 

ただ子どもだけの施設にすし詰めにされている時は知らなかった、外の福祉的な様々な世界。

ttps://mainichi.jp/ch150911229i/あなたの愛の手を

ここはずっと、里親さんが必要な子どもを掲載してくれている。

「親が育てられない子どもを家庭に! 里親連絡会」では、里親情報を網羅したフォスターケアメールマガジンを受け取れる。

「虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか」の後半には(入れ替わり立ち替わりの子どもは少ないほうがいいと思うけど)ずっといていい場所の話も書かれてたのでもう少し読んで追記してみたい。