できごと

砂浜で小石を拾いたい

自分のあるいは誰かの自殺について考えるとき、非常に苦しく、果てしなく苦しく、全ての人が何か個人的に軽くない悩みを苦しむのだろうそれなら一体どういうこと?と思う。

わたしだけでなく全ての人が、このように個人的な苦悩を苦しむと思わないとやってられない。それに心がはじけ飛ぶような感じなので、苦しみを忘れて、じっくりと個人の楽しみを楽しんで、ちっちゃい子みたいに何度も集中して、無心に帰らないと、わたしはやってられない感じ。子どもの頃されたことを誰かに知られたら、壊れてしまって二度と戻って来られない気がする。

 

小石を一心不乱に拾いたい。さい頃、さい落ちているものを拾うのがだいすきだった。これは私の人生ですごくえたい。え直したい。

 

子ども本人が里親へ行きたいと言って、その希望が通ることがあるとか。幾たびか聞いたり読んだりする話なのだけど、私には、想像を超えている。本人の実体験の語りが、真実なのだと思う

 

砂浜で、河原で、このことを存分に想いたいし、無心に小石も拾いたい。

人がそれぞれ、自分の気持ちを大事にする時間、怒りや悲しみや喜びを全ての心を安全の中で感じる時間、建設的に奮闘できる時間、無心になれる時間、ひたすらのんびりする時間、そんな個人の時間が、人々にありますようにと祈りたい。

 

(もしできたら、自分だけの想いをもってみたい。途方に暮れてる子どもの時、大人が、このまま子ども同士阿鼻叫喚の中に過ごさないで良いと言ってくれて、里親へ行く権利もあると教えてくれること。私が、共にすごす小さい子達についてショックを受けていることを知ってくれて、小さい子達が里親へ行ける世界もあると教えてくれること。自分だけの想いをもっても、いけないことではない、それは建設的な良いことだという風に言ってくれること。)