できごと

誰が何をどう思おうが私自身は里親さんをすき

里親さん、里親制度のことを大好きだという気持ちにひたりたい。

 

絆のための戦いを経て、つながりあえた里親子さんのエピソードを読むとうれしくてしあわせで涙がこぼれる。

 

私の心の中にひそむ苦しい気持ちは、なぜあの子や私は里親さんに出会えなかったの?と思う事・・・子ども同士でともに暮らしてしまったので、「この子には私の世話でなく、研修を受けて愛着について学んだよき里親さんの世話が要ったのでは?」この思いが湧き出る。

 

私は誰が何と言おうと

里親さんがとても好きで里親さんのもとへ行きたかった。

でもより小さい子が行って欲しいと思うし、

小さい子の世話を大きい子が無自覚にするせいで、再演的な暴力が増える建物内だった事で、見たくなかった、幼子が住んでいなければ幼子が里親へ行ければ、自分は行かないままで良かった、という境界線のない、小さい子と自分を混同した思いが湧いてしまうし、

誰が何をどう思おうが私自身は里親さんをすき、

という気持ちをじっくり味わおうとすると

大きな恐怖がやってくる。

ここの生活、ありなの?と疑問を持ってはならなかった。

 

本当は世の中には良いものもたくさんある。制度の種類を問わず。

子どもがその子個人の思いを持つのをすてきだと思い、願ってくれたりする人もたくさんいるのだと大人になってから実感するようになってきた。

それに、私は楽観人間。里親さんを大好きな思いに心からひたろうと思う・・・

 

里親さんがすき、こういう風にして欲しかった、という思いは、それがあれば大人になってからでも自分に向けて、自分で自分を育てるチャンスでもある。

 

私は小さい子を大事にできなかった。

なのでどこであっても子ども達が大切にされているのを知ると、とっても、とってもうれしい。