できごと

>乳児院では何でもできる賢い子という評価を受け、遊び食べなどほとんどしなかったYちゃん

あたらしいふれあいを少しずつ少しずつ読み返している。

2004年3月20日のp2、3より引用。書いた方は、協会職員の方。初めて担当した子どもさんのこと。

 

>Yちゃんの親子むすび

>Yちゃんは現在、1才10ヶ月の女児で、里親さんに引き取られて、もうすぐ3ヶ月

 

引き取られてから1ヶ月半の頃、家庭訪問での様子。

引き取ってまもなく壁に貼ってあった夫婦だけの写真を見て、Yちゃんは不安そうな様子をしたのだそう。すぐに3人の写真を飾ると安心したような表情をし、2歳にも満たないYちゃんの感覚の鋭さを感じたのだそう。

里母さんと話しているそばでYちゃんは遊んでいて、時々思い出したように里母さんのもとへ走ってきて体当たりし、里母さんは受け止めてソファのほうへ押し返す。Yちゃんはおもしろがって飽きるまで走ってくる。

 

そのあとYちゃんはクリープをコーヒーに入れたがり、手ですくって訪問した協会の人のコーヒーに投げ入れる。コーヒーはあふれる。水遊びのよう。クリームまみれになりながらケーキを食べ、手のクリームをこねてまん丸と笑顔で言うYちゃん。協会職員さんは、上手ね〜と言い、常々里親さんになんでも受け入れてくださいと言ってはいるが、うわっと思ったりもしたのだそう。Yちゃんはそれらの行動を出す人をYちゃんなりに選んでいる様子。一般の人が見れば、どうなのか?と言われそうな事。でも・・・

 

乳児院では何でもできる賢い子という評価を受け、遊び食べなどほとんどしなかったYちゃんが、自由奔放に振る舞っていることに衝撃を受け、帰りの電車を待つ駅のホームで、「Yちゃん、楽しそうで良かったです。でも、話で聞いているよりすごいですねぇ。私には養子は育てられないと思います。」と同行していた☆に断言してしまいました。(☆ブログ主により一応伏字、協会職員の方。)

>Yちゃんのこれらの行動が「ためし行動」と言えるのかどうか分かりません。しかし、生まれてまもなくから集団の中で暮らし、我慢をさせられることが多かったこれまでの生活を吹き飛ばすかのように、「今、やりたいことを、やりたいようにやるのだ!」という嬉々とした様子のYちゃんから、子どもらしさを感じ、爽快感を覚えました。

 

とのこと。ふれあい機関紙を読み返すたびに、私は爽快感や嬉しさがこみあげてくる。大抵1記事がわずか2ページなのですべて引用できればいいのだけどやはりまとめた。でも、ふれあい紙の文はそのまま丸ごと読んだほうが断然伝わりやすい。

 

今の私の課題は、どのような時にしろ、嬉しさを謳歌する感じをすっとずらしてしまう事。身体の内側を観察して、嬉しい気持ちがわいているところにじっくり焦点をあててみている。