できごと

里親さんが見つからず愛の手欄に何度も載る子どもたち

機関紙あたらしいふれあいを少しずつさかのぼって読んでいる。

里親志望者でなくても、あの子どうしてるかな・・・と思うことのあるような、社会的養護を経た若者や、養親や里親のもとで育つ子どもが友人や知人として身近にいた方なども、きっとふれあいの内容を読みたいだろうと思う。

 

週末里親子は大阪府全体で70家庭を超えているそう(16年4月ふれあいp7)。

17年7月の紙面には、ここ数年の協会の推薦ケースが20件を下回り低迷していたが昨年は26件という話が。

18年4月の紙面には、昨年度は養子については18件のマッチングで、中身が濃かったとある。

 

17年3月p1には、遠方の里親さんの実習中の滞在場所として「ふれあいの家」に北海道、山形県、長野県、茨城県の里親さんが利用して子どもと関係づくりの外泊もできたことが書いてある。同じ月のp4には、養親講座で提示されていた、まだご縁を待っている子どもの写真を見てAちゃんを見つけ養親になった方のことが書いてある。

それで私は、遠くから里親さんが来てくれているんだなあとしみじみ思ったり、やはり里親を待つ子どもたちがまだいるのだなと再認識できたりする。

 

18年3月のふれあい紙p2。遠方から来たA夫妻のこと。1年のうちに3人の子どもに申し込んだがご縁がなく、決まっていない子どもへ心を向け、別の里親委託から1ヵ月で施設に戻ってしまったばかりの6歳手前のモモちゃんとの面会にこぎつけたこと。養子縁組が整うまでに、里父母に出す、モモちゃんの施設時代から続く不機嫌さや怒り。里母「思い切り出してくれたらいい」。1ヵ月経つと落ち着いている時間も増えた。昨夏、ふれあいキャンプにも参加。一番年下だったが楽しんでくれていた。A夫妻は引き取りの前に、厳しく覚悟を問われていた。どんなAちゃんでも焦らず、根気よく関わってくれた・・・そして養子縁組が無事に整ったのだそう。

 

私はとってもうれしい。それ以外言葉がないくらい・・・。

 

「愛の手」に掲載された子どもで、今も里親が決まっていない子どもが何人いるのか正確に私は知らないけれど、10名弱はいるのではないかと思う。(週末里親に行けない子どもなども含めるともっといると思う。)下記、少々前の記事だけど抜粋します。

 

13年3月ふれあいp1より抜粋、

>今年度も、里親さんとの出会いがないまま『年度越し』をすることになる子どもが10数名います。その多くは、年齢が高かったり、発達が少しゆっくりだったり・・・という子どもたち。親の事情が複雑で、問い合わせはあっても、どなたも申し込みに至らないという場合もあります。何とかチャンスを・・・を、「愛の手」に複数回掲載してきた子どもも多い

 

>今年度は5回目の掲載にして、ようやく養親さんとの出会いがあった子どももいました。

 

13年11月ふれあいp2より抜粋、

>Aちゃんが3回目に「愛の手」に掲載されたのは4歳6ヵ月の時。1才の時から掲載されていましたが、出会いがありませんでした。

 

14年4月のふれあいp2より抜粋、

>A君は、2歳の時から3回「愛の手」に掲載され、ようやく里親と出会い、普通養子縁組が成立しました。

 

14年8月のふれあいp4より抜粋、

>A君は5歳1ヵ月で3回目の「愛の手」掲載となり、里親との出会いがありました。

 

14年12月のp6より、

>今年は子どもたちと里親さんとの出会いが苦戦している。年々、申込者の年齢が高くなり、「愛の手」欄に掲載される子どもの年齢に偏りがあって、マッチングがうまく進まないというところもある。しかし、今年は年齢の問題だけでなく、問い合わせがあっても申し込みに至らなかったことがけっこうあった。その理由には、子どもたちの背景が複雑であることによることが多い。特に、実親に精神疾患があるとか、覚醒剤を含めた犯罪歴がある等と知ると、子どもへの影響を心配される。また、子どもに発達の遅れがある場合も、なかなかチャンスがない。

 

>申込者にその子どもが抱える事情を聞いて、そうならざるを得なかった状況を想像し、理解しようとしてもらえるにはどうしたらいいのだろうか。私たちはいつも悩みながら取り組んでいる。 

 

◇◇◇

 

その子の抱える全てをOKとして迎えてくれる里親さんが見つかったことを読むとうれしい、でもとても見つかりにくいのだそう。愛の手欄に何度も載った子どもたちにも、よき里親さんが見つかりますように。

最後の抜粋から連想して、不良や非行者と呼ばれていた子どもたちのことを思い返すと、沢山の大人たちから罵倒され罰され蔑まれていた場面ばかり思い出す。それで今も体が戦慄して、何も考えられなくなるのだけど、そんなにも罰し蔑む大人を、やっぱり私は憎んで恐れているのだと思う。今度、それが何だったのか、もっとちゃんと思い返してみたい・・・