できごと

里親に関する会報を図書館で読めたこと

 そっと見守る消え去らない大人がいない、子どもの無残な様子を見て、ずっと辛かった。たびたび廊下でトイレをする女の子のことはどう考えればいいかわからなかった。

 大人になってからやっと書籍を読んだりして、そういうことはありうるのだと把握した。それで私は自分の接してしまった世界が、この場所でしかない唯一の孤独なものではなくて、ここしかありえない孤独なもののほうがよかったかもしれないけれど、この場所以外にもある事なのだと把握した。

 

1992年4月20日のあたらしいふれあい誌によると、

愛の手掲載児童1300回の分析。

掲載された子どもの数は1383人。

男の子は807人、女の子は576人。

1345人は日本国籍。38人が外国籍。

1992年5月20日のあたらしいふれあい誌によると、

「実親の事情が複雑な子供や、年齢の高い子供、あるいは0歳児であっても男の子」が里親が見つかりにくいのだそう。

 

2005年8月20日のあたらしいふれあい誌によると、

「T君と同じように、愛の手に掲載されてから、何ヶ月も何年も養親との出会いを待ち続けている沢山の子どもたちがいる。彼らのことを思う時、T君と養親とのこの出会いは、「決してあきらめちゃいけない」と、私たちに力を与えてくれる」とあった。

(手元コピーを見直すのはこわくて、大切なメモノートを見てる。ほんとははっきり見直して打ち込みたい。。)

 

 去年、はじめてやっと、あたらしいふれあい誌(古い年代)が大阪の中央図書館にあると知った。急にドキドキして、嬉しくて、涙が出そうだった。嬉しいことが怖かったので、血圧があがって倒れないように気をつけた。それで私は、孤独に思ってずっと苦しんできたけれど、毎月毎月何十年も会報が出ていて、大人たちが里親の必要な子どもたちのことでずっと骨折ってくれていたことをやっと知った。実際に原本を手に取れることはとても大きいことだった。

 

 今年からは、あたらしいふれあい誌(新しい年代)が東京の国会図書館で読めるようになったそう。全ての児童相談所へ送られている機関紙だと何年か前に聞いていて、いつかさかのぼって読み込める事を願い続けていた。

 

 ずっと孤独だった。恥ずかしいことだけど、ある福祉関係の会報は、あれもこれも国会図書館で読めるのに、私が何より読みたいやつはあれもこれもない、と恨みに思っていた。いくつかは購読を選んでいるけれど、読みたい十数種類の会報を全ては購読できないので、国会図書館にだけでも置いてあったらなと思っていた。大阪府立中央図書館にあるだなんて思いもよらなかった。手に取るまで半信半疑だったけれど、実際に手にとったら、長年の苦痛が解けていくような感じだった。

 

 わがままだけど、いつか誰か、あしながおじさんが、「ストックしてるから、会報の欠番をまとめて寄贈しても良いよ」と寄贈してくれる願いは持ち続けてる。3500部ほど印刷されているらしいから、誰か購読して残している人が・・・。でも私にはできないことなので、大阪と国会図書館で見られる年代があることをただ嬉しく思っていたい。まだ読み込んでいない箇所も多いので、また読みに図書館へ行こうと思う。