できごと

葛藤と自尊心の無さについての内容

 子供たちの世話が人並みにできなかった事が本当に恥ずかしい。私は里親になりたいのでもなく、子ども達の世話をする大人や専門家になれそうなのでもなく、小さな子の代弁をしたいわけでもなかった。3、4人に1人が子どもだけの建物で暴力を振るわれると読んだことがある。私も逃げられなかった。私は盗みも、リンチもしたことがなかった。でもあの場所で即、被害と加害に応じ、生きていかなければならなかった。知らない人から受けた危害が、そこでは即、無自覚に小さな存在に向かうかもしれないものになった。

 家にいられない。そして小さな子に対処できないのなら、たとえ私がもう養子縁組をするには大きくなってしまっていても、里親のもとへうつしてほしかったと思う。同居人でいい。高校生ぐらいで、施設への宿泊をほぼ経由せずに里親のもとへ行けた子どもの実話を読んだことがある。私は、建物内での暴力も、この高校生の話も、本当かうまく認識できないところがある。

 

 すでに大きくなった私だけれど里親へうつしてほしい、と願う時に、避けて通れなくなってきた気持ちがある・・・。それは私が何か言うと小さい子が里親へ行くことの阻害になるのではという恐れ。

 書籍の心的外傷と回復で、戦場はもう嫌だし犯罪だと述べて抜け出した男性に関する実話があったと思う。すごいことだと思う。大きくなった私でも里親へ行かせてほしいとか、自分の抱える力が小さい子に向かう事を恐れるとか書く時に、この話を思い出す。小さい子が居続けるとしても私は抜け出したかった。でも自分のことはすごいなどとは思えない。

 

  大きくなってしまった私が施設から抜け出て里親へ行けても、あの場所に小さな子ども達は居続ける。それについてスポーンとぬけて思いやれない時もあるし、キツイ時は、本当にキツくなる。里親委託率が4、50%になるような県もあり、10%ちょいの県もあることが、本当なのか、実感を見失うことがある。誰にもかえりみられない小さな子は、いるのだ、と認識したいけれど、する力を私は失いがちというか。

 

 大きくなった私でも里親へ行きたかったとかつての願いを書く時、小さい子全てが里親へ行くのがまず第一なのだ、と思い自分の願いを遮る。乳幼児(や近い年齢の子ども)と、それ以上の年の私とはある程度(あるいは完全に)違いそうなのに、同じところで暮らしてしまうと、境界がなく、私は自分の理由から幼い子について書いてしまっている感じがする。それに、書籍養護児童の声では、里親などナンセンスで僕はずっと児童ホームへ居たい、と述べる子どもや、語り合いの機会があった事で十数人中、5人ほどが自ら里親を探して発見し里親のもとで暮らすようになったという内容がある。里親と合いにくく、しかし「次の里親を探してほしい」と言ったことで次の里親へ行った男の子の話(埼玉のほうの本)も読んだし、本当に人それぞれで・・・。

 

 なので、私は、ここでぐらい、私個人の言葉と想いを認識したい。だけど、私も里親へ行きたかったとか、あの建物が嫌だったし私は外で駆け回るのが好きだったから海浜留学里親/センターでも良かった、旅館の同居人みたいなのでも良かった、などと言うと、小さい子が里親へ行くのを阻害するのではと悩む、緊張する。ドイルが推理小説でホームズに、「この連れ子はかつて不慮の事故で不具になり、継母と父との間の健やかな赤ん坊を見て心をすり減らし、家にあった吹き矢の毒で赤ん坊を刺した、それを吸った継母を吸血鬼だと父のあなたは間違えたのです。連れ子は1年ほど海岸へ行かせてあげることですね、、」という内容を語らせてたけど、私もそういう風で良かった感じすらする。

 

 小さい子は特に里親が必要で、私は、大きくなっていたので、また違った内容でも良かった気もする。あるいは里親が必要な子には里親が必要で、私は単に本質は不登校系統の子どもだと最近気付いてきたので、私個人は、支配されない学校へ行ければ充分だったのではないかとも思う・・・。自分の感じ方を、つかんでみたい。書籍『この国の子ども達』で引用があり、日本の児童養護を研究したグッドマン教授が「不登校の子どもが施設入所を検討されるのはなぜなのか」も研究対象にしてたことが書かれてた。あの建物で私は「なんて真面目なの」と言われてたけど、小さい子達と一緒にちゃんと暮らせるとは、私は、思えなかった。

 回想すると、アウシュヴィッツで餓死監房送りとなった見ず知らずの男性の身代わりになりたいと言って了承され、最期までほかの囚人達をケアし、餓死監房で祈りを捧げていたマキシミリアノ神父と、小さな子どもが重なる。小さな子どもが、私の身代わりに施設、愛情の餓死監房に入っていたのだ、と。

 

20180112追記、(私が里親へ行ったら)

 私のせいで、ほかの子が里親へ行けなくなるのだと思う、と今日朝、やっとはじめて言葉になった。でも誰か子ども達にそういう思いはさせたくない。どんなジャッジも、評価も批判もせずに自己の内面を観照したいと思った。