「あれら」の出来事と、トイレに関連したこと
あれらの出来事
恐ろしくておぞましくて崩壊するような、子ども時代のとある出来事のいくつかの場面でわたしは気持ちよかった。
恐ろしくて脱獄を切望していた。暗い影を化け物、怪物、魔物のように実体験している。そして崩壊しそうだったのと同時にとても気持ちよかった。
(おそらく生き残りの手段だったに違いない、様々な意味で。今ふと思っただけだけど。)(こういう把握はよくするけどすぐ消えている。このカッコ内は読み返して付け加えてる。)
ここまではシンプルな被害なのでOK。
トイレに関連した出来事
別の時、トイレへ行くのは非常にプレッシャーだった。トイレへ、どうしても行きたくなかったのを覚えている。とても、嫌だった。
言ってはいけないこと・・・
ちょくちょく、何人かの子がつきまとってきた内容を、意識の上にあげて、取り乱さずにもう一度思い返してみることは、ずっとしたことが無かった。いつも何人かの子が私(やほかの誰でも)につきまとっていた。数人、全て年下の子だった。誰だかうろ覚えな子どもたちもいて、それをとても苦痛に思う。(覚えてれば考えていけるのに混じっているところは思い返して検討すらできない事がとても、とても苦痛。付け足しメモ)
ある子が、ある時期、居間(ホール)や食堂や廊下や浴室やトイレなどについてきた。私は、逃げ回っていた。・・・うまく書けない・・・
誰も来ないことを見計らってトイレへ行くようにしていた。なのにある女の子は、私についてくる。トイレは、安全な場所ではない。今私は明確に加害者として書こうとしてる。けれどふと思ったのは、その子も安全では無かったから一緒に来ようとしていたのか、どうなのか?といった内容(この瞬間まで一度も自覚しなかったのでメモ)。
誰も来ないことを真剣に、恐れつつ、見計らってトイレへ行くようにしていた。何かが・・・具体的なものがあったわけじゃない、でも、私やおそらくその子たちがトイレへ行く時、安全感が皆無だったのは確かだと、把握しておきたい、あいまいだけど。
最後にもう一つ、2017年10月21日まで関連付けてこなかったこと
私がどうしてもトイレに行きたく無かった、嫌だった、
そのことと、
とある低年齢のこどもが食堂の方につながるある廊下で繰り返しトイレをして、それを散らかし投げていること。
これをやっと関連づけるようになった。その子もトイレへ行くのが苦痛だったのではないかと考えるようになった。今までは感情がなく、この記憶は、悲しみや感情の伴う記憶ではなかった。私はその子に何か問題があるのかとずっと思っていた。もし大事に家族・里親家族のところで育てられていたなら、と思う。
ここは私だけの安全な場所・・。書けてよかった、と思う。
書くまでに至る背景は、2015年冬以降〜に下記をやっと読んだ事。
「あたらしいふれあい1」p121、p216、
「あたらしいふれあい2」p54、555
里親さんに引き取られた、ずっとトイレにもついてきたりするこども
特に「あたらしいふれあい2」p247
里親さんとずっと居たがりトイレへもついてくるこども
「僕がほしいのはパパとママと釣りざおだった」p141
シャワー嫌いやトイレを「目もあてられないほど」汚す12歳くらいの子どもが
p291「ちゃんと、ケツも、拭けるように」なるまで。
そして
「こどもの声 里親家庭・居住施設で暮すこどもの意見表明」
バーバラフレッチャー著
この626人の様々なこどもの声を、
読みたくないけど読みたくてなんとか、やっと、少し読み進めた事。
これらを読んでやっと言葉になった。私が言葉にするわけは、あらゆる意味で人間らしく生きることを模索する過程で、強くつまづく何かがあり。私の場合は、子ども時代の出来事を見ない言わないままにしてる事が、人として生きる事を妨げていると思ったから。
たぶん、叫び
想うに・・・子ども集団で寝泊まりする場では、誰にでも必死に(テキトーに?悲)つきまとう、安全感を持たないとししたのこどもが居ると思う。全く人に近寄らないクールな子が居ると思う。里親さんのもとに引き取られたこどもの幾人かは、里親さんだけにつきまとう。(最初は付き纏わないかもしれないし、誰にでもかも。でも、)里親さんのもとでなら安全感をはぐくめるこどもが少なからず居ると想う・・・・・・。
自分の加害について書こうともしたけどずれた。