争いの記憶の洗い出し、2017年5月頃
最近は、子どもの頃何があったのか本当に知りたいと思うようになった。いくつかの場面で、年下の子どもが繰り返し私にまとわりつく時があった。
私はこの子どもだけの暮らしが嫌で、たぶん許容量を超えていたので、
それを自覚しないまま全ての子とかかわらないようにしていた。
罪の償いはこの人生では不可能だと思い始めた。私は言い訳をしている、繰り返し、トイレやお風呂にまでまとわりついてきて、逃げても離してくれなかったと。私はトイレのドアを必死に閉めようとして取っ組み合った。その手の感触が残っているけれど、恐ろしいことに、取っ組み合いははっきり記憶していても、殴ったか蹴ったか、ドアがあたったか等回想しようとしてもそのつど違って、憶えていないっていう壁に突き当たってしまう。
追いかけてくる年下の子どもから逃げ切れる時もあった。
執拗だし、さらっとしていた。今も苦痛なのは、その子は別の子たちのほうへ向かい、激しい争いになったのを見た事。
私はフォスターファミリーの制度は重要ってことに強く頷く。(2017.5.16のノート)
2017年冬頃のノートには過去を回想してて、ある小学生の女の子が罰を受けていて宙に浮き、床に倒れて、叫び声がした、と書いてある…
この場面は繰り返しノートに書いてあって、その都度、とても怖いとか、感情が湧かないとか、麻痺や、陶酔の感覚のことも、書かれてる。
何があったのか知りたい。
(2017.6.28に読み返したら、全然実感がない。実感が持てない事は、たとえ、子ども達がなにかむごい目に遭っていたとしても、見つめることのできる状態じゃないんだと思う。)