里親さんを知りたかった子どものわたしについて
子どもの頃に里親さんを知りたかった・・・
今も、里親に関する情報/サイトを見たいのに、そこは自分の行っていいところじゃないと思ってしまい何日も見られない時がある・・・。子どもの頃に感じた火あぶりを連想する。
「どうして子どものころに教えてくれなかったの?子どものころに分かりやすく教えてくれていたら、わたしは里親さんの講座へ行って、わたしの里親さん(短期でも)を探して下さい、と言ったのに。何度でも行ったのに。」
たびたび、わたしの叫びの言葉は、色んな人を批判しているのではないかと感じてしまう、なんでだろう。。
里親さんを応援してくれている色んな人だっているのだ。もう、火あぶりなど連想しなくていい、自由に文章を書いていいのだ。わたしの言葉は、わたしの心、わたしの想い、わたしの祈りだ。
火あぶりを連想してしまうより、色んな人の祈りをもっと感じとろうと決意。実質、火あぶりの連想と人の祈りを感じる真剣な時間の、どちらに真実重きを置いているかと内面を調べると、わたしは自分の浅はかさを見つける。
どこにいても人を批判せずに里親さんを応援する方法が、もっときっと沢山、豊かにあるに違いない。そのフィーリングに包まれようとおもう。わたしは、まだ、もういまは不要な怯えの中にいる。
どうぞ里親さんのサイトへ行ってみてください。
里親さんの活動について、お知り合いの方と話してみてください。