あじさいと海の写真を現像しに行きたいです。

絆のための戦いを描いてくれている。ドラマ「はじめまして、愛しています」

諸事情で2話めから観ています。2話めの感想。

 

 このドラマでは、このひとりの子に焦点をあてて(実際にあり得る)物語として考え学ぶ事が出来る。実際に身近にある物語として考えて下さる方がきっと増える、と思えた。

 

 新しく里親さんへ引き取られた、難しいと言われていた子ども、一(はじめ)。でもはじめは3日で試し行動を出せた。里母美奈の、「ほかの人がいると大人しいんです、わたしと2人のときだけ」という言葉も、実際に現実である感じが伝わってきた。ドラマだとあっという間だけどかなり美奈はがんばったんだと感じた。

 

 唯一無二のお母さんをどれだけ子どもが必要としているか。それが言葉になっていないにもかかわらず、全身で表現する子ども(それを描いてくれるドラマ)。

 施設ではひとりでいた。今回のような表現を見せたい対象も無く、5歳ぐらいになるまで、乳児期から必要な対象であるお母さんお父さんがいないまま、必需な要望を表現せず静かにしている。そして対象者が現れると、試し行動に移すことが出来る、という実際にあり得る事実を、感じた。(家庭養護促進協会の機関紙をまとめた書籍「あしたから家族」にも分かりやすく載っている)

 

 子どもの行動表現で、里母美奈は子どもの虚無をおもい、苦しくなれる。子どもの里親になろうとして、子どもを引きとらなければ実感し得ない、施設では顧みられる事のない(対象者がいないと出来ない)その子の虚無。


 子どもだけの建物にいた、はじめと似た眼と雰囲気の幼い子達の群像を思い浮かべる。しかし、はじめは群像ではなくなり、対象者と出逢った。わたしは対象者と出逢うべきあらゆる子どもが、必ず出逢えますようにと改めて願った。

 

 出逢えない子どもは多いのだ。産みの親御さんがもしもフォスターケアのもとへ子どもを送り出してくれたら、もし果てしない苦悩のさなか、子どもを里親のもとへ、と考えてくれたら。そしたら子どもは施設の群像でなく、あのはじめのようにひとりで静かな虚無の眼を持ち続けることなく、成長していつか、産みのお父さんお母さんへ肯定的な気持ちが沸き起こるだろうと感じた。

 

 ドラマを観て再び施設にいた子ども達を思い浮かべる・・・

 真空の部分のあるわたしの子ども時代をおもうと苦しくなるが、わたしはそれでもこのドラマを、心から有難くおもう。

 施設へ居続けるのはたいへんな虚無であるし、たとえば、羽子板や破魔矢という言葉も覚える機会がなかったり、料理、家・部屋の整備、親族や家に来る友人とのかかわりなど、通常のまあまあの家庭経験がとても不足する。

 

 産みの親御さんは、ものすごく苦渋の決断なんだと思う。ドラマ明日ママがいないでは、むちゃくちゃな産みの親御さんが描かれていた。でも書籍「あしたから家族」では、もっと苦渋が、苦難が書かれている、産みの親の苦悩、離れて暮らす子の苦悩、あたらしい親の苦悩。なんとか見守る家庭養護促進協会の人。

 

 このドラマでは、はじめに対象者が現れ出逢いを果たしたことで、いつかはじめが産みのお母さんに自然に逢えるような感じ、逢えなくても産みの母についての虚無は感じず癒えた気持ちで肯定的に産みの親を思うだろうという感じを持てたし、そのように思わせてくれるドラマを観て、とても有難く、とてもびっくりした。

 

 一喜一憂していてはいけないと思って気持ちを落ち着けて真剣に観た。
里親さんになりたい人も、地域で行動している大人も、施設出身の人にも、観てほしいドラマだと思った。

 

 里親の意思疎通については、

里母は「勝手に父を呼ばず、呼ぶときは明確にそう言ってくれたら、心づもりをするから」と伝え
里父は「なぜ父を呼ばないのか。助け合わないといけないのだし、難しいだろうが短時間、どうぞ呼んでくれないか。はじめはひとまずピアノに興味があるようだし、親族の紹介としてもいいだろうし。」とわかりやすく言い合えば良かったのではと思うが、

 それらは意図して端折り、苦難と現実の戦いと心的な出逢いの部分をクローズアップしフォーカスして伝えてくれた感じ。まだ2話だけどすごいドラマだと思う、やっぱり無理して1話も観ればよかった。
 こういうドラマが出現する社会になってることがまだちょっと、良い意味で、信じられないかも。