できごと

大きなわだかまり。里親さんについて知る事への罪深い甘えの気持ち

実親の親権問題があるなら、フォスターケア家庭の元で実親を待つ選択を取ってほしいと思った。短期里親の元から、長期里親を待ってもいいと思う。

 

以前「8歳以下ぐらいの子と10歳以上の子とは施設を分けてほしい」みたいな事を書いた。書いてから何かわだかまっていた。

私が小さい子ばかり居るしかない場面をくっきり覚えてしまっているから、「居るしかない」「ずっと居るんだから無くせるわけない」に凝り固まり記事の最初の一文を思いつかず、今日やっと言葉にして書けた。

 

幼い子に乳児院・施設暮らしは要らない。それが根本。

フォスターケアの元では、1人の子どもに固有の育て親を含め10人以上もの大人が関わり、支えるのに対し、施設ではいつ誰が通りすがりに何をしてくるかわからない中、固有の良き後ろ盾としての大人親がおらず、子どもは放置され見守られないままなのだという事実を覚えていたい。

 

私は年上での入所のため、幼い子が施設に居る事に対して無感情になりがちだと思う。心から願う、幼い子が捨てられたり虐待を受けたら、まず施設へではなく、まず短期里親の元へ行けるようであればと・・・。

けど
里親さんについて語ってはいけないような気分にすぐなってしまう。

 

頭の中に里親の一語が無くて、里親の選択肢を要望することを思いつかず、気が付いてもその途端に、言うのが危険で、恥ずかしい、罪深い甘えに思えて・・・。

 

一時期数年以上、里親さんの語がよく出る資料や書籍に惹きつけられ、自分とは関係ないと思うのに惹かれて読み漁る時期があった。数年、それ以上先へは踏み出せず、里親・養親の団体サイトにはほぼ4年ほど?一歩も足を踏み入れなかった。

 

こういう私のような子どもが居ると仮定すると、ここで、

数年待ったりせず、今すぐ検索して里親・養親の団体サイトに行ってみて下さい!と書くのも手なのかな。ぜひ里親さん養親さんについて考えてみて下さい。

 

自分の事ではないけど、幼い子の事をやっぱり忘れたくない。他者である幼い子の事を書き続けてるけど、これは自分を加害者にしないための戦いなんだとも思う。

2016.7.15のメモ