できごと

心優しい家庭と、子どもだけの施設・・・忘れないでいたい。

子どもの頃のとても楽しかったことと苦痛だったことを見つめていたいと思って記事を書いた。

 

ザリガニ釣りと、セミ捕りと、草花摘みと、洞窟探検の、ものめずらしく楽しかったこと、それが家族の安全基地があったからこそだったこと。小さな青虫、小さな草、すべすべした石を見飽きなかった。蝶々やかいこを育て、特に気に入りの草を集めてだんごを作り、海と川でビニールとバケツに石を収集して標本にした。石を割るとマーブル模様の地層が出た。コインを湧き出るお湯につけてピカピカにした。

 

たまあみでよく行く池のいくつかのポイントをさらうと必ずタナゴやらモロコやらフナ、どじょう、ヤゴなどがとれた。父はこぼさないようそっと水槽を持ち帰ってくれた。母はいつも大漁だわ!と笑い、収集した石や貝をきれいに洗って窓際に種類ごとに並べるのを手伝ってくれた。私は「これでも、小さいのや種類によっては逃がしたんだよ。もっととれた。」と笑いながら言った。

 

小魚とエビカニ類とセミ、青虫などがいて、草原や野山や川べりを両親と散策してた。夏は時々近所の子と手持ち花火をしたり。それが小さなわたしの幸福の全てだった。写真に残っていないありありと記憶に残るシーンを思い返す。


小さな私が非行に転じたのは知らない人からの行為で、それはプロでない朴訥な家族には窺い知れず、癒せなかったこと、元々、私も含め、私達小さな家族に罪はなかったこと。これを考える。地域のほかの人にも誰にも罪はなかった。私には、知らない人からの行為が何かわからないままされたものだったので、それを単語などで表現できなかった。

 

繰り返し、家族と私に罰される罪があると考えてしまうし、マーブル色の地層、青虫、青虫の食べる樹の葉のことなど、どうでもかまわないと軽んじてしまう。立ち止まり、母がいつのまにか撮っていた小さな私の写真を複数現像して見つめる。

 

考えるのは、私は小さい頃は見守られて遊学していた、でも子どもだけの建物にはこの幼い私ぐらいの年齢の子が、見守られず、居た。それも忘れないでいたい。何が非常に安全でなかったか、何があらゆる不安定な要素だったか。