あじさいと海の写真を現像しに行きたいです。

外で性被害→非行化→施設入り

実はわたしは、学校と外で性被害→非行化→施設入り、という流れをもっている。


だから学校や外での被害が第一にあるブログに一番反応し、個人的にコピーして読み返していたのも、外でのすさまじい被害のブログだった。なくなってしまったブログだけど、一部分印刷したものを大事にとってあり、自分の気持ちをなくしそうな時に時々読み返す。親は急激な私の非行にとても驚いたのではないか。まだ性のことなど分からない時に外で被害を受け、親に話すにも言葉がなく行動に表れて、親や周囲が気づけずに非行化、というのも少なくない気がする。

 

まず、なぜ気づいてくれなかったのかよりも、知らない他者がしてきたことを怒りたいし、大抵の暴力や被害や虐待は親が、親族が、となるから純粋に外や学校での被害も親の未熟という分析だったりして、見知らぬ加害者への自分の怒りや恐怖や怯えはゼロになる。だから私が、子どもの私の、見知らぬ加害者への怒りや恐怖や怯えをなかったことにしないであげたいと思う。

ともかく私はこのように、学校と外で性被害→非行化→施設入りした。

(ここまでの記載2016.7.12)

 

そして施設では

家庭にいた、情緒的な子どもは、びっくりしてしまうと思う。子どもが捨てられている事に…。

 

自分も同じ子のはず。でも、違いがまざまざと浮き上がる。自分も捨てられたらこのよう(な状況)になるのだろうか。しかし大きくなってた私は捨てられるとか関係なく、幼い子はすでに捨てられてたのだ。その、異質なものが恐ろしい。

 

打ち捨てられている、前向きな子。元気な子。静かな大人びた目と声をしている、その子の孤高が羨ましく見えるのは何故だろう。同時に親なしの子と言いたくなる粗暴な気持ち。たぶん自分が捨てられたくないあまりの言葉。自分はその子とは違うと言い切りたくなる差別の気持ち。

 

「なんでこんな幼い子と一緒なんだろう」これが正直な過去の気持ちだった。たぶん、見ているのが、苦痛だった。

 

ほぼ私より年上の子がいなかったのに(同年代や年上の子は少しいた)、盗みはしょっちゅうあって、殺伐で粗野な雰囲気で、何も気に留められることはなかった。簡単に、盗まれる者が、盗みたい気持ちに駆られる。ここで盗みは安全な行為だ。ここは子どもしかいない、しっちゃかめっちゃか。

 

いずれ私は親に向かうかもしれない。でも今は、建物内で小学生と中学生がする恋愛を虐待と言えないので、子どもだけの建物に、子どもでは処理できない状況が多すぎた事について、心ゆくまで考えたい。親に私は、あの建物内で加害をさせるつもりか!と怒りたいんだろう。なぜ施設の内情を知らなかったの?!と。

入らなければ見なくてすんだDV。入らなければ知らなくてすんだ出来事の数々。

 

親は素人だから、施設職員や社会の大人にも怒りたい。親はど素人でひとりだ。社会に人はたくさんいるんだもの。そんなに人がいるのに、建物内では出来事が起こり続ける。それを親ひとりのせい、責任には、しようがない。すべての人は、子どもが施設に入ったら何があるか、知ってくれてなきゃいけないんじゃないか。

 

子どもは大人を手本にする。子どもだけの建物で破棄されている子どもを見たら子どもは、捨てられた子どもには手立てがないと考えるだろうし、誰からも思いやられず固有の大人に決して守られない様子をみて、非常に傷つき、攻撃を向け傷つき感を解消しようとするかもしれない。私の場合は特に性被害について、幼い子がいることで、自分を制御しなくちゃならなかった。

 

2~7歳以下ぐらいの子と10歳以上の子は同じ建物内に居ちゃいけないとずっと感じてた。居ることが驚きの連続だった。とんちんかんな思いだけど、施設をわけてほしいと感じてた、切実に。今はそう思っても良いのではと考えられるようになった。施設をわけてほしいというのは=イコール、幼い子を短期入所のみにして欲しい願いと一緒だった。

 

自立援助ホームは15歳以上?の子が入るらしい。同様に7、8歳以下の子しか入らない施設、里親の元へ行くために短期入所してる施設があっていいのではと思うようになった。親子支援が満ちて、短期フォスターケアの元から親御さんの元へ戻れれば良いと思う。それが無理なら施設入所せず短期里親さんの元から長期里親さんの元へ。施設って私には鬼門らしい、避けて通れるならそれに越したことないと感じる。フォスターケアも。親子支援がとても足りないんだと思う。
2016.7.11