できごと

里親さんの言葉を読み、嬉しくて涙が出そうになる。

里親さんは、子どもが、乳幼児が、子どもだけの建物に居続ける事を知って下さった。里子さん養子さんが来るかどうかにかかわらず、とにかくあの世界をみて知って下さって、里親の登録をしてくれた。時には里親についてや愛着について、世の中に発信してくれている。

 

あの集団の世界。

到底……、何が何やらはっきりせず、自分の魂が統御不能になり、はじけ散るような世界。わたしには全然合わなかった。いまもあの時の恐れに呑まれかける。気づくと暴力とそうでないものの違いが分からなくなっている。

恐れは、わたしに多様な事をできなくさせた。建物内で小さな子を思いやれなかった。わたしも子供だった、という気分にいつも負けてしまう。結果、小さな子の叫び声をわたしは庇わなかった。たすけてという小声を無視した。さらにわたしは子ども時代のわたしのことを詳しく知らない部分がある。

 

わたし全然子どもの頃は、週末里親さんの所へ行きたいと言っていいかもしれないことも知らなかった。実は2015年まで、全く無自覚に、小さな子ども達が捨てられているのは仕方がなく何の対処もないと諦めきっていた。里親という単語がふと目に入っても何のことか分からず気にならない5年ほどの期間があった。

 

そして、特に里親さんへ。

里親さんたちの言葉を読み、このような、素敵な里親家庭という世界があったの?とわたしは嬉しくて涙が出そうになるんです。年上の者だったけどわたしはくるしくて、小さな子、乳幼児だけでも建物内にいてほしくないとと願った。

 

それはすぐ焼き切れそうな火花だったけど、里親さんは生涯、里親さんだということ。

行動をし続けてくれている。登録をしていてくれている。

いまも里親さんのもとへ小さい子行ってほしい願いが自分の軟弱さのために擦り切れて無くなりそうだけど、消えそうなゆらぐともし火を、里親さんがいて下さる事で、わたしが続けて灯していられること。時には油断してうっかり気が狂いそうになる時もある、そんな時は、里親さんの言葉を読むんです。それで正気を続けていられる。

 

ここはわたしの書き殴り吐き出しブログなんですが、里親さんへのお礼の気持ちは、とても大きいんです。恥ずかしながら、わたしは、もう一度それを書き記しておきたいと思いました。2016.6.28~30ごろ。メモ帳下書きは、この3倍は長文乱文で1つ前の記事と同じこと書いてたので削りました。