子どもだけの建物では、子どもの無惨は、自然な日常だった
あの子どもだけの建物では、子どもの死は、太陽が昇って沈み、また昇るような、自然な日常だった。
それは・・・・・・、たぶん、わたしのおもう死と無惨は、まじかだった。
だから、わたしは
太陽は本当にまた昇るの?なぜ?と考えたりしなかった。(考える学者もいるだろうけど
太陽は昇り、雲は流れ、また太陽は沈んで、昇った。それの何が疑問だろう?
でもいつしか何故か考えることができるようになった。
子どもの死が、無残なことが、太陽が昇って沈むようなごく当たり前の悠々自適な日常であったのは、おそろしい、くやしい。
わたしはこんな感性の子だった。
安全になり、正しく苦悩できるようになれたこと、本当に良かった。
苦悩は、良心があらわれてくれたのだと解釈してる。
神々に感謝します。