できごと

施設で小さな子の無を垣間見ること

過去について。そばに沢山の小さな子が居た事とは。

 

 私のそばに小さな子達が居続ける事は、(別に里親になろうとしてたわけじゃない子どもの)私にとっては毒でしかなく、年下の子に対し排除的な思考しかなく、どうあがいてもあの子にとってこちらは加害者でしかなかった。このことがおぞましい。これに関してだけは、考えてくと私は自分の存在を滅ぼしたくなる。

 

 ほかの年上の子ども達がこういう感じだったとは決して考えない。特に私にとって、小さな子が、その無が、脅威で、害で、私は罪人だったのだ。

 

 私は、知っていた。たぶん・・・・・・・。その小さな子が遺棄されていて、生まれてもいないかのように、何をしても・・なんでもないとされるだろう事・・


 たぶん、施設には乳幼児からいる小さい子がいて、虐待受け続けた大きい子が入ってくる。大人の里親さん養親さんでも、捨てられた小さな子と絆を作っていくのは戦いになる。それなのに、要養護児童の小さな子と、大きな子をいっしょくたに入れたら、戦いが起きると思うのは、自然な考え方にも思える。


 小さな子は遺棄されていて静かで、大きな子は傷で苦しんでいる。2つは根っから別問題で、大きな子を、ミニ里親さんのようにしてはいけないと思う。大きな子は、小さな子がずっと施設で遺棄され続けてることへのショックが、自覚的にしろ無自覚にしろ、あるのだと思う。

 

 里親さんや固有の大人ががんばって、小さな子を慈しみ育てるのとは違う。大きい子は有無を言わさず、小さい子と過ごさなきゃいけない。それは大きい子に加害者になれと言ってるも同然と思った。


 里親さん宅でも、実子がいたら、実子をスタッフのように使わないように、と考えられている。もしも施設の中で小さな子や希望するあらゆる子が里親さんのもとへ行く事についてもっと考えられていたら、きっと大きな子達や、里親の元へ別に行きたくない子どもにも、それは良い知らせだと思う。小さな個人の存在と個人個人の事を考えてくれてる事だから。


 里親さんが、里子さんを見て虚無を感じ、心を砕き、苦悩を重ねるのと同様、施設内で大きな子も、小さな子の虚無を見てしまったら、苦悩すると思う。

 

 正直、わからないの、こうやって書いていても・・・何が何なのか、どういうことなのか・・・。わからない。理詰めで語れなくて、がくがく震える感覚のままに、書いてる。

 

 今回は特に私の暗さを書いたので、読んでくださった方ありがとう・・・。書いてる理由は、吐き出しと、発信と、そうせずにはいられないから・・・という感じなど。重い表現などでもし悲しませてしまったら、すみません。