できごと

子どもの頃に里親さんについてもっと知りたかった。私の居た場所は煉獄で修羅場で淵みたいに空っぽだった

状況

 どんなにいやでも、どんなに身体的な性的な精神的な喧嘩があっても、私のような児童生徒がそこから出たいと言えない環境にいた。

 いやだという思考を忘れる環境にいた。小さな子はクールで大人で、何かされていたとしても、傍の私のほうが怯える状況だった。

 

 幼児は3歳までだと思ってた


 検索したら、小学1年に満たない子は幼児とあった。5~6歳まで幼児だったとは。私は幼児を35歳だと、そういう表情で暮らしてるから35歳以上だと思ってたのだ。身体の歳はスルーし、精神年齢、表情の見た目年齢をみてた。

 

 10代前半ごろの私より5歳ぐらいの者のほうが実際、大人びていた。あの者たちは、何事も動揺せずにこなし、大人のかんしゃくもキレイにやり過ごし、泣かず、物を盗られたり周囲が犯罪的に騒がしくても通常運転で、本当にすごく大人だった。

 でも5歳だったのだ。やっとわかった。私は見たくないから、子どもの沢山いる建物の中の5歳ぐらいの者たちを幼児と呼ばず、者と呼び、35歳だ、誰よりしっかりしてるなどと無理やり考えてたのだ。

 いまも油断すると、35歳以上だからいいの!という空想に引き込まれる。実際にあの子達が幼児の年齢だってことを忘れ、本気で年齢不明になる。

 

 小さな子のことを考えたらどうなるか


 小さな子のことは考えたことが無かった。小さな子にもしも心を痛めたなら、その建物の中で私は苦しまなければいけなかったから。苦しむのが苦痛だから、年長者だけど私だって子供なのだ、小さな子のことなど知らない、と考えていた。それ以上考えられなかった。私は小さな子を虐げる子どもや大人を見て見ぬ振りした。

 

 いまは、とにかく小さな子どもたちのことも考えたい

 

「小さな子ども」などと書くことに脅えがあるけど仕方ない。

 特別養子縁組可能な6歳未満の子は、学園に居続けるのなら、いつも社会の大人達に、養子縁組を前提に考えられていてほしい。

 乳幼児が、傷ついた18歳ぐらいまでの子たちの中で過ごし続けることが、どんなに危険な事か。やっと朧げに感じてきた・・・

 


 特別養子縁組はあらゆる子どものための法だとも聞いた。そうであるなら20歳までを特別養子縁組可能にしてほしいという言葉もどこかで読んだことがある。

 養子縁組のほうが(どちらかといえば)しやすいが、いつも特別養子縁組・普通養子縁組が難しい、実親がいるとされる放置され続ける子どものことが難しい問題になっている、でも本当にその子だけのあたたかなお父さんお母さん…里親さんが必要なのだ、という言葉も。

 

 子ども個人個人に合った取り組みがより広がってほしい。短期学園入所者には、家庭復帰のための多様な取り組みも、私が知らなかっただけでこの社会には沢山あるそうだ。もちろん学園をもっとしっかりちゃんとしたものにしていく取り組みも。地域社会に知られにくいけど探せばあるようだ。

 


施設学園へ行きたかったけど行けなかった子ども、

里親さんを嫌だと言っていないのに来てくれなくなったと語ってくれた子ども(書籍あたらしいふれあい4編 参照)、

施設学園と里親制度とこの地域社会の不備により、行きたくない所へ行かせられ、逃げ出す手立てももてない子(これは施設のことも里親のことも指す。丁寧に聴き感じとる手間を惜しまなければ、社会がちゃんとしていたら、施設に放置され続ける子もへんな里親の元へ行かせられる子もいなくなると思うのだけど)。

 そういう苦しむ子がいなくなってほしい。

 
 自分のことをまず語れたら

 
 私は私のことをまず語りたいし、私のことしか語れないと思う。建物/学園に居続ける小さな子を、虚無を、見続けるのがショックだった。どうしても、小さな子がどうしたいかは私には語れない、私が語れることではないと思う。

 でも私は育ってから、小さな子・乳幼児の施設放置は子どもへの重大な侵害で、あたたかな新しい親御さんを探す取り組みがもう長いこと着実に行われていたことをやっと知った。あの幼い頃の私はこれを知りたかった、子どもの頃に会報を機関紙を読み、大人とこのことについて丁寧に話したかったと心から思った。それに、里親さん養親さん候補がたびたび来る建物なら子どもたちは小さくてもちゃんとわかって、自分のお母さん(候補)はいつ来るの?と言いやすくなる。

 

 子どもの私がまだ知らないことが多いので引き続き伝えてく、子どもの頃の私へ。 

 

2016.4.3~5

 

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 学園での私の犯罪を忘れない。

 施設は小さな子や私のようなタイプにとっては圧倒的な闇で虚無だ。

 あらゆる煉獄、修羅場があって、淵みたいに空っぽ。あらゆる闇は湧き出て逃れられない。

 

 大人になってからだと、すでに遅い。

 里親さんのことを知りたかった子どもには戻れない。

 里親さんのことを知り、学ぶ事が出来るのは、

 里親さんになりたい大人だけ。

 小さな頃に知りたかった、大人になってしまったただの子には、里親さんについて詳しく知る事が出来る場所は、もうどこにもないのだ。

 昔子どもだった者が、学園に里親さんの情報やパンフや映像をバランスよく置いてほしいと述べてもそれは、すでに手遅れだ。

学園に一つ、広報映像。

学園に一つ、里親会報。子ども・地域・人権センターにも一般家庭にも図書館にも。私はこれを願っていくと思う。とにかく子どもの頃、要所要所で、そのどこかで知れたら、あの罪を・・・なしにできたかもしれないから。