できごと

養育家庭を子どもの頃に知りたかった気持ち

2015年12月後半あたりに書いたメモの引っぱり出し。

ブログ記事にしといたら、メモの場所を忘れずにいられるかな?と。

 

あの場所でこわれる自覚と、養育家庭を子どもの頃に知りたかった気持ち

 

 とにかく、子どものわたしが里親制度について知っていたって良かったよね、知っていたかった。子どものわたしの気持ちは安心でき、ピュアで人間的な気がする。

 

 短期で子供100人の場所に居ただけでも、ほんとに子供が、どのぐらいのスパンでそこに居続けるのかわからなくても、わたしは、そこでこわれることを意識した。そのためにこわれない手段を用いたり策を弄したり恥じ入りながら必死になった、そのような覚悟が要ったのはもしかしたらはじめてだった。

 

 だから、短期だけのわたしが、そこにいた5、6歳?の人達の事実を知りえなくても、ここに小さな子がいていいのか?ここに居続けていいのか?と悩み続けてもいい思う。

 

 罰のための部屋があったり、子供同士「やーい、そんなことしてたら罰の部屋行きだよっ」と言葉を交わし合う建物。暴力のある、建物。たとえ暴力がなくても、無機質。

 私は外の世界で大きな加害があって→家でパニック&沈黙→子供だけの建物へ入った。なのでちょっと建物の中で浮いてた。一般家庭や地域市民の様々な仕事の場や通常の地域社会には、罰のための部屋や体罰はないことに改めて気が付いた。外の世界から急に私の前に現れた大きな加害を、一般市民の私の親がケアするのはそうとう難しかったと思う。

いま、村上春樹が何人かの仕事仲間と、サリン事件に遭った人の話を綿密に聞いて録音をテープ起こししたものを丁寧に載せている本「アンダーグラウンド」が手元にある。「取材に答えたいのだけど、家族や周囲にとめられた。巻き込まれるのは大変なことなのだと家族は言う」というような話が「はじめに」に収められていた。私の家族も、私のであってしまった外での加害について、とばっちり感があった。私は私の家族が、この地上に生きる市民として、里親制度について何も知らなかったことに怒りがある。そして私も何も知らなかった。

 

 わたしは子供個々人の要望を決める立場にないし、子供多数(100人とか)の入る建物と里親家庭、どちらの情報もより多くあってほしいと思う。 

 

 あの場所に居続ければ、殺伐の渦中で、視界に入る小さな児童への通常の気持ちが、しだいに荒れ果てた、ここに居ればこうなるのはごく自然だ、当然なのだ、という心に組み変わっていく。悲鳴、傷み、怒声、力などに感じるものがなくなる。そうなっていく時の、脳が組み変わるこわさ、興奮と、やさしい落ち着き感、いまではそれが脳内麻薬が出て麻痺に至る道とわかるし、

つらくてこわい。   (希望は、こんなこと前は一切言っちゃだめと自分を断罪してた、今は書いてるってこと。


 やっと最近はゲルマニウムの夜をある程度読んで、わたしが居た、子供が居まくる建物で起こった事のこわさがわかった。この本は5年以上は目に入りながらも、避けてしまってた。
 そのような事が起こる建物だけは嫌だ。安全な建物に居てほしい。安全な施設とは、

 里親家庭についても情報が豊かにあり、小さな子ができる限り早く里親家庭へ行ける、

 実親家庭に子どもを戻せる支援をしつつ、平行して里親家庭へ行けるように支援しながら、一定期間を超えたら里親さんの元へ行く支援に切り替えてくれる(必要なら実親さんに、子どもが学園で暮らし続けるのは社会的な放置であって、もし子どもさんとの繋がりをもっていたいなら、逆説的だけど、養育家庭へ繋げてくれること。これが子どもさんの心を守って、しだいに実親さんのことも考えられるように育っていく。里親の元へ繋げることは、実際には、実親家庭との繋がりを守ろうとする実親家庭支援なのだと真摯に伝えてほしい)、
長期入所者のいない建物だと思う。