できごと

小さな子への連鎖。(起きて少しだけ考えます、その後日常に戻ります

きっと沢山の人たちが小さな子どもについて考えて行動している。
でもまだまだ、子どもの私が情報を得られるようにはなってない。
あの敷地内であの5~7~8歳ぐらい?の子どもに群がる、同じぐらいの年の子たちと、
その周囲のもっと大きい子ども達。

乳幼児が、小さな子が、傷ついた沢山の子ども達の渦中にいるよりあたたかな家庭で育てられる事を
たぶん、わたしはもっと望みたい。誰かと話したい。ひそかにでもいいから
あの小さな子を小さな子どもとして感じる心をとにかく無くさず、捨てずに、もってたい。
それはくるしい。やめたいようなくるしみ。

私は一時期、子どもだけの寝泊りする住みかに居ただけ。
それでこれほどこのように苦しむのは、よくわからない。その子のことを忘れればらくになれるかもしれない。自分を守り生きるために、夜は熟睡して昼は通常通り日常生活をすごして、とにかくあの小さな子どもに対する私個人の思いを守ってる。ほんとにわすれたい。

なんにもなかったと思うけど今でも危機感が残ってる。怒声と叫び声と泣く声、マリア様の名前を繰り返す子どものロザリオを抱きしめる微かに鋭い音、泣き声と混じる笑い声と嘲り、放っておこうよという声、

夜静かになっても、こわかった。女の子6人部屋でわたしは年上のほうだったけど、こわかった。自分への危機感もそうだけど、なにかあれば私は年下の子を売っただろうから。それができるのは年上の子どもだった。(できないって言われそうだけど、大人→年上の子→年下の子→幼子の順に連鎖があったりするから)
しかもその時は自分の年上だということに無自覚だった。なにか私があの建物の中でしていても、いまも無自覚だったらどうしようって思いがあるし。圧倒的に年長者は強いし、大人は強い。ちいさな子どもはかなり弱くて、わたしはとてもじゃないけどあの場に居た幼い存在を優しく守り抜けなかった。下手したら盾にして走り去りそう。
罰は、言い逃れが下手な子や幼子が受けることになる。連帯責任の時もあるけど、うまくやれば逃れられる。方法をいくつかやって私は、逃れてた。そのたびにほかの子がされたのだと、認めたくないけどどこか印象を覚えてる。書けない、わかってる。書けるものならすでに無くなってる。神様。