できごと

夏季・冬季・週末里親さん

週末里親さんについて。

機関紙「あたらしいふれあい」から、「大阪府里親支援機関だより」の項目を引用メモ

 

 

2013年8月20日、p4。

 この夏も、児童養護施設の子どもたちは大勢週末里親宅に外出、外泊をさせてもらっている。(略)夏休みでも施設に残っている子どもも結構な割合でおり、ますます週末里親へのニーズが増えてきそうである。

 大阪市では週末里親事業として制度化されて、来年20年になる。

 

 

2012年10月20日、p7。

 クールであまり感情を表に出さない小学5年生のA君と、明るくお調子者の4年生のB君の兄弟。夏季2泊3日はとても楽しく過ごしたようで、別れの時は泣いて寂しがり、施設に帰ってからも「また会いたい。次はいつ会える?」と2人して言っていたようです。里親さんと再会した時は、弟のB君は里母さんの顔を見るなりパッと表情が明るくなり、嬉しくて笑いが止まらないといった様子。一方、兄のA君は相変わらずクールな表情をしていましたが、次の外泊の話になると目を輝かせていました。

 

 

2012年12月20日、p7。

 我々支援機関の行なっている主な事業の一つが週末里親事業です。平成21年度より開始し、当初は事業自体が浸透していなかったこともあって、なかなか子どもと里親さんの出会いをつくることができませんでした。しかし、昨年度から夏季・冬季2泊3日里親事業を開始し、そこから週末里親の活動へと繋がったこともあって、今では40組近くの週末里親さんが活動してくださっています。

 

(最近の数はもっと多くなっているのを読んだ気がするけど手元になく、見つかれば書きます。かっこ内ブログ主記す)

 

 

2012年1月20日、p7。

 夏季に引き続き、年末年始を施設で過ごす子どもたちを対象に、冬季2泊3日里親を実施しました。

(略)

 11歳のA君がBさんのお家へ行くのは夏以来。夏のお泊まりではとても楽しく過ごし、「次はいつ来れるかなぁ・・・」と言いながらお別れをしました。Bさんに会うのは半年ぶりでしたが、電車に乗るなり里母さんにゲームの説明をしたり、スーパーでは里父さんとも再会し、買い物袋を分け合ってルンルンで家まで行きました。Bさん宅では犬の散歩、年越しソバ、初詣、書き初めなどを楽しみ、里母さんに薦められた夏目漱石の『坊ちゃん』は20分で挫折。また、生まれて初めて一人でお風呂に入ったそうで、とても良い経験になったのではないかと思います。

 

 

引用終わり。

継続中の週末里親が、東京に何件なのか、大阪に何件なのか、1つの県に何件かを知ってみたい。 

「ふれあい」紙の中に、夏季2泊3日里親か冬季だったか、20人を超える子が行ったというのを読んだ気がするけど今それのコピーが出てこない、探さねば。

2泊3日里親や週末里親から、養育里親になった数も探したい。何件もあるそうなので、私はそれを知った時の心に明かりが灯る感じをもち続けたい。

 

追記、検索したらここに

http://ainote.main.jp/syadan/joho/h28/h27-houkoku.pdf

>夏季には44名の児童が38家庭に、冬季には45名の児童が39家庭に引き取られてい る

とあった!

 

 

 

 

>乳児院では何でもできる賢い子という評価を受け、遊び食べなどほとんどしなかったYちゃん

あたらしいふれあいを少しずつ少しずつ読み返している。

2004年3月20日のp2、3より引用。書いた方は、協会職員の方。初めて担当した子どもさんのこと。

 

>Yちゃんの親子むすび

>Yちゃんは現在、1才10ヶ月の女児で、里親さんに引き取られて、もうすぐ3ヶ月

 

引き取られてから1ヶ月半の頃、家庭訪問での様子。

引き取ってまもなく壁に貼ってあった夫婦だけの写真を見て、Yちゃんは不安そうな様子をしたのだそう。すぐに3人の写真を飾ると安心したような表情をし、2歳にも満たないYちゃんの感覚の鋭さを感じたのだそう。

里母さんと話しているそばでYちゃんは遊んでいて、時々思い出したように里母さんのもとへ走ってきて体当たりし、里母さんは受け止めてソファのほうへ押し返す。Yちゃんはおもしろがって飽きるまで走ってくる。

 

そのあとYちゃんはクリープをコーヒーに入れたがり、手ですくって訪問した協会の人のコーヒーに投げ入れる。コーヒーはあふれる。水遊びのよう。クリームまみれになりながらケーキを食べ、手のクリームをこねてまん丸と笑顔で言うYちゃん。協会職員さんは、上手ね〜と言い、常々里親さんになんでも受け入れてくださいと言ってはいるが、うわっと思ったりもしたのだそう。Yちゃんはそれらの行動を出す人をYちゃんなりに選んでいる様子。一般の人が見れば、どうなのか?と言われそうな事。でも・・・

 

乳児院では何でもできる賢い子という評価を受け、遊び食べなどほとんどしなかったYちゃんが、自由奔放に振る舞っていることに衝撃を受け、帰りの電車を待つ駅のホームで、「Yちゃん、楽しそうで良かったです。でも、話で聞いているよりすごいですねぇ。私には養子は育てられないと思います。」と同行していた☆に断言してしまいました。(☆ブログ主により一応伏字、協会職員の方。)

>Yちゃんのこれらの行動が「ためし行動」と言えるのかどうか分かりません。しかし、生まれてまもなくから集団の中で暮らし、我慢をさせられることが多かったこれまでの生活を吹き飛ばすかのように、「今、やりたいことを、やりたいようにやるのだ!」という嬉々とした様子のYちゃんから、子どもらしさを感じ、爽快感を覚えました。

 

とのこと。ふれあい機関紙を読み返すたびに、私は爽快感や嬉しさがこみあげてくる。大抵1記事がわずか2ページなのですべて引用できればいいのだけどやはりまとめた。でも、ふれあい紙の文はそのまま丸ごと読んだほうが断然伝わりやすい。

 

今の私の課題は、どのような時にしろ、嬉しさを謳歌する感じをすっとずらしてしまう事。身体の内側を観察して、嬉しい気持ちがわいているところにじっくり焦点をあててみている。

子どもの頃に里親さんを知らせてもらえなかったのはなぜ?という問いに関して・2

疑問が出てきたら、まず書き出してみることから・・・。

 

 

・新聞で毎週里親を探す活動をしている事が書かれた「ふれあい」紙を、子どもの頃に見せてもらえなかったのはなぜ?

 

→調べた結果。全ての児童相談所に送ってる。今年前半ごろだったか、関東の7ヶ所ほどの児相に電話して読めるか聞いてみた。里親候補と児相の人のみが見られるらしい。他にも機関紙が送られてくる。保管の仕方は尋ねなかった。良さそうな機関紙は購読したかったが、最初の児相への電話で、送られてきているタイトルも「プライベート」だとかで教えてくれないので、すぐに「ふれあい」紙が読めるかだけに質問をしぼった。

 

→私は2017年に、大阪の図書館に2008年ぐらいまでのふれあい機関紙があると知った。読みに行った。2018年6月に、東京国会図書館に最近10年ぐらいの機関紙の寄贈があったと知り、ほぼ全て読んでみた。自分が大人になってしまっても、里親志望でなくても、子どもの頃ほしかった情報を読めたことは、本当に本当に嬉しい。

 

大阪の図書館に2008年ぐらいまでしかなかったのはなぜ?もし一般が寄贈可能でしたら、お持ちの方、どうか寄贈してください。

 

東京ウィメンズプラザは女性と子どもに関する機関紙、ミニコミ、会報なども個人寄贈を受け付けているそうです。過去の「ふれあい」や、自立援助ホームの「ともしび」などを保管の方、ぜひ寄贈をお願いいたします。

 

国会図書館は国の法律の納本制度で、全ての資料の納本協力をお願いしている。一般の私も所蔵のない冊子類を寄贈した。でも会報類は、私が何より読みたいもので、きっと他にも読みたい人はいる、私だけが特に情報飢餓で孤独なわけではないと思うけど、個人寄贈ができない。一度に会報類を送れば送料は1回で済むので、経済面を考える団体も過去の会報をまとめて送ってほしいと思う。1号だけでもあれば一般が欠番を寄贈OKではある。でも多分一般寄贈は、1部しか寄贈できないので、大阪と東京の2ヵ所へは多分置いてもらえない。何百人か何千人かが購読している会報なら、誰か1人でもストックしていていつかもっと図書館で読めるようになってほしいと願ってる。ミニコミ類を発行するような人権団体はある程度多くて、一般は多分金銭的に、全てのミニコミを購読することはできないので。でも、自分の購読する贔屓の機関紙を越えて、他の機関紙やミニコミや会報を読みたい一般もきっといると思う。)

 

・大阪のドーンセンター(男女参画・青少年)へ行ったら、ライブラリー内に、

1.多くのDV電話相談カード、

2.厚労省の里親ちらし、

3.法律相談情報、

4.いくつもの項目(ジェンダーやDVやLGBTや女性の老いや福祉etc)のライブラリー本情報まとめプリント、

5.奥に不妊情報、家庭養護促進協会パンフ  が配布形式であった。

埼玉の男女参画センターのほっと越谷には、1も2も配布形式であった。

ほっと越谷には、厚労省の里親ちらしが3種あった。なぜ?(嬉しい)

東京ウィメンズプラザに、1と2と4の配布ゾーンはあっていいと思うが、ないのはなぜ?

厚労省に里親ちらしについて電話したところ、どこにどれだけ配布したかの紙をもらえた。大阪などの男女参画にも配布されていると伝えた。東京でも考慮してもらえるそう。

ドーンセンターやほっと越谷は女性と子どものあらゆる事の情報を置こうとしてくれてる感じ。それがとても嬉しくありがたいと思う・・・。自分は里親びいきで利己主義なことに悩むため、男女参画センターで、あらゆる項目を知らせようとしてくれることが何より嬉しいのだと思う。

 

大阪や兵庫や神奈川の男女参画センターで貸し出しOKのもの(本当に読みたい女性の施設の文書)が東京ウィメンズプラザで貸し出し不可なのはなぜ?という問いもあり、電話で尋ねたこともある。「団体図書」になっているから貸し出し不可なのだそう。私はこういうのも、他の府や県でできているのだから現実に、実際的な、達成可能な希望が持てると思うことにしてる。

子どもの頃に里親さんを知らせてもらえなかったのはなぜ?という問いに関して。

子どもの頃に里親さんを知らせてもらえなかったのはなぜ?という問いに関して。

私は急に子どもたちの群れと寝起きを共にするようになってしまい、それが恐ろしかった。子どもたちに近づかないようにしたけれど、食堂へつながる廊下でトイレをしてしまう5歳ぐらいの子や、まとわりついてくる何人かの小学低学年ぐらいの子について、ずっと大きい年齢の自分の姿が思い浮かぶと、私がお世話しなくちゃいけなかったことと世話を放棄したことは二次受傷のような感じがしてくる・・・。(でも、どちらのほうの?)

沢山の子が住んでいれば、大人の目は行き届かず、食事の作り方も郵便配達者が家に来ることも家計のやりくりも自分の人生を考えてみることも知らないままだと思う。そのような子たちがずっと放置されている。私は訳も分からず何も知らされず、時には母の役割をやらされて、安全基地のない小さな子たちを、どうすることもできなかった。親も誰もいない子たちは生まれた時から粛々と大人の役をやらされるのかもしれない・・・。親の来ない子どもたちにはそれぞれ里親さんが必要だと思う。そうでないまま施設に居させられたら、年上の子たちが親の役をやることになり、それは加害につながると思う。私は母の役をやらされたことも全く自覚できなかった。親の来ない子どもたちを、同じ建物内の子どもが世話するのは、いつでも加害の危険があると思う。研修を経た里親さんは里親サロンにも行けるし、愛着障害のことも知っている。でも年上なだけの子どもたちはそんなことは知らないから・・・。子どもの頃に里親制度や色んな支援を身近で知らせてほしかった。里親さんとのマッチングでは、急に子どもが年下の子どもの世話をする役になってしまわないような考慮もされているらしい。

里親さんが見つからず愛の手欄に何度も載る子どもたち

機関紙あたらしいふれあいを少しずつさかのぼって読んでいる。

里親志望者でなくても、あの子どうしてるかな・・・と思うことのあるような、社会的養護を経た若者や、養親や里親のもとで育つ子どもが友人や知人として身近にいた方なども、きっとふれあいの内容を読みたいだろうと思う。

 

週末里親子は大阪府全体で70家庭を超えているそう(16年4月ふれあいp7)。

17年7月の紙面には、ここ数年の協会の推薦ケースが20件を下回り低迷していたが昨年は26件という話が。

18年4月の紙面には、昨年度は養子については18件のマッチングで、中身が濃かったとある。

 

17年3月p1には、遠方の里親さんの実習中の滞在場所として「ふれあいの家」に北海道、山形県、長野県、茨城県の里親さんが利用して子どもと関係づくりの外泊もできたことが書いてある。同じ月のp4には、養親講座で提示されていた、まだご縁を待っている子どもの写真を見てAちゃんを見つけ養親になった方のことが書いてある。

それで私は、遠くから里親さんが来てくれているんだなあとしみじみ思ったり、やはり里親を待つ子どもたちがまだいるのだなと再認識できたりする。

 

18年3月のふれあい紙p2。遠方から来たA夫妻のこと。1年のうちに3人の子どもに申し込んだがご縁がなく、決まっていない子どもへ心を向け、別の里親委託から1ヵ月で施設に戻ってしまったばかりの6歳手前のモモちゃんとの面会にこぎつけたこと。養子縁組が整うまでに、里父母に出す、モモちゃんの施設時代から続く不機嫌さや怒り。里母「思い切り出してくれたらいい」。1ヵ月経つと落ち着いている時間も増えた。昨夏、ふれあいキャンプにも参加。一番年下だったが楽しんでくれていた。A夫妻は引き取りの前に、厳しく覚悟を問われていた。どんなAちゃんでも焦らず、根気よく関わってくれた・・・そして養子縁組が無事に整ったのだそう。

 

私はとってもうれしい。それ以外言葉がないくらい・・・。

 

「愛の手」に掲載された子どもで、今も里親が決まっていない子どもが何人いるのか正確に私は知らないけれど、10名弱はいるのではないかと思う。(週末里親に行けない子どもなども含めるともっといると思う。)下記、少々前の記事だけど抜粋します。

 

13年3月ふれあいp1より抜粋、

>今年度も、里親さんとの出会いがないまま『年度越し』をすることになる子どもが10数名います。その多くは、年齢が高かったり、発達が少しゆっくりだったり・・・という子どもたち。親の事情が複雑で、問い合わせはあっても、どなたも申し込みに至らないという場合もあります。何とかチャンスを・・・を、「愛の手」に複数回掲載してきた子どもも多い

 

>今年度は5回目の掲載にして、ようやく養親さんとの出会いがあった子どももいました。

 

13年11月ふれあいp2より抜粋、

>Aちゃんが3回目に「愛の手」に掲載されたのは4歳6ヵ月の時。1才の時から掲載されていましたが、出会いがありませんでした。

 

14年4月のふれあいp2より抜粋、

>A君は、2歳の時から3回「愛の手」に掲載され、ようやく里親と出会い、普通養子縁組が成立しました。

 

14年8月のふれあいp4より抜粋、

>A君は5歳1ヵ月で3回目の「愛の手」掲載となり、里親との出会いがありました。

 

14年12月のp6より、

>今年は子どもたちと里親さんとの出会いが苦戦している。年々、申込者の年齢が高くなり、「愛の手」欄に掲載される子どもの年齢に偏りがあって、マッチングがうまく進まないというところもある。しかし、今年は年齢の問題だけでなく、問い合わせがあっても申し込みに至らなかったことがけっこうあった。その理由には、子どもたちの背景が複雑であることによることが多い。特に、実親に精神疾患があるとか、覚醒剤を含めた犯罪歴がある等と知ると、子どもへの影響を心配される。また、子どもに発達の遅れがある場合も、なかなかチャンスがない。

 

>申込者にその子どもが抱える事情を聞いて、そうならざるを得なかった状況を想像し、理解しようとしてもらえるにはどうしたらいいのだろうか。私たちはいつも悩みながら取り組んでいる。 

 

◇◇◇

 

その子の抱える全てをOKとして迎えてくれる里親さんが見つかったことを読むとうれしい、でもとても見つかりにくいのだそう。愛の手欄に何度も載った子どもたちにも、よき里親さんが見つかりますように。

最後の抜粋から連想して、不良や非行者と呼ばれていた子どもたちのことを思い返すと、沢山の大人たちから罵倒され罰され蔑まれていた場面ばかり思い出す。それで今も体が戦慄して、何も考えられなくなるのだけど、そんなにも罰し蔑む大人を、やっぱり私は憎んで恐れているのだと思う。今度、それが何だったのか、もっとちゃんと思い返してみたい・・・

 

 

アメリカとイギリスの里親関連機関誌を購読したい

どうしても知りたいこと。

アメリカとイギリスの養子・里親について問い合わせ中。

 

まず問い合わせた、イギリスの子どもと若者向けらしいインケアに関する2つのマガジン「Become」のサイト。購読に関する用紙を届けてくれると返事が来たけど、待ち遠しい!

 

次にhttps://www.childwelfare.gov/

このインフォメーションゲートウェイのページから、インディアナ州のニュースレターを購読したい、インディアナ州のその問い合わせ先はどこか教えてほしいとメールした。

返事が来た。

「 Indiana- https://www.in.gov/dcs/fostercare.htm
Oregon- https://www.oregon.gov/DHS/children/Pages/index.aspx 」

それで今インディアナ州発行の雑誌とオレゴン州発行のニューズレターを購読したいと問い合わせ中。

 

イギリスのparent to parent information of adoption、(今はadoption UKに多分なっている?)やはり情報誌を作っているようなので、これも購読したいと問い合わせてる。

ナショナル・フォスター・ケア・アソシエイションという協会も機関誌「フォスター・ケア」を作っているそうで、問い合わせ中。

 

思うのは、州がニューズレターを発行してるのがすごいということ。日本でいうなら都道府県が発行してるイメージになるので。イギリスで社会的養護・里親・養子に関する子ども・若者向けの雑誌が発行されてることもすごい。外国の里親ニュースレターはたくさんありそうで、でも私は英語がグーグル翻訳しかできないのでどれか1つでも情報誌が得られれば嬉しいと思っていくつか問い合わせした。

 

Becomeは国会図書館にあった翻訳本「こどもの声:里親家庭・居住施設で暮すこどもの意見表明」で知ったと思う。

イギリスのparent to parent information of adoption、

イギリスのナショナル・フォスター・ケア・アソシエイションは書籍「あたらしいふれあい第1編」239ページ〜あたりで読んだ。

インディアナ州発行の養子の雑誌は「養子でわくわく家族」という書籍で。

オレゴン州発行のニューズレターは「THE KID」276ページで。ニューズレターは引き取り手がなかなか見つからない子どもたちについて書いてくれている。著者は、オープンアダプションの事務所で予約した打ち合わせを待つ間に、このニューズレターが3年分綴じられたものを読んでいる。

 

多分私は、日本で孤独なので、腐らないように、外国の情報が知りたいのだと思う。

外国がこのように、適切な情報発行について発展してるのだということが良い意味でショックだった。ネットでグーグル翻訳すれば読める記事もたくさんあって、人種や人身売買に関する文章もあったと思う。日本の里親の本を読んでいると外国にルーツを持つ子どものことが書かれていたりもする。なのでアジアの人身売買に関する本を読み始めた。私の住んでたとこには何人かの外国にルーツのある子どもがいた。母子支援の施設についてもまた読みたいものがあるし・・・

 

 

 

 

知りたかった事、知って良かった事のメモ

知りたかった事、知って良かった事のメモ

 

書籍『子どもへの回復・自立へのアプローチ』p210によると、

2014(平成26)年現在の、社会的養護に関する当事者団体は、

さくらネットワークプロジェクト、

CVV、

日向ぼっこ、

こもれび、

なごやかサポートみらい、

だいじ家、

レインボーズ、

明日天気になぁれ、

ふたばふらっとホーム、

ひ・まわり、

白ひげ、

COLORS

 

国会図書館で観られる里親・社会的養護に関する映像は、

『あなたも里親になりませんか~あなたを待っている子どもたちがいます~ 里親制度普及啓発ビデオ』★

『風とどまる 自立援助ホーム「憩いの家」40年の歩み』★

『いのちを未来へ!』(ドイツの赤ちゃんポストについてなど)

『子ども虐待における家族支援 ファミリーグループ・カンファレンスの実践 第1巻 (準備編)、第2巻 (実施編)』

『あなたも養育家庭になりませんか?:養育家庭制度広報用DVD』★

など。★マークは東京ウィメンズプラザにもある映像。

 

千代田区立図書館にある映像は

『タイトル 扉を開いて・・・ 養育家庭制度広報ビデオ』。

 

東京の国会図書館で映像を観るには、映像を借りる所へ行って用紙を書くのですが、一般でも「研究」に丸をつけて良くて、それで誰でも映像を観られると思います。

 

福岡県の小郡市人権教育啓発センターにある映像。

アミティ・魂と出会う旅』。(里親関連ではない。自分が東京ウィメンズプラザで、DV加害などについて調べる過程で、里親情報・母子支援・少年院・加害者へのアプローチについても載ってる報告書とかいくつかの資料(うろ覚え)にかつて販売していることが載っていたので、借りられる所を検索した。)

 

国会図書館所蔵。

『赤ちゃんの死へのまなざし 両親の体験談から学ぶ周産期 (死産) のグリーフケア』。子どもの死について思うところがあってここに書いた。里親関連ではない

 

観たことのない、関心のあるDVD。

『わかち合う声』。自死遺族が、2時間半のわかち合いの様子を18分の映像に収めたもの。書籍『自殺で家族を亡くして』p150で知った。

 

◇◇◇

 

付け足し

あたらしいふれあい誌は現在、

共生社会センターに数点あり(確か住民図書館の会報類が全て移行)

東京ウィメンズプラザに数点あり

大阪府立中央図書館に1975〜2008年まであり

大阪中之島図書館に新しい何年かが短期保存であり

東京国会図書館に2008〜があり

 

東京国会図書館

アン研修シリーズは8除いた1〜10まであり

 

東京ウィメンズプラザにあるのは

子どもの権利ノートガイドブック:子どもと里親養育の未来のために(冊子のような感じで、多分今は売られていない)

雑誌 新しい家族  養子と里親を考える会  日本(検索で出た、まだ私は見て確認してない)など

 

書籍『養子とわくわく家族』によるとアメリカには

インディアナ州の里親・養子協会Foster Care & Adoption Association発行の雑誌あり

Adoptive Families(Adoptive Families Magazine刊)という雑誌あり

 

書籍『子どもの養子縁組ガイドブック』には、試し行動についての文がある。うまく言えないけれど、理由があってここを読むといつも自分はとても嬉しくなる。

 

書籍『愛を知らなかった子』

この本をやっと読んではじめて、子どもたちと里親候補たちが集まって縁組したい子どもを探すハートギャラリーのことを知った。

ダニエルの場合。

ガレットという自らも養子である専門の大人がダニエルの里親を探してくれる。

家から保護され、すぐ治療の里親へ→そして養子里親を探すやり方。

 

書籍『ジョディ 傷つけられた子』7〜8歳の子が、数回里親委託に失敗したのに、施設へ行かぬよう、次の里親候補女性キャシーにそうとうかばわれる。そこだけでもインパクトがあった。それでキャシーの元でやっと本当のことを話し出す。

 

◇◇◇

 

メモしておきたいことがちょっとまだ多いので、また書き足します

 

ここは性行動が多いと言った大人やコンドームの事

 私はずっと人とのかかわりのもち方がわからなくて、大人に罰を受けてる子どもたちを見ても、何もできなくて、家族外の者からの被害を子ども時代に受けたりむごい世界を見たりして、それでも、この世界に染まらずにあることはできると、そうありたいとずっと思ってる。

 

 私たち子どもたちにはコンドームが必要だった。大人は、子どもたちを罰していた。でも、性非行とされるものには、逃げられなくて強制されたり(性別問わず)、あるいは家族があてにならない中、若者同士愛情をもって、かかわるものもあると思う。全てを罰してもなくならないと思った。死角(あるいは愛情や未知なもの)は常にあるから。だから、怯える私に「真面目な子」と言うより、私や全ての子にコンドームを配布して欲しかった。

 

 あの子とあの子はカップル、ここは性行動が多い、といった話を大人が私にした時点で、良い悪いじゃなく、すべての者にコンドーム配布を考えなければ、実情に即していない。

 コンドームがあれば、男の子も女の子も、自分の身を大切にしようとできる。

 

 私は人とともに愛情深くあることはとても苦手で、奥手で気弱でナイーブだったけれど、誰か少年少女達が愛情深くあろうとする時にコンドームより罰を与えて欲しくなどなかったし、

 

 人とのかかわりのもち方は自分は下手だけれど、知りたいことがたくさんあって、今もその問いを持ち越していて、過去を見るのはつらいけれど、見たくないものも見ようとする人生を生きようと思ってる。

 

 私は自己規範を探していたので、大人たちからの罰は役に立たなかったし、それと、厳しい罰や性被害と性売の関連を考えるようになったのは、ずっと歳月を経てから。

 子どもの頃のことは、たいしたことでなく、とりとめもなくて、これからも書けないものもあると思う・・・

 

 大人になってからは、子どもの頃と違って男性も女性も適切にコンドームを使用する人も多いと知っていった。

 子どもの頃の、コンドームが配布されず、罰しかなかった頃のことは、覚えておきたい。 

 

里親に関する会報を図書館で読めたこと

 そっと見守る消え去らない大人がいない、子どもの無残な様子を見て、ずっと辛かった。たびたび廊下でトイレをする女の子のことはどう考えればいいかわからなかった。

 大人になってからやっと書籍を読んだりして、そういうことはありうるのだと把握した。それで私は自分の接してしまった世界が、この場所でしかない唯一の孤独なものではなくて、ここしかありえない孤独なもののほうがよかったかもしれないけれど、この場所以外にもある事なのだと把握した。

 

1992年4月20日のあたらしいふれあい誌によると、

愛の手掲載児童1300回の分析。

掲載された子どもの数は1383人。

男の子は807人、女の子は576人。

1345人は日本国籍。38人が外国籍。

1992年5月20日のあたらしいふれあい誌によると、

「実親の事情が複雑な子供や、年齢の高い子供、あるいは0歳児であっても男の子」が里親が見つかりにくいのだそう。

 

2005年8月20日のあたらしいふれあい誌によると、

「T君と同じように、愛の手に掲載されてから、何ヶ月も何年も養親との出会いを待ち続けている沢山の子どもたちがいる。彼らのことを思う時、T君と養親とのこの出会いは、「決してあきらめちゃいけない」と、私たちに力を与えてくれる」とあった。

(手元コピーを見直すのはこわくて、大切なメモノートを見てる。ほんとははっきり見直して打ち込みたい。。)

 

 去年、はじめてやっと、あたらしいふれあい誌(古い年代)が大阪の中央図書館にあると知った。急にドキドキして、嬉しくて、涙が出そうだった。嬉しいことが怖かったので、血圧があがって倒れないように気をつけた。それで私は、孤独に思ってずっと苦しんできたけれど、毎月毎月何十年も会報が出ていて、大人たちが里親の必要な子どもたちのことでずっと骨折ってくれていたことをやっと知った。実際に原本を手に取れることはとても大きいことだった。

 

 今年からは、あたらしいふれあい誌(新しい年代)が東京の国会図書館で読めるようになったそう。全ての児童相談所へ送られている機関紙だと何年か前に聞いていて、いつかさかのぼって読み込める事を願い続けていた。

 

 ずっと孤独だった。恥ずかしいことだけど、ある福祉関係の会報は、あれもこれも国会図書館で読めるのに、私が何より読みたいやつはあれもこれもない、と恨みに思っていた。いくつかは購読を選んでいるけれど、読みたい十数種類の会報を全ては購読できないので、国会図書館にだけでも置いてあったらなと思っていた。大阪府立中央図書館にあるだなんて思いもよらなかった。手に取るまで半信半疑だったけれど、実際に手にとったら、長年の苦痛が解けていくような感じだった。

 

 わがままだけど、いつか誰か、あしながおじさんが、「ストックしてるから、会報の欠番をまとめて寄贈しても良いよ」と寄贈してくれる願いは持ち続けてる。3500部ほど印刷されているらしいから、誰か購読して残している人が・・・。でも私にはできないことなので、大阪と国会図書館で見られる年代があることをただ嬉しく思っていたい。まだ読み込んでいない箇所も多いので、また読みに図書館へ行こうと思う。

音声の図書・図書館について

覚え書き

 

アメリカのbookshareは、読書が難儀な数十万人が、63万以上の本を点字やテキストで拡大したり音声にして読める・聴けるのだそう。

利用者本人やボランティアがスキャンしテキストにしたものをシェアできる。

視覚に難がある人、ディスレクシアの人、肢体に難があって読みにくい人など。

 

日本ではネットのサピエ図書館というところで、読書に難儀な人がネットから、点字や拡大可能テキストや音声の本をダウンロードできる。アメリカのような、利用者本人等がスキャンした本のシェアは無い。

 

日本で使われる文字はひらがな、カタカナ、漢字が混ざった形。そのためOCRというソフトで紙の本を、合成音声が読める形に変換するのが難しかったのだそう。合成音声も誤読が多かったらしい。でも最近は2つともかなり精度が良くなってくれて、読書障害の人が紙の本をスキャンし、パソコンに入れ、OCRソフトで合成音声が読める形に変換して、合成音声で聴くのがスムーズに可能みたい。

 

それで思うのは、アメリカの3億人のうち30万人が障害のため本をbookshareで読んでいるとして、

日本のサピエ図書館は1万5千人ほどが使っているそうなのだけど、日本人口は1億人ぐらいだから、アメリカの割合をずぼらに当てはめると本当は日本の10万人が読書のための代替策が必要で、今の人数プラス8万5千人がサピエを使っていい、ってことになる。

 

難儀なため点字や拡大可能テキストや音声での読書が必要な方、ぜひサピエ図書館に登録を。(里親関連本もあるそう)

 

OCRソフトや合成音声の精度が良くなってきたので、アメリカのように、紙を読むのが難しい本人がOCRで変換した本をシェアできるようにもそのうちなるのかも。

 

悲哀が可能な自分になりたい

回想、

子どもが急に去ったり、

行方知れずになったりすることを悲しめない、

あるいは無理に悲しみや慈しみを表現しないとならない時のこと・・・。

 

『遺体』という本を読んでみている。遺体を運ぶ方は、日が暮れ、明日にさしつかえるから今日はここまで、というのがあるらしい。子どもだけの建物じゃ、その概念はないと思う。人生全部にさしつかえかねないと思う・・・。

 

 小さな子が来たら、休みなくお世話しないとならない。でも本当は、プライベートな休息時間があってもよかったらしい。

 

好きなことを好きなだけ好きにやることを、

特定の子どもとして、特定の消えない大人に守られて、

自分のペースと行動と休息を、どうやら、持って良いらしい。

 

 よき家族がおり施設を体験していなければ、同じ町の人や、他者の遺体にも、哀哭を持てるのだと思った。私にも家族がいて、家族が死ぬのは悲しいけれど、施設の子に対してはどうしても「ここはそういうものだ」と考えてしまう。施設の子の生き死にが悲しくなくて、次第に私の家族の生き死にも悲しくない感じになる。捨てられた子がむごい嫌な状況なのを、悲しむとしたら、切りがない。施設に対し大人の様々な考えがあって、情報が極端にない中、うごめいていないといけなかった。

 

 遺体という本を読んで、比較するのじゃなく、「つながりがあれば、このように悲しいものなのか」「ちゃんと悲しめるようになりたい」と考えてみたい。津波の本で、ちゃんと読みたい本なのに、「悲しいものなのか?」と疑問をもつ自分を、どうにか悲哀が可能な自分へもっていきたい。施設の子に対しては、共に住むのに、つながりはなかった。親に捨てられた子は本当にむごい。そう考えるのに、なんの感じも持てない・・・。その子達に親が、特別な対象者がもたらされないままのことを、明晰に嘆いてみたくて。。。それは、個人的な自分をもたないと、できない。

 

 概念にしろ実体にしろ、里親に出会えていないと、家族のいる大きい子の私は、「施設は、捨てられている子は、それしかないのだ。施設しかない。捨てられているしかない」と思うようになる。

 小さい子に里親がいてほしい。書籍『ジョディ、傷つけられた子 里親キャシー・グラスの手記』では、8歳の子どもに対しキャシーが「施設に入れるには幼すぎます」と何度か強調していて、そんなに言ってもいいのか、と私にはおっかなびっくり。はっきり言うと、とても、嬉しかった。

 

 

 

「ルーツを探る」「親子になる 血のつながりを越えて」などを大図書館へご寄贈ください

 東京以外にお住まいの方、どうぞ、その県で一番大きい図書館に、お持ちの冊子「ルーツを探る」「親子になる 血のつながりを越えて」「うちあける」「親子への道標」などをご寄贈ください!(大阪府立図書館にはあります)

 

 様々な施設にいた子達が、凄まじくたいへんな徒労なく、自分の人生へ立ち戻って欲しいです。実は見えにくいところで、多くの子どもが里親のもとへと行けるようにと行動する方々がおり、施設に対してもつ難しい思いが自分個人のものではなかったと振り返るためにも、重要な冊子と思います。

 

 1県の図書館に1つあればその県に住む者は、自分の住まいの近くの図書館からリクエスト用紙を使い取り寄せることができます。(区外からの取り寄せか購入、と説明文があったりして一見購入のリクエストに思えるけれど大抵は、区外取り寄せ)

 

 ですので、もしご自宅にこれらの冊子をお持ちの方で、今までは自宅に置いたけれど図書館にでも置こうと思ってくださる方に、大きな図書館への寄贈を検討いただきたいのです。

 

 どの置き場にするかが少し難しい点で、私はこれらの冊子を東京の国会図書館、東京都立図書館、地元の図書館のどこに寄贈するか検討しました。

 

 リクエストで東京のどこからでも取り寄せて読めることを重視し、都立図書館にしました。地元の小さな図書館だと置くことが難しいのではと思いました。「うちあける」「親子への道標」は売り切れで寄贈してないです、何卒寄贈お願いします。

 

 DVDだとまた違って、例えば「風とどまる」というDVDは図書館でなく、東京ウィメンズプラザにしました。DVD単体の区外リクエストはやっていないと地元図書館で言っていたからです。都内の方が東京ウィメンズプラザまで来て借りることを願い、そこへの寄贈にしました。

 

 とある市区町村の男女参画センターへ行き、寄贈は難しいと実際に確かめた結果、大きいウィメンズプラザならと考えた背景があります。

 

 里親志望の方々のことを私は心配しておらず、登録の行動をして、子どもとともに生きてくださる、と思っている。

 

 私が考えずにいられないのは、一体自分の徒労は何なのだろう、わずかな親モデルの道順すらないという問いも出にくいような、模索する子について。具体的な冊子があれば、過去に何があり何がなかったか、把握し整理するきっかけになるのでは・・・全く悼めない過去を悼めたら、もしかしたら・・・。

 

 里親について知ることは、誰も来なかった苦痛の確認ではあるけれど、もしかしたら、親を知らぬ施設で生きる子を少しでも減らせると思える、灯台の光のように想えるきっかけになるのでは・・・。

 

 どうぞお願いします。

子どもだけで住むここは嫌な場所だ、と思い続けたこと

 子どもだけで住むことの内容について、なんで大人たちはこんなに内緒なのかと思う。養子の子どもたちが少しずつ真実告知をしてもらえるように、私にだって、施設に子がいることを少しずつ話して欲しかった(いつ入所するかも、恋人になるかも、友になるかも、敵になるかもしれなかった)。

 

 子どもだけで住むことの何より嫌な、悲惨なところは、基本的な個人のことが満たされる環境じゃないという事。その子だけの特定の大人からのお世話が必要なのにもらえない子は居続けたと思う。そして、自分なんかにお世話を要望する子がいて、それでも私は、その子は本当に求めているのは私ではないと、なんとなく把握していた。それなのに、その子が私や不特定多数への、対象の決して定まることもなく満ちることもない求めを求めるままにしておくのか。

 

 私はそれを言えなかったしそばにいた事で後悔してる。あの場所では何でもあるし何もない。地獄と無が揃っている。放っておかれてるから、地獄が地獄なのか気がつかない。ただあの場所が嫌だと言うことも、今でも大変だ。無理にそこに住まないといけない事は、免罪符でもないのに、それを理由に、ほかの子たちのことに気が回らない時がある。そういえばアウシュヴィッツではフランクル氏が、自分はもっと他者を支えないといけなかったがそうする勇気が持てたのは収容所ではわずかな時間だったとか書いていた。レナはアウシュヴィッツビルケナウで、自分と妹がひどい労働でなく洗濯係になれたかわりに、盗んだ食料を渡してもらっていた女性たちがその、生き延びるために必須な洗濯労働から外された事を、申し訳ない、でも、自分と妹が生き延びられるのでとても嬉しい、というように書いていた。私も、多少だけど、自分のために他者を犠牲にして生きることを、やってきた。あそこは、そういうところだ。私は生まれてこなければよかった。生まれてこなければ、捨てられたあの子達を見て、自分の無力と犯罪性を知ることもなかった。

 

 自分を壊しながら、ここは嫌な場所だと思い続けた。それとは多分また別のことなんだけど、どうかあの子のような子にだけは、よき里親さんが見つかりますように。そう願っている。悲惨な場所にいるのはかつてのあの子達だけでもう充分だと思う。私はどこかで、あの子達は何をされても問題ではないのだ、と思っていないと、生きていけないほど弱いのではないかと思う。

お部屋へ来てほしいという子の話

 何度も衝撃とともに思い出すので、そこで立ち止まって思い返し、また書いてみたのだけど、一体誰に何があったのだろう。

 ある女の子がいた。正確な年齢は覚えていない。その子からあるとき、最低7回ぐらい、お部屋に来てほしいという言葉があった。早足で歩いて、無視して、ずっと断っていたけど、ある時、お部屋へ行った。自分がお世話しないといけないような気がして。彼女は来るように繰り返し言い、何度もついて来て話しかけて来た。ベッドに座ることも、一緒に漫画を読むことも、その子の希望だった。他人の私なんかと一緒に少女漫画を読んで何になるのかと思ったけど、ページをめくった。ベッドの脇だったか、綺麗な赤いランドセルを覚えてる。しばらくして、そろそろ戻るね、と告げて私は自室へ戻った。もう行ってしまうのかと言っていたけど、ほかにどうしようもなくて・・・

 多分私はその子に何をしてもいいと思っていた。その子に何もしなかったのは偶然だと考えてる。たとえ私が先輩だとしても、1000度その子が私に要望を発したとしても、それがどのような要望だったとしても、断らなければいけなかったと思う。偶然が何か違っていたら、どうなっていたことか。私は自分の加害性を知らないままの存在だった。けどまとわりつかないでほしい、うるさい、どうしたらいいのか、と強く思っていたのははっきり覚えている。だから、あの子どもにはちゃんと見守る固定の大人がいてほしいと、すぐさま大人に私は告げなくてはいけなかった。でも、そこまで考えられずうろたえるだけだった。

 

 私は今も、子どもに対し自分に理性が充分あるか疑問に思う。この疑問をずっと持っていないといけない。私はケアする職でも大人でもなんでもなく、年上女子だった。学んだ大人たちでも、難しい状況の子どもと接するのは難しいと聞く。だからこそその大人は、私のように孤立した少女としてお世話するのでなく、適切な相談相手を持ち、ケアもしケアもされ、心底時間を作って関わることもあれば、ちょうど良い見極めをして、ほどよい休息の時間も選ぶのだと思う。子どもの私には小さなあの子のお世話なんて、本来、できる事ではない。できる事ではない責任を負おうとした。

 

 ほかに、ここは性非行が多くあなたは本当にまじめだからここにいるのは間違いに思える、ということを私に言った大人女性や、薄暗いところでものも言わず佇んでいた4人ぐらいの小学生の少年、廊下でトイレする無表情の子どもの事、それと無用な罰を受けていた気がする子と目が合ってしまった事、片目だけ灰色で黒が混じったところもあり皆に綺麗だと覗き込まれていた子、別の子どもだけの建物から来た子の記憶が、私の近くを行ったり来たりする。普段はそんなに差し迫った事は起きてなかったんだけど。

 

 前と同じことを書きなぐって思ったのは私は自分の被害や加害は認識しようとするのに、少し遠くで取っ組み合ったり叫んでいたり、佇んでいる子のこと、他者である子ども達のことは、たとえ生きようが死のうがどうでもいい他者なのだとどこかで強く思うようなところがあること。それもまた加害にもそして被害にもつながりそうだと今やっと思った。なので年下の子どもの事は特に回想して考えたい。

 

 あと以前何を書いたか忘れがちで、トイレに行くのが異様に苦痛だったことを書いたと思うのだけど、読み返せないため今さっき、やっとまた思い出した。トイレのことはやたらと苦痛なのでもう書けないかもしれない。でもだからこそ、廊下でトイレする子の事などでなく自分自身がトイレに行きたくないわけについて把握するべきなのだろうけど、多分過去のこれらは、ほぼ全て、掘り返すのは気をつけてやらなくちゃ。今はやめとこうと思う。