できごと

子どもをひきとってくれた里親さん、ありがとう。

だんだん、わたしは、
里親さんの話を聴いたり、読んだりするようになると
落ち着くようになった。

 

とても落ち着くの…かつて絶望してた子どものわたし、

幼い子の虚ろな目をまじかに見ながら何もできなくて絶望してたわたしは

やっと育って、里親さんがいるって知ることができた。

(きっとわたしは幼い頃に知りたかったものを今、自分で満たしているのだ。)


里親さん、養親さん、施設暮らしの小さな子をひきとり
長期養育を考えてくれる大人達がいるってやっと知ることができた。

 

(その人たちは必要なら産みの親を誰より弁明してくれる。必要ならともに葛藤し、

世の中を批判もし、建設的に考えてもくれる。ひきとられた子どものまるごと全てを、

支持しようとしてくれる。その子どもに対し、ひとりの人間の子どもとして接してくれる。)

 


それまで永い時間だった。

 

里親さんが自然体で、引きとった子どものことを考えてくれるのが嬉しいの。

里子さんに対しては、わたしは、遠くにいる一人でしかないから、

周囲の人が、里子さんのこと、施設にいた子どものこと、沢山考えてほしいと

思っている。その子どもを一人の人間の子どもとして。

 


わたしは自分がどのような人間かよく知っているし、

そして別の子どもはわたしとは違い、その一人ひとりは、

それぞれ違った特有のひとなのだもの。

 


その子ども自身を生涯、そっと見つめてくれる

変わらない固有の育て親の実在が、その子にあってほしい。

少数派でもいい。


わたしは年上の子。かつて
小さな子どもが少しだけ伸ばした手から通り過ぎてしまった・・・


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ふっと気持ちがわいてきたので即興で上記、書いてみました。あとで写真でもつけられたらいいのだけど・・・

産みの親御さんの、里親が里子に対してする弁明についてはまた何か書いてみたい。書籍では、配慮しながら、適切に肯定的に、自然体で里子に対し伝えていた。

 

 

里親さんのもとで、はじめの動き出した時間。

 ドラマ「はじめまして、愛しています」のはじめほどではないけど、施設では、廊下ですれ違う時にしがみついて噛みついて来る子は、実はいた。

その前後のエピソードはゼロだけど。

 

その子どもの名、年、顔つきも覚えていない。

 

同じように噛みつく子どもでも、決定的な違い。

 

はじめは、新しいお母さんになってくれるひとに噛みついた。

どんな葛藤が苦しみがあるにしろ、

 

通りすがりのちょっと年上の子どもの私などには決して不可能な事が

新しいお母さんには、出来るのだ。

 

はじめのような小さな子の苦しみ、それを小さな子がたとえわたしに表現してくれたとしても、通りすがりの、建設的なところが無いものなんだと思った。

 

はじめが噛みつきのような、苦しみの表現を、

ずっとそばにいてくれるあたらしいお母さんに出せて本当に良かった。

 

はじめの時間は、動き始めたのね。

絆のための戦いを描いてくれている。ドラマ「はじめまして、愛しています」

諸事情で2話めから観ています。2話めの感想。

 

 このドラマでは、このひとりの子に焦点をあてて(実際にあり得る)物語として考え学ぶ事が出来る。実際に身近にある物語として考えて下さる方がきっと増える、と思えた。

 

 新しく里親さんへ引き取られた、難しいと言われていた子ども、一(はじめ)。でもはじめは3日で試し行動を出せた。里母美奈の、「ほかの人がいると大人しいんです、わたしと2人のときだけ」という言葉も、実際に現実である感じが伝わってきた。ドラマだとあっという間だけどかなり美奈はがんばったんだと感じた。

 

 唯一無二のお母さんをどれだけ子どもが必要としているか。それが言葉になっていないにもかかわらず、全身で表現する子ども(それを描いてくれるドラマ)。

 施設ではひとりでいた。今回のような表現を見せたい対象も無く、5歳ぐらいになるまで、乳児期から必要な対象であるお母さんお父さんがいないまま、必需な要望を表現せず静かにしている。そして対象者が現れると、試し行動に移すことが出来る、という実際にあり得る事実を、感じた。(家庭養護促進協会の機関紙をまとめた書籍「あしたから家族」にも分かりやすく載っている)

 

 子どもの行動表現で、里母美奈は子どもの虚無をおもい、苦しくなれる。子どもの里親になろうとして、子どもを引きとらなければ実感し得ない、施設では顧みられる事のない(対象者がいないと出来ない)その子の虚無。


 子どもだけの建物にいた、はじめと似た眼と雰囲気の幼い子達の群像を思い浮かべる。しかし、はじめは群像ではなくなり、対象者と出逢った。わたしは対象者と出逢うべきあらゆる子どもが、必ず出逢えますようにと改めて願った。

 

 出逢えない子どもは多いのだ。産みの親御さんがもしもフォスターケアのもとへ子どもを送り出してくれたら、もし果てしない苦悩のさなか、子どもを里親のもとへ、と考えてくれたら。そしたら子どもは施設の群像でなく、あのはじめのようにひとりで静かな虚無の眼を持ち続けることなく、成長していつか、産みのお父さんお母さんへ肯定的な気持ちが沸き起こるだろうと感じた。

 

 ドラマを観て再び施設にいた子ども達を思い浮かべる・・・

 真空の部分のあるわたしの子ども時代をおもうと苦しくなるが、わたしはそれでもこのドラマを、心から有難くおもう。

 施設へ居続けるのはたいへんな虚無であるし、たとえば、羽子板や破魔矢という言葉も覚える機会がなかったり、料理、家・部屋の整備、親族や家に来る友人とのかかわりなど、通常のまあまあの家庭経験がとても不足する。

 

 産みの親御さんは、ものすごく苦渋の決断なんだと思う。ドラマ明日ママがいないでは、むちゃくちゃな産みの親御さんが描かれていた。でも書籍「あしたから家族」では、もっと苦渋が、苦難が書かれている、産みの親の苦悩、離れて暮らす子の苦悩、あたらしい親の苦悩。なんとか見守る家庭養護促進協会の人。

 

 このドラマでは、はじめに対象者が現れ出逢いを果たしたことで、いつかはじめが産みのお母さんに自然に逢えるような感じ、逢えなくても産みの母についての虚無は感じず癒えた気持ちで肯定的に産みの親を思うだろうという感じを持てたし、そのように思わせてくれるドラマを観て、とても有難く、とてもびっくりした。

 

 一喜一憂していてはいけないと思って気持ちを落ち着けて真剣に観た。
里親さんになりたい人も、地域で行動している大人も、施設出身の人にも、観てほしいドラマだと思った。

 

 里親の意思疎通については、

里母は「勝手に父を呼ばず、呼ぶときは明確にそう言ってくれたら、心づもりをするから」と伝え
里父は「なぜ父を呼ばないのか。助け合わないといけないのだし、難しいだろうが短時間、どうぞ呼んでくれないか。はじめはひとまずピアノに興味があるようだし、親族の紹介としてもいいだろうし。」とわかりやすく言い合えば良かったのではと思うが、

 それらは意図して端折り、苦難と現実の戦いと心的な出逢いの部分をクローズアップしフォーカスして伝えてくれた感じ。まだ2話だけどすごいドラマだと思う、やっぱり無理して1話も観ればよかった。
 こういうドラマが出現する社会になってることがまだちょっと、良い意味で、信じられないかも。

大きなわだかまり。里親さんについて知る事への罪深い甘えの気持ち

実親の親権問題があるなら、フォスターケア家庭の元で実親を待つ選択を取ってほしいと思った。短期里親の元から、長期里親を待ってもいいと思う。

 

以前「8歳以下ぐらいの子と10歳以上の子とは施設を分けてほしい」みたいな事を書いた。書いてから何かわだかまっていた。

私が小さい子ばかり居るしかない場面をくっきり覚えてしまっているから、「居るしかない」「ずっと居るんだから無くせるわけない」に凝り固まり記事の最初の一文を思いつかず、今日やっと言葉にして書けた。

 

幼い子に乳児院・施設暮らしは要らない。それが根本。

フォスターケアの元では、1人の子どもに固有の育て親を含め10人以上もの大人が関わり、支えるのに対し、施設ではいつ誰が通りすがりに何をしてくるかわからない中、固有の良き後ろ盾としての大人親がおらず、子どもは放置され見守られないままなのだという事実を覚えていたい。

 

私は年上での入所のため、幼い子が施設に居る事に対して無感情になりがちだと思う。心から願う、幼い子が捨てられたり虐待を受けたら、まず施設へではなく、まず短期里親の元へ行けるようであればと・・・。

けど
里親さんについて語ってはいけないような気分にすぐなってしまう。

 

頭の中に里親の一語が無くて、里親の選択肢を要望することを思いつかず、気が付いてもその途端に、言うのが危険で、恥ずかしい、罪深い甘えに思えて・・・。

 

一時期数年以上、里親さんの語がよく出る資料や書籍に惹きつけられ、自分とは関係ないと思うのに惹かれて読み漁る時期があった。数年、それ以上先へは踏み出せず、里親・養親の団体サイトにはほぼ4年ほど?一歩も足を踏み入れなかった。

 

こういう私のような子どもが居ると仮定すると、ここで、

数年待ったりせず、今すぐ検索して里親・養親の団体サイトに行ってみて下さい!と書くのも手なのかな。ぜひ里親さん養親さんについて考えてみて下さい。

 

自分の事ではないけど、幼い子の事をやっぱり忘れたくない。他者である幼い子の事を書き続けてるけど、これは自分を加害者にしないための戦いなんだとも思う。

2016.7.15のメモ

心優しい家庭と、子どもだけの施設・・・忘れないでいたい。

子どもの頃のとても楽しかったことと苦痛だったことを見つめていたいと思って記事を書いた。

 

ザリガニ釣りと、セミ捕りと、草花摘みと、洞窟探検の、ものめずらしく楽しかったこと、それが家族の安全基地があったからこそだったこと。小さな青虫、小さな草、すべすべした石を見飽きなかった。蝶々やかいこを育て、特に気に入りの草を集めてだんごを作り、海と川でビニールとバケツに石を収集して標本にした。石を割るとマーブル模様の地層が出た。コインを湧き出るお湯につけてピカピカにした。

 

たまあみでよく行く池のいくつかのポイントをさらうと必ずタナゴやらモロコやらフナ、どじょう、ヤゴなどがとれた。父はこぼさないようそっと水槽を持ち帰ってくれた。母はいつも大漁だわ!と笑い、収集した石や貝をきれいに洗って窓際に種類ごとに並べるのを手伝ってくれた。私は「これでも、小さいのや種類によっては逃がしたんだよ。もっととれた。」と笑いながら言った。

 

小魚とエビカニ類とセミ、青虫などがいて、草原や野山や川べりを両親と散策してた。夏は時々近所の子と手持ち花火をしたり。それが小さなわたしの幸福の全てだった。写真に残っていないありありと記憶に残るシーンを思い返す。


小さな私が非行に転じたのは知らない人からの行為で、それはプロでない朴訥な家族には窺い知れず、癒せなかったこと、元々、私も含め、私達小さな家族に罪はなかったこと。これを考える。地域のほかの人にも誰にも罪はなかった。私には、知らない人からの行為が何かわからないままされたものだったので、それを単語などで表現できなかった。

 

繰り返し、家族と私に罰される罪があると考えてしまうし、マーブル色の地層、青虫、青虫の食べる樹の葉のことなど、どうでもかまわないと軽んじてしまう。立ち止まり、母がいつのまにか撮っていた小さな私の写真を複数現像して見つめる。

 

考えるのは、私は小さい頃は見守られて遊学していた、でも子どもだけの建物にはこの幼い私ぐらいの年齢の子が、見守られず、居た。それも忘れないでいたい。何が非常に安全でなかったか、何があらゆる不安定な要素だったか。

外で性被害→非行化→施設入り

実はわたしは、学校と外で性被害→非行化→施設入り、という流れをもっている。


だから学校や外での被害が第一にあるブログに一番反応し、個人的にコピーして読み返していたのも、外でのすさまじい被害のブログだった。なくなってしまったブログだけど、一部分印刷したものを大事にとってあり、自分の気持ちをなくしそうな時に時々読み返す。親は急激な私の非行にとても驚いたのではないか。まだ性のことなど分からない時に外で被害を受け、親に話すにも言葉がなく行動に表れて、親や周囲が気づけずに非行化、というのも少なくない気がする。

 

まず、なぜ気づいてくれなかったのかよりも、知らない他者がしてきたことを怒りたいし、大抵の暴力や被害や虐待は親が、親族が、となるから純粋に外や学校での被害も親の未熟という分析だったりして、見知らぬ加害者への自分の怒りや恐怖や怯えはゼロになる。だから私が、子どもの私の、見知らぬ加害者への怒りや恐怖や怯えをなかったことにしないであげたいと思う。

ともかく私はこのように、学校と外で性被害→非行化→施設入りした。

(ここまでの記載2016.7.12)

 

そして施設では

家庭にいた、情緒的な子どもは、びっくりしてしまうと思う。子どもが捨てられている事に…。

 

自分も同じ子のはず。でも、違いがまざまざと浮き上がる。自分も捨てられたらこのよう(な状況)になるのだろうか。しかし大きくなってた私は捨てられるとか関係なく、幼い子はすでに捨てられてたのだ。その、異質なものが恐ろしい。

 

打ち捨てられている、前向きな子。元気な子。静かな大人びた目と声をしている、その子の孤高が羨ましく見えるのは何故だろう。同時に親なしの子と言いたくなる粗暴な気持ち。たぶん自分が捨てられたくないあまりの言葉。自分はその子とは違うと言い切りたくなる差別の気持ち。

 

「なんでこんな幼い子と一緒なんだろう」これが正直な過去の気持ちだった。たぶん、見ているのが、苦痛だった。

 

ほぼ私より年上の子がいなかったのに(同年代や年上の子は少しいた)、盗みはしょっちゅうあって、殺伐で粗野な雰囲気で、何も気に留められることはなかった。簡単に、盗まれる者が、盗みたい気持ちに駆られる。ここで盗みは安全な行為だ。ここは子どもしかいない、しっちゃかめっちゃか。

 

いずれ私は親に向かうかもしれない。でも今は、建物内で小学生と中学生がする恋愛を虐待と言えないので、子どもだけの建物に、子どもでは処理できない状況が多すぎた事について、心ゆくまで考えたい。親に私は、あの建物内で加害をさせるつもりか!と怒りたいんだろう。なぜ施設の内情を知らなかったの?!と。

入らなければ見なくてすんだDV。入らなければ知らなくてすんだ出来事の数々。

 

親は素人だから、施設職員や社会の大人にも怒りたい。親はど素人でひとりだ。社会に人はたくさんいるんだもの。そんなに人がいるのに、建物内では出来事が起こり続ける。それを親ひとりのせい、責任には、しようがない。すべての人は、子どもが施設に入ったら何があるか、知ってくれてなきゃいけないんじゃないか。

 

子どもは大人を手本にする。子どもだけの建物で破棄されている子どもを見たら子どもは、捨てられた子どもには手立てがないと考えるだろうし、誰からも思いやられず固有の大人に決して守られない様子をみて、非常に傷つき、攻撃を向け傷つき感を解消しようとするかもしれない。私の場合は特に性被害について、幼い子がいることで、自分を制御しなくちゃならなかった。

 

2~7歳以下ぐらいの子と10歳以上の子は同じ建物内に居ちゃいけないとずっと感じてた。居ることが驚きの連続だった。とんちんかんな思いだけど、施設をわけてほしいと感じてた、切実に。今はそう思っても良いのではと考えられるようになった。施設をわけてほしいというのは=イコール、幼い子を短期入所のみにして欲しい願いと一緒だった。

 

自立援助ホームは15歳以上?の子が入るらしい。同様に7、8歳以下の子しか入らない施設、里親の元へ行くために短期入所してる施設があっていいのではと思うようになった。親子支援が満ちて、短期フォスターケアの元から親御さんの元へ戻れれば良いと思う。それが無理なら施設入所せず短期里親さんの元から長期里親さんの元へ。施設って私には鬼門らしい、避けて通れるならそれに越したことないと感じる。フォスターケアも。親子支援がとても足りないんだと思う。
2016.7.11

里親家庭へ行くことが出来れば、子ども達の連鎖が起きることは無くなる。

あの子は、ずっと施設に居た。

わたしは、途中でやってきた。

すぐに、恐ろしくなった。

あそこは地獄の底の底。

 

物はあるけど、治安の悪いスラムみたいなところだった。

小さな子ほど、餌食になった。

小さな子には、庇ってくれる親はいなかった。

小さな子は、全部わかっているのか静かだった。

無駄に泣いたりしなかった。


もし少年院なら、親や誰も身柄引き受けをしない場合はそれだけで満期入所だ。

小さな子も同じようだった。

ある時、わたしより小さな子が数人に取り囲まれていて

わたしは足が竦んだ。

ある時、大人の女が女の子を床に叩き落としていた。

ある時、別の女の子がマリアさまの祈りのようなものを一心に暗唱していた。

自分の大小便を廊下でして、あたりに投げ散らかす子がいた。

大事な本をびりびりに破かれた子。何も食べず、点滴をしてた子。狂ってしまった子。自分を傷つける子。

他者を傷つける子。

 

全員、今のわたしからみればほんとうに小さな子どもたち。全員、あたたかな里親家庭(フォスターケアのもと)へ行ってほしかった…。

2~8歳ぐらいまでの子と、9~16歳ぐらいの子をわけた施設構成をしてほしかった思いもある。

子の親なら、誰が、傷つき続けてはちゃめちゃに表現する年上の子たちと、自分の幼子を寝食共にして放っておくだろう?!

子の親なら、誰が、傷つき果てた年上の我が子のそばに、あえて小さい子を何人も置いておくだろう?!

里親家庭へ行くことが出来れば、子ども達の連鎖が起きることは無くなる。