子どもをひきとってくれた里親さん、ありがとう。
だんだん、わたしは、
里親さんの話を聴いたり、読んだりするようになると
落ち着くようになった。
とても落ち着くの…かつて絶望してた子どものわたし、
幼い子の虚ろな目をまじかに見ながら何もできなくて絶望してたわたしは
やっと育って、里親さんがいるって知ることができた。
(きっとわたしは幼い頃に知りたかったものを今、自分で満たしているのだ。)
里親さん、養親さん、施設暮らしの小さな子をひきとり
長期養育を考えてくれる大人達がいるってやっと知ることができた。
(その人たちは必要なら産みの親を誰より弁明してくれる。必要ならともに葛藤し、
世の中を批判もし、建設的に考えてもくれる。ひきとられた子どものまるごと全てを、
支持しようとしてくれる。その子どもに対し、ひとりの人間の子どもとして接してくれる。)
それまで永い時間だった。
里親さんが自然体で、引きとった子どものことを考えてくれるのが嬉しいの。
里子さんに対しては、わたしは、遠くにいる一人でしかないから、
周囲の人が、里子さんのこと、施設にいた子どものこと、沢山考えてほしいと
思っている。その子どもを一人の人間の子どもとして。
わたしは自分がどのような人間かよく知っているし、
そして別の子どもはわたしとは違い、その一人ひとりは、
それぞれ違った特有のひとなのだもの。
その子ども自身を生涯、そっと見つめてくれる
変わらない固有の育て親の実在が、その子にあってほしい。
少数派でもいい。
わたしは年上の子。かつて
小さな子どもが少しだけ伸ばした手から通り過ぎてしまった・・・
---------
ふっと気持ちがわいてきたので即興で上記、書いてみました。あとで写真でもつけられたらいいのだけど・・・
産みの親御さんの、里親が里子に対してする弁明についてはまた何か書いてみたい。書籍では、配慮しながら、適切に肯定的に、自然体で里子に対し伝えていた。
里親さんのもとで、はじめの動き出した時間。
ドラマ「はじめまして、愛しています」のはじめほどではないけど、施設では、廊下ですれ違う時にしがみついて噛みついて来る子は、実はいた。
その前後のエピソードはゼロだけど。
その子どもの名、年、顔つきも覚えていない。
同じように噛みつく子どもでも、決定的な違い。
はじめは、新しいお母さんになってくれるひとに噛みついた。
どんな葛藤が苦しみがあるにしろ、
通りすがりのちょっと年上の子どもの私などには決して不可能な事が
新しいお母さんには、出来るのだ。
はじめのような小さな子の苦しみ、それを小さな子がたとえわたしに表現してくれたとしても、通りすがりの、建設的なところが無いものなんだと思った。
はじめが噛みつきのような、苦しみの表現を、
ずっとそばにいてくれるあたらしいお母さんに出せて本当に良かった。
はじめの時間は、動き始めたのね。
絆のための戦いを描いてくれている。ドラマ「はじめまして、愛しています」
諸事情で2話めから観ています。2話めの感想。
このドラマでは、このひとりの子に焦点をあてて(実際にあり得る)物語として考え学ぶ事が出来る。実際に身近にある物語として考えて下さる方がきっと増える、と思えた。
新しく里親さんへ引き取られた、難しいと言われていた子ども、一(はじめ)。でもはじめは3日で試し行動を出せた。里母美奈の、「ほかの人がいると大人しいんです、わたしと2人のときだけ」という言葉も、実際に現実である感じが伝わってきた。ドラマだとあっという間だけどかなり美奈はがんばったんだと感じた。
唯一無二のお母さんをどれだけ子どもが必要としているか。それが言葉になっていないにもかかわらず、全身で表現する子ども(それを描いてくれるドラマ)。
施設ではひとりでいた。今回のような表現を見せたい対象も無く、5歳ぐらいになるまで、乳児期から必要な対象であるお母さんお父さんがいないまま、必需な要望を表現せず静かにしている。そして対象者が現れると、試し行動に移すことが出来る、という実際にあり得る事実を、感じた。(家庭養護促進協会の機関紙をまとめた書籍「あしたから家族」にも分かりやすく載っている)
子どもの行動表現で、里母美奈は子どもの虚無をおもい、苦しくなれる。子どもの里親になろうとして、子どもを引きとらなければ実感し得ない、施設では顧みられる事のない(対象者がいないと出来ない)その子の虚無。
子どもだけの建物にいた、はじめと似た眼と雰囲気の幼い子達の群像を思い浮かべる。しかし、はじめは群像ではなくなり、対象者と出逢った。わたしは対象者と出逢うべきあらゆる子どもが、必ず出逢えますようにと改めて願った。
出逢えない子どもは多いのだ。産みの親御さんがもしもフォスターケアのもとへ子どもを送り出してくれたら、もし果てしない苦悩のさなか、子どもを里親のもとへ、と考えてくれたら。そしたら子どもは施設の群像でなく、あのはじめのようにひとりで静かな虚無の眼を持ち続けることなく、成長していつか、産みのお父さんお母さんへ肯定的な気持ちが沸き起こるだろうと感じた。
ドラマを観て再び施設にいた子ども達を思い浮かべる・・・
真空の部分のあるわたしの子ども時代をおもうと苦しくなるが、わたしはそれでもこのドラマを、心から有難くおもう。
施設へ居続けるのはたいへんな虚無であるし、たとえば、羽子板や破魔矢という言葉も覚える機会がなかったり、料理、家・部屋の整備、親族や家に来る友人とのかかわりなど、通常のまあまあの家庭経験がとても不足する。
産みの親御さんは、ものすごく苦渋の決断なんだと思う。ドラマ明日ママがいないでは、むちゃくちゃな産みの親御さんが描かれていた。でも書籍「あしたから家族」では、もっと苦渋が、苦難が書かれている、産みの親の苦悩、離れて暮らす子の苦悩、あたらしい親の苦悩。なんとか見守る家庭養護促進協会の人。
このドラマでは、はじめに対象者が現れ出逢いを果たしたことで、いつかはじめが産みのお母さんに自然に逢えるような感じ、逢えなくても産みの母についての虚無は感じず癒えた気持ちで肯定的に産みの親を思うだろうという感じを持てたし、そのように思わせてくれるドラマを観て、とても有難く、とてもびっくりした。
一喜一憂していてはいけないと思って気持ちを落ち着けて真剣に観た。
里親さんになりたい人も、地域で行動している大人も、施設出身の人にも、観てほしいドラマだと思った。
里親の意思疎通については、
里母は「勝手に父を呼ばず、呼ぶときは明確にそう言ってくれたら、心づもりをするから」と伝え
里父は「なぜ父を呼ばないのか。助け合わないといけないのだし、難しいだろうが短時間、どうぞ呼んでくれないか。はじめはひとまずピアノに興味があるようだし、親族の紹介としてもいいだろうし。」とわかりやすく言い合えば良かったのではと思うが、
それらは意図して端折り、苦難と現実の戦いと心的な出逢いの部分をクローズアップしフォーカスして伝えてくれた感じ。まだ2話だけどすごいドラマだと思う、やっぱり無理して1話も観ればよかった。
こういうドラマが出現する社会になってることがまだちょっと、良い意味で、信じられないかも。
大きなわだかまり。里親さんについて知る事への罪深い甘えの気持ち
実親の親権問題があるなら、フォスターケア家庭の元で実親を待つ選択を取ってほしいと思った。短期里親の元から、長期里親を待ってもいいと思う。
以前「8歳以下ぐらいの子と10歳以上の子とは施設を分けてほしい」みたいな事を書いた。書いてから何かわだかまっていた。
私が小さい子ばかり居るしかない場面をくっきり覚えてしまっているから、「居るしかない」「ずっと居るんだから無くせるわけない」に凝り固まり記事の最初の一文を思いつかず、今日やっと言葉にして書けた。
幼い子に乳児院・施設暮らしは要らない。それが根本。
フォスターケアの元では、1人の子どもに固有の育て親を含め10人以上もの大人が関わり、支えるのに対し、施設ではいつ誰が通りすがりに何をしてくるかわからない中、固有の良き後ろ盾としての大人親がおらず、子どもは放置され見守られないままなのだという事実を覚えていたい。
私は年上での入所のため、幼い子が施設に居る事に対して無感情になりがちだと思う。心から願う、幼い子が捨てられたり虐待を受けたら、まず施設へではなく、まず短期里親の元へ行けるようであればと・・・。
けど
里親さんについて語ってはいけないような気分にすぐなってしまう。
頭の中に里親の一語が無くて、里親の選択肢を要望することを思いつかず、気が付いてもその途端に、言うのが危険で、恥ずかしい、罪深い甘えに思えて・・・。
一時期数年以上、里親さんの語がよく出る資料や書籍に惹きつけられ、自分とは関係ないと思うのに惹かれて読み漁る時期があった。数年、それ以上先へは踏み出せず、里親・養親の団体サイトにはほぼ4年ほど?一歩も足を踏み入れなかった。
こういう私のような子どもが居ると仮定すると、ここで、
数年待ったりせず、今すぐ検索して里親・養親の団体サイトに行ってみて下さい!と書くのも手なのかな。ぜひ里親さん養親さんについて考えてみて下さい。
自分の事ではないけど、幼い子の事をやっぱり忘れたくない。他者である幼い子の事を書き続けてるけど、これは自分を加害者にしないための戦いなんだとも思う。
2016.7.15のメモ
心優しい家庭と、子どもだけの施設・・・忘れないでいたい。
子どもの頃のとても楽しかったことと苦痛だったことを見つめていたいと思って記事を書いた。
ザリガニ釣りと、セミ捕りと、草花摘みと、洞窟探検の、ものめずらしく楽しかったこと、それが家族の安全基地があったからこそだったこと。小さな青虫、小さな草、すべすべした石を見飽きなかった。蝶々やかいこを育て、特に気に入りの草を集めてだんごを作り、海と川でビニールとバケツに石を収集して標本にした。石を割るとマーブル模様の地層が出た。コインを湧き出るお湯につけてピカピカにした。
たまあみでよく行く池のいくつかのポイントをさらうと必ずタナゴやらモロコやらフナ、どじょう、ヤゴなどがとれた。父はこぼさないようそっと水槽を持ち帰ってくれた。母はいつも大漁だわ!と笑い、収集した石や貝をきれいに洗って窓際に種類ごとに並べるのを手伝ってくれた。私は「これでも、小さいのや種類によっては逃がしたんだよ。もっととれた。」と笑いながら言った。
小魚とエビカニ類とセミ、青虫などがいて、草原や野山や川べりを両親と散策してた。夏は時々近所の子と手持ち花火をしたり。それが小さなわたしの幸福の全てだった。写真に残っていないありありと記憶に残るシーンを思い返す。
小さな私が非行に転じたのは知らない人からの行為で、それはプロでない朴訥な家族には窺い知れず、癒せなかったこと、元々、私も含め、私達小さな家族に罪はなかったこと。これを考える。地域のほかの人にも誰にも罪はなかった。私には、知らない人からの行為が何かわからないままされたものだったので、それを単語などで表現できなかった。
繰り返し、家族と私に罰される罪があると考えてしまうし、マーブル色の地層、青虫、青虫の食べる樹の葉のことなど、どうでもかまわないと軽んじてしまう。立ち止まり、母がいつのまにか撮っていた小さな私の写真を複数現像して見つめる。
考えるのは、私は小さい頃は見守られて遊学していた、でも子どもだけの建物にはこの幼い私ぐらいの年齢の子が、見守られず、居た。それも忘れないでいたい。何が非常に安全でなかったか、何があらゆる不安定な要素だったか。
外で性被害→非行化→施設入り
実はわたしは、学校と外で性被害→非行化→施設入り、という流れをもっている。
だから学校や外での被害が第一にあるブログに一番反応し、個人的にコピーして読み返していたのも、外でのすさまじい被害のブログだった。なくなってしまったブログだけど、一部分印刷したものを大事にとってあり、自分の気持ちをなくしそうな時に時々読み返す。親は急激な私の非行にとても驚いたのではないか。まだ性のことなど分からない時に外で被害を受け、親に話すにも言葉がなく行動に表れて、親や周囲が気づけずに非行化、というのも少なくない気がする。
まず、なぜ気づいてくれなかったのかよりも、知らない他者がしてきたことを怒りたいし、大抵の暴力や被害や虐待は親が、親族が、となるから純粋に外や学校での被害も親の未熟という分析だったりして、見知らぬ加害者への自分の怒りや恐怖や怯えはゼロになる。だから私が、子どもの私の、見知らぬ加害者への怒りや恐怖や怯えをなかったことにしないであげたいと思う。
ともかく私はこのように、学校と外で性被害→非行化→施設入りした。
(ここまでの記載2016.7.12)
そして施設では
家庭にいた、情緒的な子どもは、びっくりしてしまうと思う。子どもが捨てられている事に…。
自分も同じ子のはず。でも、違いがまざまざと浮き上がる。自分も捨てられたらこのよう(な状況)になるのだろうか。しかし大きくなってた私は捨てられるとか関係なく、幼い子はすでに捨てられてたのだ。その、異質なものが恐ろしい。
打ち捨てられている、前向きな子。元気な子。静かな大人びた目と声をしている、その子の孤高が羨ましく見えるのは何故だろう。同時に親なしの子と言いたくなる粗暴な気持ち。たぶん自分が捨てられたくないあまりの言葉。自分はその子とは違うと言い切りたくなる差別の気持ち。
「なんでこんな幼い子と一緒なんだろう」これが正直な過去の気持ちだった。たぶん、見ているのが、苦痛だった。
ほぼ私より年上の子がいなかったのに(同年代や年上の子は少しいた)、盗みはしょっちゅうあって、殺伐で粗野な雰囲気で、何も気に留められることはなかった。簡単に、盗まれる者が、盗みたい気持ちに駆られる。ここで盗みは安全な行為だ。ここは子どもしかいない、しっちゃかめっちゃか。
いずれ私は親に向かうかもしれない。でも今は、建物内で小学生と中学生がする恋愛を虐待と言えないので、子どもだけの建物に、子どもでは処理できない状況が多すぎた事について、心ゆくまで考えたい。親に私は、あの建物内で加害をさせるつもりか!と怒りたいんだろう。なぜ施設の内情を知らなかったの?!と。
入らなければ見なくてすんだDV。入らなければ知らなくてすんだ出来事の数々。
親は素人だから、施設職員や社会の大人にも怒りたい。親はど素人でひとりだ。社会に人はたくさんいるんだもの。そんなに人がいるのに、建物内では出来事が起こり続ける。それを親ひとりのせい、責任には、しようがない。すべての人は、子どもが施設に入ったら何があるか、知ってくれてなきゃいけないんじゃないか。
子どもは大人を手本にする。子どもだけの建物で破棄されている子どもを見たら子どもは、捨てられた子どもには手立てがないと考えるだろうし、誰からも思いやられず固有の大人に決して守られない様子をみて、非常に傷つき、攻撃を向け傷つき感を解消しようとするかもしれない。私の場合は特に性被害について、幼い子がいることで、自分を制御しなくちゃならなかった。
2~7歳以下ぐらいの子と10歳以上の子は同じ建物内に居ちゃいけないとずっと感じてた。居ることが驚きの連続だった。とんちんかんな思いだけど、施設をわけてほしいと感じてた、切実に。今はそう思っても良いのではと考えられるようになった。施設をわけてほしいというのは=イコール、幼い子を短期入所のみにして欲しい願いと一緒だった。
自立援助ホームは15歳以上?の子が入るらしい。同様に7、8歳以下の子しか入らない施設、里親の元へ行くために短期入所してる施設があっていいのではと思うようになった。親子支援が満ちて、短期フォスターケアの元から親御さんの元へ戻れれば良いと思う。それが無理なら施設入所せず短期里親さんの元から長期里親さんの元へ。施設って私には鬼門らしい、避けて通れるならそれに越したことないと感じる。フォスターケアも。親子支援がとても足りないんだと思う。
2016.7.11
里親家庭へ行くことが出来れば、子ども達の連鎖が起きることは無くなる。
あの子は、ずっと施設に居た。
わたしは、途中でやってきた。
すぐに、恐ろしくなった。
あそこは地獄の底の底。
物はあるけど、治安の悪いスラムみたいなところだった。
小さな子ほど、餌食になった。
小さな子には、庇ってくれる親はいなかった。
小さな子は、全部わかっているのか静かだった。
無駄に泣いたりしなかった。
もし少年院なら、親や誰も身柄引き受けをしない場合はそれだけで満期入所だ。
小さな子も同じようだった。
ある時、わたしより小さな子が数人に取り囲まれていて
わたしは足が竦んだ。
ある時、大人の女が女の子を床に叩き落としていた。
ある時、別の女の子がマリアさまの祈りのようなものを一心に暗唱していた。
自分の大小便を廊下でして、あたりに投げ散らかす子がいた。
大事な本をびりびりに破かれた子。何も食べず、点滴をしてた子。狂ってしまった子。自分を傷つける子。
他者を傷つける子。
全員、今のわたしからみればほんとうに小さな子どもたち。全員、あたたかな里親家庭(フォスターケアのもと)へ行ってほしかった…。
2~8歳ぐらいまでの子と、9~16歳ぐらいの子をわけた施設構成をしてほしかった思いもある。
子の親なら、誰が、傷つき続けてはちゃめちゃに表現する年上の子たちと、自分の幼子を寝食共にして放っておくだろう?!
子の親なら、誰が、傷つき果てた年上の我が子のそばに、あえて小さい子を何人も置いておくだろう?!
里親家庭へ行くことが出来れば、子ども達の連鎖が起きることは無くなる。
里親さんの言葉を読み、嬉しくて涙が出そうになる。
里親さんは、子どもが、乳幼児が、子どもだけの建物に居続ける事を知って下さった。里子さん養子さんが来るかどうかにかかわらず、とにかくあの世界をみて知って下さって、里親の登録をしてくれた。時には里親についてや愛着について、世の中に発信してくれている。
あの集団の世界。
到底……、何が何やらはっきりせず、自分の魂が統御不能になり、はじけ散るような世界。わたしには全然合わなかった。いまもあの時の恐れに呑まれかける。気づくと暴力とそうでないものの違いが分からなくなっている。
恐れは、わたしに多様な事をできなくさせた。建物内で小さな子を思いやれなかった。わたしも子供だった、という気分にいつも負けてしまう。結果、小さな子の叫び声をわたしは庇わなかった。たすけてという小声を無視した。さらにわたしは子ども時代のわたしのことを詳しく知らない部分がある。
わたし全然子どもの頃は、週末里親さんの所へ行きたいと言っていいかもしれないことも知らなかった。実は2015年まで、全く無自覚に、小さな子ども達が捨てられているのは仕方がなく何の対処もないと諦めきっていた。里親という単語がふと目に入っても何のことか分からず気にならない5年ほどの期間があった。
そして、特に里親さんへ。
里親さんたちの言葉を読み、このような、素敵な里親家庭という世界があったの?とわたしは嬉しくて涙が出そうになるんです。年上の者だったけどわたしはくるしくて、小さな子、乳幼児だけでも建物内にいてほしくないとと願った。
それはすぐ焼き切れそうな火花だったけど、里親さんは生涯、里親さんだということ。
行動をし続けてくれている。登録をしていてくれている。
いまも里親さんのもとへ小さい子行ってほしい願いが自分の軟弱さのために擦り切れて無くなりそうだけど、消えそうなゆらぐともし火を、里親さんがいて下さる事で、わたしが続けて灯していられること。時には油断してうっかり気が狂いそうになる時もある、そんな時は、里親さんの言葉を読むんです。それで正気を続けていられる。
ここはわたしの書き殴り吐き出しブログなんですが、里親さんへのお礼の気持ちは、とても大きいんです。恥ずかしながら、わたしは、もう一度それを書き記しておきたいと思いました。2016.6.28~30ごろ。メモ帳下書きは、この3倍は長文乱文で1つ前の記事と同じこと書いてたので削りました。
里親さんへのお礼の気持ちはどういう内容か
幼い子を里親さんのもとへ行けるよう骨を折ってくださる方と、里親さんには、個人的に深くお礼を言いたい心境が常にある。
そのわけ
わたしは一時期だけ施設に居て、そこでのダメージが、一生をかけて償う罪になったと思う。ほかの子どもは違う、けどわたしは、ハイリスクを知り抜いていたのに何もせず、時には悪に染まったのだから。捕まってない事、刑罰には問われない事をもってのうのうと生きるのは罪悪と考えてる。
言い訳の言葉
わたしの罪は幼い子(3~6歳ぐらい?覚えてない)達がそこに居た事に由来する。いなければ良かった、脱走し、もう行かなければ良かった。でも、いなければいけなかった。今もこのような言い訳を綴ってしまう。反省できてないし、罪の内容はとても書けない。
「自分の心を壊して小さな子を避ける」これが建物内ではうまくいかなかった。子供だけ50~70人の建物だって、何もしない子達だって多いのだから、元からわたしの内部に罪が根ざしてたのだ。
わたしは、傷つき続けて百戦錬磨となった子ども達が万引きや売春の指令を年下の子や幼い子に出す事を悪いと思ってない、それはエネルギーの方向が違うだけだとおもってる。わたしの罪はそれとは別だ。
お礼の気持ち
里親さんは、新しい親御さんは、こんなわたしのような子が暴力をしないように、する前に、幼い子を引きとってくださる。
あたたかく慈しみ、一緒に過ごし、絆をつなげ、苦心してともに悩んでくださる。
その子自身がどのように生まれ、生きてきたのかに思いを馳せて下さる、
そして、わたしのような大きな子からダメージを受けたかもしれないことについても、深く考えて下さる。
幼い子たちは、そうやって、ハイリスク環境から、そうでない環境へのご縁が結ばれた。わたしが小さな子を加害しないよう、自分を破壊しながら、罪を連鎖させないようにがんばってきたのは、無駄ではなかった。
同時に、わたしが行った罪からは、わたしは逃れられないのだと再三、思う。目の前にあった環境、状態のイメージから目を逸らせない。何をしたのか、を聞き出さない繊細な世界、今は、わたしはそこに、今もいるけど、それでも里親さん方は、社会的養護全体について、心を痛めながらも、魂を砕き、考えて下さる。
本当に感謝いたします
幼子が居続け、百戦錬磨の子ども達が幼子への権威を奪い合い、それを阻止する固有の大人が誰もいない、異次元の空間に従い続けた悔恨、それが里親さんの言葉にふれるだけで、癒されるのがわかる・・・。2016.6.26に書いたけど上にあげたいので投稿日時を1年ずらしました。
毎回、確認するなくしそうな想い:小さな子たちが乳児院や施設に長く取り残される前に
わたしの、毎回、確認するなくしそうな想いとは
基礎的な情報を子どもに渡してほしい。子どもだけの建物は暴力リスクの高い環境。願いは、小さな子たちが乳児院や施設に長く取り残される前に、新しくあたたかな里親家庭で支えられ、子どものこころ、子供時代を、もてるようになること。
たとえ新しい家庭へ養子縁組が叶わなくてもすてきな里親家庭へ行くことや、週末里親、季節里親への望みを絶たれない事。そのための、基礎的情報の共有がほしい。
ということ。
殺伐な気持ちの渦の中で、「あの子を里親さんのもとへ出そうと尽力して下さった職員さんがいらしたそうです。」というような里親さんのいくつかの言葉で自分を希望につなぎとめる。かつて、わたしの目の前には小さな子の静謐な虚無があり続けたけど、そういうことがなくなる希望を持たせてくれる、すてきな里親さん家庭と色んなすてきな家庭に心を魂を近づけてあたためる。
情報への執着心、所有欲、子どもの頃もらえる子たちへの嫉妬心は、ある。子どものころ、なぜ情報をもらえなかったのだろう、わたしのように子どものころ情報が不可欠だった子が情報をもらえてほしい。うらやましい、ほしくてしょうがない、過去形にならない。わたしは少し大きくなってから、一時期施設にいただけ、それだけだけど今もショックが抜けない。リアルな断片の映像が繰り返し目もとに侵入する。慣れはあるけど。
入りたくなかった、逃げ出したかった。子どもはなにも選べない、苦痛を出されたら苦痛を受け取り、恋愛を出されたら恋愛を受け取る。長くいる小さな子はそれでも静謐で、落ち着いていて、恐怖を感じさせる。
その元を探ると私個人の本音は…「このようであっていいの? いいえ、いいはずがない。それなのに、取り残されて・・・、大人は、誰も、幼い子を決して見つけない。この幼い子は、いない。」「幼い子達は、群像になってて、とけ切ってて、わたしがひとの心をもってたら、壊される。・・・・・・・・・わたしもこんな風にずっといなきゃいけないの?」
わたしには密かに粗悪な悪性な本心があると気が付いてしまい恐れる
・・・だめ、
この気持ち直視できない。ちょっとストップ・・・
小さな子が、疲れ果て、建物内で虚無になり続け、いなくなり果てる前に、「わたしのような少し大きな子」からダメージを受ける前に、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
一応、ストップです。
けものの感覚が私個人にある以上、けものの罪を自覚して、記事序盤の、わたしというわたしなりのひとの心
「基礎的な情報を子どもに渡してほしい。子どもだけの建物は暴力リスクの高い環境。願いは、小さな子たちが乳児院や施設に長く取り残される前に、新しくあたたかな里親家庭で支えられ、子どものこころ、子供時代を、もてるようになること。
たとえ新しい家庭へ養子縁組が叶わなくてもすてきな里親家庭へ行くことや、週末里親、季節里親への望みを絶たれない事。そのための、基礎的情報の共有がほしい。」
これを、くるしくても持ち続ける。できないと思い続けながらも、
持つのはくるしいけど、ひとでありたいから。2016.6.19朝
里親VS施設:私が声をあげたいのだからこそ、他の者の言葉を打ち消したくない
里親VS施設:私が声をあげたいのだからこそ、他の者の言葉を打ち消したくない
結論
私が「一時期でも旅館みたいな静かな里親家庭へ、避難したかった!」と声をあげたいのだからこそ、里親のところは嫌だ!と声をあげる子どもの言葉を、聴かないことを、私は自分に許さない。
親権その他の法に関係なく、子どもが
「施設はいやですてきな家庭へ行きたい」
「新しい家庭はいやで施設へ戻りたい」
「(別の)施設を選びたい」
「生みの親から離れ施設へ行きたい」
「(主に年上の子かな)里親を選びたい」
「施設へ戻った。しかし施設より別の里親を選びたい」
(選択肢として年上の者には一人暮らしも入ってくる、でもここでは横に置く)
この選択肢を、柔軟に気さくに使えるようになってほしい希みがある。
そのわけ
私の気持ちは、以前から、言葉にならないまま心の中に存在してた。今回、書籍「他人が子どもを育てるとき 里親と暮らした50人の今」を読んで感想が出てきて、心の中がまとまるようになった。
子どもが、この里親家庭は嫌だから別のところへ行きたい、施設へ戻りたいという場合の保証もあってよいのではと思ってる。(特に年上の子どもはその保証が要る気がする。)
それは施設/学園で、ここは嫌だから別のところへ、里親家庭へ行きたいと言う時に、その子どもの必要が叶えられてほしいのと同様に語りたい事。これを語る時、里親家庭が嫌な子どもの事も語りたくなる。どちらの保証もあってほしいのだ。
里子さんの本を読むと、「私には里子の意識がなく、両親(里親さん)のところで本当に良かった」という言葉もあり、「本当に里親のところはいやだった。施設に戻りたかった。施設が良かった」という言葉もあった。どちらも、実感に裏打ちされた言葉が並び、本人の実感のある人生の様子が伝わってきた。(ここではたとえばよりすてきな里親家庭、その子のニーズにとてもよく合った家庭だったらどうかというのは横に置いとく)
「子どもの言葉を聞き、よく見守って、子どもの必要性を確認し、その子どもにとって必要な環境を整える」「(特に年上の、里親家庭へ行くことに不安のある)子どもにもし里親家庭で何かいやだったら、施設に戻れる。戻る案もある。柔軟性があると伝える」というような、「子どもが行った場所が必要性を満たさない場合、行き場を変更できることが大事。これが可能な事実を(必要な)子どもに伝えるのが大事」という文をほぼあまり読んだことがないので、ここで書いておきたくて。
(これをたとえば書籍あたらしいふれあい4に書かれていた場合にあてはめるのは違う。その場合では、家庭養護促進協会の人が訪問に行くと、その男の子は(帰されるのか?)と気が立って、訪問者が「私は1人で帰るからね。連れ戻しに来たのじゃないよ。安心していいよ。」としっかり伝えて、子どもはやっと安心していた。このような子どもにしてほしい内容とは違う。でもこの記事の文脈とは違うのでこれも横に置いとく。)
上記を踏まえると、(特に年上の子どもに対しての)季節里親、一時期の養育里親の必需さも見えてくる気がする。だんだん分かってきた。私が子どもの時、あの一時期、見守って見定めて私の必要を考え実行してくれる大人がいなかったこと。
子どもの私の言葉でいうと、一時期でも旅館みたいな静かな里親家庭へ、避難したかった。今私のところには、1週間に1枚、「あなたの愛の手を」欄が送られてくる。季節里子になりたかった私はその1枚を毎週読んで、多くの方が幼い子どもの生涯を考えてくれているのだと実感し、気持ちがおだやかになる。
別の人の真実の言葉はきっと「この里親家庭は全然良くなくていやだから、まず施設へ戻りたい。自分で決めたい」というような言葉になるのかも。この言葉は空想だけど、私が「一時期でも旅館みたいな静かな里親家庭へ、避難したかった!」と声をあげたいのだからこそ、里親のところは嫌だ!と声をあげる子どもの言葉を、聴かないことを、私は自分に許さない。
子どもたちは親権に踊らされてる印象。養子縁組は幼い子に特に必要と思う。乳幼児からの施設暮らしは大ダメージだから。でも親権問題がつきまとってあたらしい家庭へ行けない幼い子もいるし、もしかしたら養子縁組をして、その家庭が悪かった場合もあるだろうし。たぶんどれがいいとか一概に、言わなくていい事なんだ。
私には、親権その他の法に関係なく、子どもが「施設はいやですてきな家庭へ行きたい」「新しい家庭はいやで施設へ戻りたい」「(別の)施設を選びたい」「生みの親から離れ施設へ行きたい」「(主に年上の子かな)里親を選びたい」「施設へ戻った。しかし施設より別の里親を選びたい」(選択肢として年上の者には一人暮らしも入ってくる、でもここでは横に置く)この選択肢を、柔軟に気さくに使えるようになってほしい希みがあるのだと分かってきた。
優柔不断な希みではないと思う。2016.5.12
子どもだけの建物では、子どもの無惨は、自然な日常だった
あの子どもだけの建物では、子どもの死は、太陽が昇って沈み、また昇るような、自然な日常だった。
それは・・・・・・、たぶん、わたしのおもう死と無惨は、まじかだった。
だから、わたしは
太陽は本当にまた昇るの?なぜ?と考えたりしなかった。(考える学者もいるだろうけど
太陽は昇り、雲は流れ、また太陽は沈んで、昇った。それの何が疑問だろう?
でもいつしか何故か考えることができるようになった。
子どもの死が、無残なことが、太陽が昇って沈むようなごく当たり前の悠々自適な日常であったのは、おそろしい、くやしい。
わたしはこんな感性の子だった。
安全になり、正しく苦悩できるようになれたこと、本当に良かった。
苦悩は、良心があらわれてくれたのだと解釈してる。
神々に感謝します。
学園(施設)を改善したいと活動して下さる方に1つだけ頼めるなら
一つだけ、学園(施設)について改善したいと行動して下さる方にに頼めるなら、意見書を人権系センター・市民系センターへ配って下さい!!とお願いすると思う。そして養護施設に関する広報DVDを人権センターへ置いてもらってほしい(2つ願ってしまった)。子どもの虐待DVDは多く置いてくれてるのに養護施設について語っている啓発DVDがほぼ1つもないのだよ!!!!
私は怒っている。
比較はダメと思うけど切磋琢磨的な意味で言うと、会員がたしか数百の「多文化共生センター」、ここは機関紙が施設関連のものより自由に発信され個人情報も守られ地域に置かれているし、「隣に生きる外国人」というような多文化に関する啓発DVDもセンターをうろちょろしただけで、ふっと目につく。でも施設にかんするDVDは、うろちょろしただけではほぼ決して見つからない。しょーじき、人権系のセンターが、そういう情報を自ら、学園について活動する団体へ連絡をとって集めようとしないところに特に怒りを感じる!!!!うおおおおお!(すみません)とにかく養護施設があることすら一般市民は意識にない木すらするので。
理解に苦しむ・・・とか言ってちゃ、私は本当にダメ、、私は真剣に、お願いしたいと思います。1日中、土下座をしてお願いしたい気持ちがあります。学園(施設)に関する啓発DVDを、人権に関するセンターへ配って下さるように。学園についての意見書を、人権に関するセンターや大きい図書館等へ置いて下さいますように…。何卒、何卒、お願い致します。
(施設の単語を言うのが個人的に苦痛なので、学園と言い換える事が多いです。すみません。)
乳児院や施設の子どもが気になる方。機関紙「あたらしいふれあい」の購読会員になって下さい。
あらゆる市民の方。不妊の方、LGBTの方、色んなご夫婦の方。乳児院や施設の子どもが気になる方、人権・平和・子どもの権利・子どもの暮らし・人間の一生などに興味のある方、とにかく読んでみたい方、なんとなく気になる方。
大阪の家庭養護促進協会から出ている広報機関紙「あたらしいふれあい」の購読会員になって下さい。
家庭養護促進協会さんは、日々、乳児院と施設に居続ける小さな子どもにあたたかですてきな親御さんを探す活動をしており、毎月の活動を「あたらしいふれあい」に載せて発信しています。小さな子どもさんに良き親御さんを探す活動は全国にあると思います。その中でも、家庭養護促進協会さんの機関紙「あたらしいふれあい」は、個人情報に配慮しながら、その月の活動のまとめを丁寧に書いて、市民に知らせている広報紙だと思います。
色んな団体の方にも購読をおすすめします。幅が広がるし、身近な方や不妊のご夫婦さんや、必要な方に、情報をお伝えすることができるかもしれません。様々な活動がありますが、特に1つ購読会員になるとすれば、「あたらしいふれあい」をかなり勧めます。ぜひ考えてみて下さいね。
追記:
2015年の秋ごろまで、わたしは子どもだけの建物がそうであることを、自然だ、仕方ないと思っていた。なのであまり辛くなくて、希みがなく、希みないままに生きてた。建設的な活動をし続けている大人達のことをその頃やっと知り、はじめて辛くなり、同時に希みをもてました。
施設で小さな子の無を垣間見ること
過去について。そばに沢山の小さな子が居た事とは。
私のそばに小さな子達が居続ける事は、(別に里親になろうとしてたわけじゃない子どもの)私にとっては毒でしかなく、年下の子に対し排除的な思考しかなく、どうあがいてもあの子にとってこちらは加害者でしかなかった。このことがおぞましい。これに関してだけは、考えてくと私は自分の存在を滅ぼしたくなる。
ほかの年上の子ども達がこういう感じだったとは決して考えない。特に私にとって、小さな子が、その無が、脅威で、害で、私は罪人だったのだ。
私は、知っていた。たぶん・・・・・・・。その小さな子が遺棄されていて、生まれてもいないかのように、何をしても・・なんでもないとされるだろう事・・
たぶん、施設には乳幼児からいる小さい子がいて、虐待受け続けた大きい子が入ってくる。大人の里親さん養親さんでも、捨てられた小さな子と絆を作っていくのは戦いになる。それなのに、要養護児童の小さな子と、大きな子をいっしょくたに入れたら、戦いが起きると思うのは、自然な考え方にも思える。
小さな子は遺棄されていて静かで、大きな子は傷で苦しんでいる。2つは根っから別問題で、大きな子を、ミニ里親さんのようにしてはいけないと思う。大きな子は、小さな子がずっと施設で遺棄され続けてることへのショックが、自覚的にしろ無自覚にしろ、あるのだと思う。
里親さんや固有の大人ががんばって、小さな子を慈しみ育てるのとは違う。大きい子は有無を言わさず、小さい子と過ごさなきゃいけない。それは大きい子に加害者になれと言ってるも同然と思った。
里親さん宅でも、実子がいたら、実子をスタッフのように使わないように、と考えられている。もしも施設の中で小さな子や希望するあらゆる子が里親さんのもとへ行く事についてもっと考えられていたら、きっと大きな子達や、里親の元へ別に行きたくない子どもにも、それは良い知らせだと思う。小さな個人の存在と個人個人の事を考えてくれてる事だから。
里親さんが、里子さんを見て虚無を感じ、心を砕き、苦悩を重ねるのと同様、施設内で大きな子も、小さな子の虚無を見てしまったら、苦悩すると思う。
正直、わからないの、こうやって書いていても・・・何が何なのか、どういうことなのか・・・。わからない。理詰めで語れなくて、がくがく震える感覚のままに、書いてる。
今回は特に私の暗さを書いたので、読んでくださった方ありがとう・・・。書いてる理由は、吐き出しと、発信と、そうせずにはいられないから・・・という感じなど。重い表現などでもし悲しませてしまったら、すみません。