できごと

里親さんの言葉を読み、嬉しくて涙が出そうになる。

里親さんは、子どもが、乳幼児が、子どもだけの建物に居続ける事を知って下さった。里子さん養子さんが来るかどうかにかかわらず、とにかくあの世界をみて知って下さって、里親の登録をしてくれた。時には里親についてや愛着について、世の中に発信してくれている。

 

あの集団の世界。

到底……、何が何やらはっきりせず、自分の魂が統御不能になり、はじけ散るような世界。わたしには全然合わなかった。いまもあの時の恐れに呑まれかける。気づくと暴力とそうでないものの違いが分からなくなっている。

恐れは、わたしに多様な事をできなくさせた。建物内で小さな子を思いやれなかった。わたしも子供だった、という気分にいつも負けてしまう。結果、小さな子の叫び声をわたしは庇わなかった。たすけてという小声を無視した。さらにわたしは子ども時代のわたしのことを詳しく知らない部分がある。

 

わたし全然子どもの頃は、週末里親さんの所へ行きたいと言っていいかもしれないことも知らなかった。実は2015年まで、全く無自覚に、小さな子ども達が捨てられているのは仕方がなく何の対処もないと諦めきっていた。里親という単語がふと目に入っても何のことか分からず気にならない5年ほどの期間があった。

 

そして、特に里親さんへ。

里親さんたちの言葉を読み、このような、素敵な里親家庭という世界があったの?とわたしは嬉しくて涙が出そうになるんです。年上の者だったけどわたしはくるしくて、小さな子、乳幼児だけでも建物内にいてほしくないとと願った。

 

それはすぐ焼き切れそうな火花だったけど、里親さんは生涯、里親さんだということ。

行動をし続けてくれている。登録をしていてくれている。

いまも里親さんのもとへ小さい子行ってほしい願いが自分の軟弱さのために擦り切れて無くなりそうだけど、消えそうなゆらぐともし火を、里親さんがいて下さる事で、わたしが続けて灯していられること。時には油断してうっかり気が狂いそうになる時もある、そんな時は、里親さんの言葉を読むんです。それで正気を続けていられる。

 

ここはわたしの書き殴り吐き出しブログなんですが、里親さんへのお礼の気持ちは、とても大きいんです。恥ずかしながら、わたしは、もう一度それを書き記しておきたいと思いました。2016.6.28~30ごろ。メモ帳下書きは、この3倍は長文乱文で1つ前の記事と同じこと書いてたので削りました。

 

里親さんへのお礼の気持ちはどういう内容か

幼い子を里親さんのもとへ行けるよう骨を折ってくださる方と、里親さんには、個人的に深くお礼を言いたい心境が常にある。

 

そのわけ

わたしは一時期だけ施設に居て、そこでのダメージが、一生をかけて償う罪になったと思う。ほかの子どもは違う、けどわたしは、ハイリスクを知り抜いていたのに何もせず、時には悪に染まったのだから。捕まってない事、刑罰には問われない事をもってのうのうと生きるのは罪悪と考えてる。

 

言い訳の言葉

わたしの罪は幼い子(3~6歳ぐらい?覚えてない)達がそこに居た事に由来する。いなければ良かった、脱走し、もう行かなければ良かった。でも、いなければいけなかった。今もこのような言い訳を綴ってしまう。反省できてないし、罪の内容はとても書けない。

「自分の心を壊して小さな子を避ける」これが建物内ではうまくいかなかった。子供だけ50~70人の建物だって、何もしない子達だって多いのだから、元からわたしの内部に罪が根ざしてたのだ。

 

わたしは、傷つき続けて百戦錬磨となった子ども達が万引きや売春の指令を年下の子や幼い子に出す事を悪いと思ってない、それはエネルギーの方向が違うだけだとおもってる。わたしの罪はそれとは別だ。

 

お礼の気持ち

里親さんは、新しい親御さんは、こんなわたしのような子が暴力をしないように、する前に、幼い子を引きとってくださる。

 

あたたかく慈しみ、一緒に過ごし、絆をつなげ、苦心してともに悩んでくださる。

 

その子自身がどのように生まれ、生きてきたのかに思いを馳せて下さる、
そして、わたしのような大きな子からダメージを受けたかもしれないことについても、深く考えて下さる。


幼い子たちは、そうやって、ハイリスク環境から、そうでない環境へのご縁が結ばれた。わたしが小さな子を加害しないよう、自分を破壊しながら、罪を連鎖させないようにがんばってきたのは、無駄ではなかった。

 

同時に、わたしが行った罪からは、わたしは逃れられないのだと再三、思う。目の前にあった環境、状態のイメージから目を逸らせない。何をしたのか、を聞き出さない繊細な世界、今は、わたしはそこに、今もいるけど、それでも里親さん方は、社会的養護全体について、心を痛めながらも、魂を砕き、考えて下さる。

本当に感謝いたします


幼子が居続け、百戦錬磨の子ども達が幼子への権威を奪い合い、それを阻止する固有の大人が誰もいない、異次元の空間に従い続けた悔恨、それが里親さんの言葉にふれるだけで、癒されるのがわかる・・・。2016.6.26に書いたけど上にあげたいので投稿日時を1年ずらしました。

毎回、確認するなくしそうな想い:小さな子たちが乳児院や施設に長く取り残される前に

わたしの、毎回、確認するなくしそうな想いとは

基礎的な情報を子どもに渡してほしい。子どもだけの建物は暴力リスクの高い環境。願いは、小さな子たちが乳児院や施設に長く取り残される前に、新しくあたたかな里親家庭で支えられ、子どものこころ、子供時代を、もてるようになること。
たとえ新しい家庭へ養子縁組が叶わなくてもすてきな里親家庭へ行くことや、週末里親、季節里親への望みを絶たれない事。そのための、基礎的情報の共有がほしい。

ということ。

 

殺伐な気持ちの渦の中で、「あの子を里親さんのもとへ出そうと尽力して下さった職員さんがいらしたそうです。」というような里親さんのいくつかの言葉で自分を希望につなぎとめる。かつて、わたしの目の前には小さな子の静謐な虚無があり続けたけど、そういうことがなくなる希望を持たせてくれる、すてきな里親さん家庭と色んなすてきな家庭に心を魂を近づけてあたためる。

 

情報への執着心、所有欲、子どもの頃もらえる子たちへの嫉妬心は、ある。子どものころ、なぜ情報をもらえなかったのだろう、わたしのように子どものころ情報が不可欠だった子が情報をもらえてほしい。うらやましい、ほしくてしょうがない、過去形にならない。わたしは少し大きくなってから、一時期施設にいただけ、それだけだけど今もショックが抜けない。リアルな断片の映像が繰り返し目もとに侵入する。慣れはあるけど。

 

入りたくなかった、逃げ出したかった。子どもはなにも選べない、苦痛を出されたら苦痛を受け取り、恋愛を出されたら恋愛を受け取る。長くいる小さな子はそれでも静謐で、落ち着いていて、恐怖を感じさせる。

 

その元を探ると私個人の本音は…「このようであっていいの? いいえ、いいはずがない。それなのに、取り残されて・・・、大人は、誰も、幼い子を決して見つけない。この幼い子は、いない。」「幼い子達は、群像になってて、とけ切ってて、わたしがひとの心をもってたら、壊される。・・・・・・・・・わたしもこんな風にずっといなきゃいけないの?」
わたしには密かに粗悪な悪性な本心があると気が付いてしまい恐れる

 

・・・だめ、
この気持ち直視できない。ちょっとストップ・・・

小さな子が、疲れ果て、建物内で虚無になり続け、いなくなり果てる前に、「わたしのような少し大きな子」からダメージを受ける前に、

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

一応、ストップです。
けものの感覚が私個人にある以上、けものの罪を自覚して、記事序盤の、わたしというわたしなりのひとの心

「基礎的な情報を子どもに渡してほしい。子どもだけの建物は暴力リスクの高い環境。願いは、小さな子たちが乳児院や施設に長く取り残される前に、新しくあたたかな里親家庭で支えられ、子どものこころ、子供時代を、もてるようになること。
たとえ新しい家庭へ養子縁組が叶わなくてもすてきな里親家庭へ行くことや、週末里親、季節里親への望みを絶たれない事。そのための、基礎的情報の共有がほしい。」

これを、くるしくても持ち続ける。できないと思い続けながらも、
持つのはくるしいけど、ひとでありたいから。2016.6.19朝

里親VS施設:私が声をあげたいのだからこそ、他の者の言葉を打ち消したくない

 

里親VS施設:私が声をあげたいのだからこそ、他の者の言葉を打ち消したくない


結論

 私が「一時期でも旅館みたいな静かな里親家庭へ、避難したかった!」と声をあげたいのだからこそ、里親のところは嫌だ!と声をあげる子どもの言葉を、聴かないことを、私は自分に許さない。

親権その他の法に関係なく、子どもが
「施設はいやですてきな家庭へ行きたい」
「新しい家庭はいやで施設へ戻りたい」
「(別の)施設を選びたい」
「生みの親から離れ施設へ行きたい」
「(主に年上の子かな)里親を選びたい」
「施設へ戻った。しかし施設より別の里親を選びたい」

(選択肢として年上の者には一人暮らしも入ってくる、でもここでは横に置く)
この選択肢を、柔軟に気さくに使えるようになってほしい希みがある。

 

そのわけ

 私の気持ちは、以前から、言葉にならないまま心の中に存在してた。今回、書籍「他人が子どもを育てるとき 里親と暮らした50人の今」を読んで感想が出てきて、心の中がまとまるようになった。

 

 子どもが、この里親家庭は嫌だから別のところへ行きたい、施設へ戻りたいという場合の保証もあってよいのではと思ってる。(特に年上の子どもはその保証が要る気がする。)

 それは施設/学園で、ここは嫌だから別のところへ、里親家庭へ行きたいと言う時に、その子どもの必要が叶えられてほしいのと同様に語りたい事。これを語る時、里親家庭が嫌な子どもの事も語りたくなる。どちらの保証もあってほしいのだ。


 里子さんの本を読むと、「私には里子の意識がなく、両親(里親さん)のところで本当に良かった」という言葉もあり、「本当に里親のところはいやだった。施設に戻りたかった。施設が良かった」という言葉もあった。どちらも、実感に裏打ちされた言葉が並び、本人の実感のある人生の様子が伝わってきた。(ここではたとえばよりすてきな里親家庭、その子のニーズにとてもよく合った家庭だったらどうかというのは横に置いとく)

 

 「子どもの言葉を聞き、よく見守って、子どもの必要性を確認し、その子どもにとって必要な環境を整える」「(特に年上の、里親家庭へ行くことに不安のある)子どもにもし里親家庭で何かいやだったら、施設に戻れる。戻る案もある。柔軟性があると伝える」というような、「子どもが行った場所が必要性を満たさない場合、行き場を変更できることが大事。これが可能な事実を(必要な)子どもに伝えるのが大事」という文をほぼあまり読んだことがないので、ここで書いておきたくて。

 (これをたとえば書籍あたらしいふれあい4に書かれていた場合にあてはめるのは違う。その場合では、家庭養護促進協会の人が訪問に行くと、その男の子は(帰されるのか?)と気が立って、訪問者が「私は1人で帰るからね。連れ戻しに来たのじゃないよ。安心していいよ。」としっかり伝えて、子どもはやっと安心していた。このような子どもにしてほしい内容とは違う。でもこの記事の文脈とは違うのでこれも横に置いとく。)

 

 上記を踏まえると、(特に年上の子どもに対しての)季節里親、一時期の養育里親の必需さも見えてくる気がする。だんだん分かってきた。私が子どもの時、あの一時期、見守って見定めて私の必要を考え実行してくれる大人がいなかったこと。

 

 子どもの私の言葉でいうと、一時期でも旅館みたいな静かな里親家庭へ、避難したかった。今私のところには、1週間に1枚、「あなたの愛の手を」欄が送られてくる。季節里子になりたかった私はその1枚を毎週読んで、多くの方が幼い子どもの生涯を考えてくれているのだと実感し、気持ちがおだやかになる。


 別の人の真実の言葉はきっと「この里親家庭は全然良くなくていやだから、まず施設へ戻りたい。自分で決めたい」というような言葉になるのかも。この言葉は空想だけど、私が「一時期でも旅館みたいな静かな里親家庭へ、避難したかった!」と声をあげたいのだからこそ、里親のところは嫌だ!と声をあげる子どもの言葉を、聴かないことを、私は自分に許さない。

 

 子どもたちは親権に踊らされてる印象。養子縁組は幼い子に特に必要と思う。乳幼児からの施設暮らしは大ダメージだから。でも親権問題がつきまとってあたらしい家庭へ行けない幼い子もいるし、もしかしたら養子縁組をして、その家庭が悪かった場合もあるだろうし。たぶんどれがいいとか一概に、言わなくていい事なんだ。

 

 私には、親権その他の法に関係なく、子どもが「施設はいやですてきな家庭へ行きたい」「新しい家庭はいやで施設へ戻りたい」「(別の)施設を選びたい」「生みの親から離れ施設へ行きたい」「(主に年上の子かな)里親を選びたい」「施設へ戻った。しかし施設より別の里親を選びたい」(選択肢として年上の者には一人暮らしも入ってくる、でもここでは横に置く)この選択肢を、柔軟に気さくに使えるようになってほしい希みがあるのだと分かってきた。

優柔不断な希みではないと思う。2016.5.12

子どもだけの建物では、子どもの無惨は、自然な日常だった

あの子どもだけの建物では、子どもの死は、太陽が昇って沈み、また昇るような、自然な日常だった。

それは・・・・・・、たぶん、わたしのおもう死と無惨は、まじかだった。

だから、わたしは

太陽は本当にまた昇るの?なぜ?と考えたりしなかった。(考える学者もいるだろうけど

太陽は昇り、雲は流れ、また太陽は沈んで、昇った。それの何が疑問だろう?

でもいつしか何故か考えることができるようになった。
子どもの死が、無残なことが、太陽が昇って沈むようなごく当たり前の悠々自適な日常であったのは、おそろしい、くやしい。

わたしはこんな感性の子だった。

安全になり、正しく苦悩できるようになれたこと、本当に良かった。

苦悩は、良心があらわれてくれたのだと解釈してる。

神々に感謝します。

学園(施設)を改善したいと活動して下さる方に1つだけ頼めるなら

 一つだけ、学園(施設)について改善したいと行動して下さる方にに頼めるなら、意見書を人権系センター・市民系センターへ配って下さい!!とお願いすると思う。そして養護施設に関する広報DVDを人権センターへ置いてもらってほしい(2つ願ってしまった)。子どもの虐待DVDは多く置いてくれてるのに養護施設について語っている啓発DVDがほぼ1つもないのだよ!!!!

私は怒っている。
 比較はダメと思うけど切磋琢磨的な意味で言うと、会員がたしか数百の「多文化共生センター」、ここは機関紙が施設関連のものより自由に発信され個人情報も守られ地域に置かれているし、「隣に生きる外国人」というような多文化に関する啓発DVDもセンターをうろちょろしただけで、ふっと目につく。でも施設にかんするDVDは、うろちょろしただけではほぼ決して見つからない。しょーじき、人権系のセンターが、そういう情報を自ら、学園について活動する団体へ連絡をとって集めようとしないところに特に怒りを感じる!!!!うおおおおお!(すみません)とにかく養護施設があることすら一般市民は意識にない木すらするので。

 

 理解に苦しむ・・・とか言ってちゃ、私は本当にダメ、、私は真剣に、お願いしたいと思います。1日中、土下座をしてお願いしたい気持ちがあります。学園(施設)に関する啓発DVDを、人権に関するセンターへ配って下さるように。学園についての意見書を、人権に関するセンターや大きい図書館等へ置いて下さいますように…。何卒、何卒、お願い致します。

 

(施設の単語を言うのが個人的に苦痛なので、学園と言い換える事が多いです。すみません。)

乳児院や施設の子どもが気になる方。機関紙「あたらしいふれあい」の購読会員になって下さい。

 あらゆる市民の方。不妊の方、LGBTの方、色んなご夫婦の方。乳児院や施設の子どもが気になる方、人権・平和・子どもの権利・子どもの暮らし・人間の一生などに興味のある方、とにかく読んでみたい方、なんとなく気になる方。

 

 大阪の家庭養護促進協会から出ている広報機関紙「あたらしいふれあい」の購読会員になって下さい。


 家庭養護促進協会さんは、日々、乳児院と施設に居続ける小さな子どもにあたたかですてきな親御さんを探す活動をしており、毎月の活動を「あたらしいふれあい」に載せて発信しています。小さな子どもさんに良き親御さんを探す活動は全国にあると思います。その中でも、家庭養護促進協会さんの機関紙「あたらしいふれあい」は、個人情報に配慮しながら、その月の活動のまとめを丁寧に書いて、市民に知らせている広報紙だと思います。

 

 色んな団体の方にも購読をおすすめします。幅が広がるし、身近な方や不妊のご夫婦さんや、必要な方に、情報をお伝えすることができるかもしれません。様々な活動がありますが、特に1つ購読会員になるとすれば、「あたらしいふれあい」をかなり勧めます。ぜひ考えてみて下さいね。

 

追記:

 2015年の秋ごろまで、わたしは子どもだけの建物がそうであることを、自然だ、仕方ないと思っていた。なのであまり辛くなくて、希みがなく、希みないままに生きてた。建設的な活動をし続けている大人達のことをその頃やっと知り、はじめて辛くなり、同時に希みをもてました。

施設で小さな子の無を垣間見ること

過去について。そばに沢山の小さな子が居た事とは。

 

 私のそばに小さな子達が居続ける事は、(別に里親になろうとしてたわけじゃない子どもの)私にとっては毒でしかなく、年下の子に対し排除的な思考しかなく、どうあがいてもあの子にとってこちらは加害者でしかなかった。このことがおぞましい。これに関してだけは、考えてくと私は自分の存在を滅ぼしたくなる。

 

 ほかの年上の子ども達がこういう感じだったとは決して考えない。特に私にとって、小さな子が、その無が、脅威で、害で、私は罪人だったのだ。

 

 私は、知っていた。たぶん・・・・・・・。その小さな子が遺棄されていて、生まれてもいないかのように、何をしても・・なんでもないとされるだろう事・・


 たぶん、施設には乳幼児からいる小さい子がいて、虐待受け続けた大きい子が入ってくる。大人の里親さん養親さんでも、捨てられた小さな子と絆を作っていくのは戦いになる。それなのに、要養護児童の小さな子と、大きな子をいっしょくたに入れたら、戦いが起きると思うのは、自然な考え方にも思える。


 小さな子は遺棄されていて静かで、大きな子は傷で苦しんでいる。2つは根っから別問題で、大きな子を、ミニ里親さんのようにしてはいけないと思う。大きな子は、小さな子がずっと施設で遺棄され続けてることへのショックが、自覚的にしろ無自覚にしろ、あるのだと思う。

 

 里親さんや固有の大人ががんばって、小さな子を慈しみ育てるのとは違う。大きい子は有無を言わさず、小さい子と過ごさなきゃいけない。それは大きい子に加害者になれと言ってるも同然と思った。


 里親さん宅でも、実子がいたら、実子をスタッフのように使わないように、と考えられている。もしも施設の中で小さな子や希望するあらゆる子が里親さんのもとへ行く事についてもっと考えられていたら、きっと大きな子達や、里親の元へ別に行きたくない子どもにも、それは良い知らせだと思う。小さな個人の存在と個人個人の事を考えてくれてる事だから。


 里親さんが、里子さんを見て虚無を感じ、心を砕き、苦悩を重ねるのと同様、施設内で大きな子も、小さな子の虚無を見てしまったら、苦悩すると思う。

 

 正直、わからないの、こうやって書いていても・・・何が何なのか、どういうことなのか・・・。わからない。理詰めで語れなくて、がくがく震える感覚のままに、書いてる。

 

 今回は特に私の暗さを書いたので、読んでくださった方ありがとう・・・。書いてる理由は、吐き出しと、発信と、そうせずにはいられないから・・・という感じなど。重い表現などでもし悲しませてしまったら、すみません。

 

季節里子になれなくても成人して里親情報を読むことはわたしを解放に導く

 

事実を、情報を求めてた。

 そういえば、わたし、漫画で施設に捨て置かれる=施設に買われる虚無の赤ん坊をメインテーマにした漫画を読んだことない。小説なら、ゲルマニウムの夜がいちばん、本質、真実をかいてると思うけど。基本、文章をあまり読めないので色んな漫画や本自体知らない。

 漫画「残酷な神が支配する」も性犯罪の絶望をはっきり描いてる点ですきだけど、寮内での話はあっさりしてた。外国で、主に義理の父との話。区分けするならステップファミリーなので、世のステップファミリーさん達にはきつい話なのでは・・・。というかわたしは不特定の人に対して震えたから、特定の大人からの話ってのは、わたしにはきつい話。

 ゲルマニウムの夜はキリスト系施設内身体暴力・性暴力・精神暴力・ありとあらゆることを、しかも日本を舞台に描いてるから、わたしはつらい時、枕元に置いて眠ると楽な本。施設内での実状がこれほどわかりやすく書かれた小説形態の本はないのでは?と思う。それがすべてではないんだろうけど著者は学園出身で。わたしがこの本に思い入れがあるので、学園内で他の子が体験したものを、外に出せる形態で、語ってくれている感じがする。

 

過去を回想すると


あの小さい子(複数)は、わたしにはなんのかかわりもない。
どーあがいても、あの子が捨てられてよーと餌食になってよーとなってなかろーと
笑ってても泣いてても叫んでても平坦でも
わずか数歳でも、なにがあったってなくったって、わたしには通りすがりの子。わたしは通りすがりの空気のような他者。久しぶりに泣いた。あの子は生きてるのかな?どこでどうしてるの?わたしが怯え続ける対象には顔が無く名前も無い・・・

2016.4.27

 

追記

それでも・・・。


里親に関する機関紙を読むと。


読むだけでも、とても嬉しくて、・・・

子どもの頃になにも知る事の出来なかった自分と、連鎖について、小さな子のこと、いろいろ、いろいろ考えるからつらい。

誰もはっきり教えてくれなかった世の中がつらい。

でも基本は、うれしい、

だってやっと、なにも知らなかった世界を脱して、ここに来れたんだもの。

 

わたしにとって機関紙を読むことはそれだけ大きいこと。

2016.4.29

いつも、里親さんについて隠されてない世界だったらと希求してる

倒れてる女の子がいて、誰かが来てくれてその子を助け起こしてくれて
もう倒れてなくてすむように、そこから出してあげてほしい

という空想がある。

誰かが、小さい子を、ぜんぶ出してあげてほしい

倒れてる子を出してあげてほしい

餌食になり虚無が続いていく子どもを出してあげてほしい

保護された子どもはいいんだけど、

そこより別のとこへ行きたいってなんとか言おうとしてるタイプの子は誰でも

もっと・・・・なんとか・・・・・。


愛の手欄(子どものあたたかなあたらしい親御さんを広く求める新聞の欄)で

5、6歳の子を紹介してくれるたびに思うの、

ああ、私は5、6歳を大きい子と思ってたけど

愛の手欄での紹介があるような年齢でもあるんだと。

 

 私のような、一時期だけ建物に入って小さい子が多いことにびっくりした子で、いつか、里親家庭について詳しく知って情報を広めたいと思う子も増えると思う。私は実は28歳でやっと、ああ、里親家庭について知りたかったんだと把握した。23歳ごろから里親さんという言葉はある程度目にしていた筈なのだけど、なぜだか、実際の活動があるサイトまで決して行かなかった。検索する気になれなくて。なので活動や団体を一切知らなかった。意識に入ってこなかった。活動がある事を把握したのが、28歳。私のターニングポイントになっていると思う。私は自分が一時期すてきな家庭で休みたかったんだと把握。というか、建物内に里親さんの情報もあり雑談・対話もあり情報がオープンならば、そこにいてもまずまず気楽だったかもね。

 何か私のブログが気になるような人がもしいるなら、里親さんの団体の活動を検索して知って下さい。
「あなたの愛の手を」欄など、色々検索してみて下さい。

 知りたかったことを早くに知れるかもしれない。この誘導文は、私がなぜか23歳頃から里親さんについて言葉は聞いていたにもかかわらず、苦心しながら、確実な良き後ろ盾となってくれる大人を探し、かつ実親さんのことも考え、とにかく懸命に、すてきな活動をしてくれている様々な団体さんのことを知ったのが28歳と、かなり間があいているからです。

里子さんの立場から描かれたビデオ「子守歌が聞きたかった」

時々思うの、自分の痛みを書いて、私の何になるのかな・・・。と。

できるだけ、痛みを書くなら、昔はこういうところがしんどくて、

子どものわたしはこうだったらもっと良かったと思ってたし、

わたしたち大人はなんでもできると思う

すでに色んな活動がある

という起承転結で話を書いて行けたらと思う。せっかく良い取り組みが実はたくさんあるのだし、

そういうのを取りあげて書いて、自分で覚えておかないとね。

 

------------------------------------

 

 里子さんの立場からつくられたビデオ「子守歌が聞きたかった」を埼玉県の図書館内で視聴してきました。

 県外から埼玉県立図書館へ訪れたのだけど、数日ですばやく取り寄せてくれて観に行くことが出来た。

 内容は、美容師さんになった里子さんの小さな頃からの回想。実体験をもとに描かれてる感じだった。

 劇団のこととかは全然知らないけど劇団ひまわりの名がエンドロールに出てきて、アニメにもなった少女漫画「こどものおもちゃ」でたぶんその劇団ひまわりをもじった「こまわり」が出てきてるから、知られてる劇団の人が出て、里子さんについて演じてくれたんだと思ってびっくりした。

 私の知らないところで、きっと色んな人が小さな子たちの事を考えてくれて、この映像のモデルになった里子さんもきっと思うところがあって、それで形になって、私のところにも届いたんだと思った。いいな。できたその年に、わたしたぶん子どもだったけど観たかったな。

 今回はじめて観れて、本当に嬉しくて有難かった。こういう映像があると知ってからの行動は早いの。今月だったと思う、知ったのは。

 ひとりの里子さんのエピソード、色んな出来事、気持ちと意志。序盤で歯医者さんに実親の姓を呼ばれて、ちょうど一緒に居た同級生に知られるシーンがあった。実際にこういうシーンがあったのだと思う。「どういうこと?」「聞きたい?」ってなって、どうなるのか息を詰めて見てたら、同級生の子が寄り添って話を聞いてくれて、そこもとても良かった。

 私はこういうビデオ映像を今まで知らなかった。
 こーいうブログで、どこまで、何を書いていーかわかりにくいし。実は情報や映像はひっそりと多いようだから、どれを紹介しよう・・・みたいな感じもあるの。 

 私は里親さんになりたいのじゃなくて、季節里子になりたかった気持ちを引きずってます(ちょっと違うかな・・・あの時期一人で安全で静寂な旅館にいたかった、という感じ)。「子守歌が聞きたかった」はネットのいくつかのページで知りました。こっそり映像を観て癒されていたい気持ちもあるし、もし子どもの私のような存在が1人でもいるなら、こうやって発信して伝えたい気持ちがある。実際、私は書いて子どもの私へ伝えているのだと思う。

 今回はビデオ「子守歌が聞きたかった」をご紹介しました。
 借りられるところがいくつかあると思うので、よかったらぜひ。

子どもの頃に里親さんについてもっと知りたかった。私の居た場所は煉獄で修羅場で淵みたいに空っぽだった

状況

 どんなにいやでも、どんなに身体的な性的な精神的な喧嘩があっても、私のような児童生徒がそこから出たいと言えない環境にいた。

 いやだという思考を忘れる環境にいた。小さな子はクールで大人で、何かされていたとしても、傍の私のほうが怯える状況だった。

 

 幼児は3歳までだと思ってた


 検索したら、小学1年に満たない子は幼児とあった。5~6歳まで幼児だったとは。私は幼児を35歳だと、そういう表情で暮らしてるから35歳以上だと思ってたのだ。身体の歳はスルーし、精神年齢、表情の見た目年齢をみてた。

 

 10代前半ごろの私より5歳ぐらいの者のほうが実際、大人びていた。あの者たちは、何事も動揺せずにこなし、大人のかんしゃくもキレイにやり過ごし、泣かず、物を盗られたり周囲が犯罪的に騒がしくても通常運転で、本当にすごく大人だった。

 でも5歳だったのだ。やっとわかった。私は見たくないから、子どもの沢山いる建物の中の5歳ぐらいの者たちを幼児と呼ばず、者と呼び、35歳だ、誰よりしっかりしてるなどと無理やり考えてたのだ。

 いまも油断すると、35歳以上だからいいの!という空想に引き込まれる。実際にあの子達が幼児の年齢だってことを忘れ、本気で年齢不明になる。

 

 小さな子のことを考えたらどうなるか


 小さな子のことは考えたことが無かった。小さな子にもしも心を痛めたなら、その建物の中で私は苦しまなければいけなかったから。苦しむのが苦痛だから、年長者だけど私だって子供なのだ、小さな子のことなど知らない、と考えていた。それ以上考えられなかった。私は小さな子を虐げる子どもや大人を見て見ぬ振りした。

 

 いまは、とにかく小さな子どもたちのことも考えたい

 

「小さな子ども」などと書くことに脅えがあるけど仕方ない。

 特別養子縁組可能な6歳未満の子は、学園に居続けるのなら、いつも社会の大人達に、養子縁組を前提に考えられていてほしい。

 乳幼児が、傷ついた18歳ぐらいまでの子たちの中で過ごし続けることが、どんなに危険な事か。やっと朧げに感じてきた・・・

 


 特別養子縁組はあらゆる子どものための法だとも聞いた。そうであるなら20歳までを特別養子縁組可能にしてほしいという言葉もどこかで読んだことがある。

 養子縁組のほうが(どちらかといえば)しやすいが、いつも特別養子縁組・普通養子縁組が難しい、実親がいるとされる放置され続ける子どものことが難しい問題になっている、でも本当にその子だけのあたたかなお父さんお母さん…里親さんが必要なのだ、という言葉も。

 

 子ども個人個人に合った取り組みがより広がってほしい。短期学園入所者には、家庭復帰のための多様な取り組みも、私が知らなかっただけでこの社会には沢山あるそうだ。もちろん学園をもっとしっかりちゃんとしたものにしていく取り組みも。地域社会に知られにくいけど探せばあるようだ。

 


施設学園へ行きたかったけど行けなかった子ども、

里親さんを嫌だと言っていないのに来てくれなくなったと語ってくれた子ども(書籍あたらしいふれあい4編 参照)、

施設学園と里親制度とこの地域社会の不備により、行きたくない所へ行かせられ、逃げ出す手立てももてない子(これは施設のことも里親のことも指す。丁寧に聴き感じとる手間を惜しまなければ、社会がちゃんとしていたら、施設に放置され続ける子もへんな里親の元へ行かせられる子もいなくなると思うのだけど)。

 そういう苦しむ子がいなくなってほしい。

 
 自分のことをまず語れたら

 
 私は私のことをまず語りたいし、私のことしか語れないと思う。建物/学園に居続ける小さな子を、虚無を、見続けるのがショックだった。どうしても、小さな子がどうしたいかは私には語れない、私が語れることではないと思う。

 でも私は育ってから、小さな子・乳幼児の施設放置は子どもへの重大な侵害で、あたたかな新しい親御さんを探す取り組みがもう長いこと着実に行われていたことをやっと知った。あの幼い頃の私はこれを知りたかった、子どもの頃に会報を機関紙を読み、大人とこのことについて丁寧に話したかったと心から思った。それに、里親さん養親さん候補がたびたび来る建物なら子どもたちは小さくてもちゃんとわかって、自分のお母さん(候補)はいつ来るの?と言いやすくなる。

 

 子どもの私がまだ知らないことが多いので引き続き伝えてく、子どもの頃の私へ。 

 

2016.4.3~5

 

 ・・・・・・・


 学園での私の犯罪を忘れない。

 施設は小さな子や私のようなタイプにとっては圧倒的な闇で虚無だ。

 あらゆる煉獄、修羅場があって、淵みたいに空っぽ。あらゆる闇は湧き出て逃れられない。

 

 大人になってからだと、すでに遅い。

 里親さんのことを知りたかった子どもには戻れない。

 里親さんのことを知り、学ぶ事が出来るのは、

 里親さんになりたい大人だけ。

 小さな頃に知りたかった、大人になってしまったただの子には、里親さんについて詳しく知る事が出来る場所は、もうどこにもないのだ。

 昔子どもだった者が、学園に里親さんの情報やパンフや映像をバランスよく置いてほしいと述べてもそれは、すでに手遅れだ。

学園に一つ、広報映像。

学園に一つ、里親会報。子ども・地域・人権センターにも一般家庭にも図書館にも。私はこれを願っていくと思う。とにかく子どもの頃、要所要所で、そのどこかで知れたら、あの罪を・・・なしにできたかもしれないから。

家族づくり~子供たちと里親の一年(関西のMBSで放映)

☆彡お知らせ☆彡


http://www.mbs.jp/

ここの左上の番組表ボタンをクリックしてください。

2016年1月22日(金) 10:05~11:00

第11回日本放送文化大賞準グランプリ映像’15
家族づくり~子供たちと里親の一年

親と暮らせない子どもを育てる里親として40年間で80人近い子どもを育ててきた老夫婦の日常~ある里親と子どもたちの泣き笑いの日々を見つめる

が放映されます。

関西地方にお住まいの方お出かけの方はぜひ。

養育家庭を子どもの頃に知りたかった気持ち

2015年12月後半あたりに書いたメモの引っぱり出し。

ブログ記事にしといたら、メモの場所を忘れずにいられるかな?と。

 

あの場所でこわれる自覚と、養育家庭を子どもの頃に知りたかった気持ち

 

 とにかく、子どものわたしが里親制度について知っていたって良かったよね、知っていたかった。子どものわたしの気持ちは安心でき、ピュアで人間的な気がする。

 

 短期で子供100人の場所に居ただけでも、ほんとに子供が、どのぐらいのスパンでそこに居続けるのかわからなくても、わたしは、そこでこわれることを意識した。そのためにこわれない手段を用いたり策を弄したり恥じ入りながら必死になった、そのような覚悟が要ったのはもしかしたらはじめてだった。

 

 だから、短期だけのわたしが、そこにいた5、6歳?の人達の事実を知りえなくても、ここに小さな子がいていいのか?ここに居続けていいのか?と悩み続けてもいい思う。

 

 罰のための部屋があったり、子供同士「やーい、そんなことしてたら罰の部屋行きだよっ」と言葉を交わし合う建物。暴力のある、建物。たとえ暴力がなくても、無機質。

 私は外の世界で大きな加害があって→家でパニック&沈黙→子供だけの建物へ入った。なのでちょっと建物の中で浮いてた。一般家庭や地域市民の様々な仕事の場や通常の地域社会には、罰のための部屋や体罰はないことに改めて気が付いた。外の世界から急に私の前に現れた大きな加害を、一般市民の私の親がケアするのはそうとう難しかったと思う。

いま、村上春樹が何人かの仕事仲間と、サリン事件に遭った人の話を綿密に聞いて録音をテープ起こししたものを丁寧に載せている本「アンダーグラウンド」が手元にある。「取材に答えたいのだけど、家族や周囲にとめられた。巻き込まれるのは大変なことなのだと家族は言う」というような話が「はじめに」に収められていた。私の家族も、私のであってしまった外での加害について、とばっちり感があった。私は私の家族が、この地上に生きる市民として、里親制度について何も知らなかったことに怒りがある。そして私も何も知らなかった。

 

 わたしは子供個々人の要望を決める立場にないし、子供多数(100人とか)の入る建物と里親家庭、どちらの情報もより多くあってほしいと思う。 

 

 あの場所に居続ければ、殺伐の渦中で、視界に入る小さな児童への通常の気持ちが、しだいに荒れ果てた、ここに居ればこうなるのはごく自然だ、当然なのだ、という心に組み変わっていく。悲鳴、傷み、怒声、力などに感じるものがなくなる。そうなっていく時の、脳が組み変わるこわさ、興奮と、やさしい落ち着き感、いまではそれが脳内麻薬が出て麻痺に至る道とわかるし、

つらくてこわい。   (希望は、こんなこと前は一切言っちゃだめと自分を断罪してた、今は書いてるってこと。


 やっと最近はゲルマニウムの夜をある程度読んで、わたしが居た、子供が居まくる建物で起こった事のこわさがわかった。この本は5年以上は目に入りながらも、避けてしまってた。
 そのような事が起こる建物だけは嫌だ。安全な建物に居てほしい。安全な施設とは、

 里親家庭についても情報が豊かにあり、小さな子ができる限り早く里親家庭へ行ける、

 実親家庭に子どもを戻せる支援をしつつ、平行して里親家庭へ行けるように支援しながら、一定期間を超えたら里親さんの元へ行く支援に切り替えてくれる(必要なら実親さんに、子どもが学園で暮らし続けるのは社会的な放置であって、もし子どもさんとの繋がりをもっていたいなら、逆説的だけど、養育家庭へ繋げてくれること。これが子どもさんの心を守って、しだいに実親さんのことも考えられるように育っていく。里親の元へ繋げることは、実際には、実親家庭との繋がりを守ろうとする実親家庭支援なのだと真摯に伝えてほしい)、
長期入所者のいない建物だと思う。

小さな子への連鎖。(起きて少しだけ考えます、その後日常に戻ります

きっと沢山の人たちが小さな子どもについて考えて行動している。
でもまだまだ、子どもの私が情報を得られるようにはなってない。
あの敷地内であの5~7~8歳ぐらい?の子どもに群がる、同じぐらいの年の子たちと、
その周囲のもっと大きい子ども達。

乳幼児が、小さな子が、傷ついた沢山の子ども達の渦中にいるよりあたたかな家庭で育てられる事を
たぶん、わたしはもっと望みたい。誰かと話したい。ひそかにでもいいから
あの小さな子を小さな子どもとして感じる心をとにかく無くさず、捨てずに、もってたい。
それはくるしい。やめたいようなくるしみ。

私は一時期、子どもだけの寝泊りする住みかに居ただけ。
それでこれほどこのように苦しむのは、よくわからない。その子のことを忘れればらくになれるかもしれない。自分を守り生きるために、夜は熟睡して昼は通常通り日常生活をすごして、とにかくあの小さな子どもに対する私個人の思いを守ってる。ほんとにわすれたい。

なんにもなかったと思うけど今でも危機感が残ってる。怒声と叫び声と泣く声、マリア様の名前を繰り返す子どものロザリオを抱きしめる微かに鋭い音、泣き声と混じる笑い声と嘲り、放っておこうよという声、

夜静かになっても、こわかった。女の子6人部屋でわたしは年上のほうだったけど、こわかった。自分への危機感もそうだけど、なにかあれば私は年下の子を売っただろうから。それができるのは年上の子どもだった。(できないって言われそうだけど、大人→年上の子→年下の子→幼子の順に連鎖があったりするから)
しかもその時は自分の年上だということに無自覚だった。なにか私があの建物の中でしていても、いまも無自覚だったらどうしようって思いがあるし。圧倒的に年長者は強いし、大人は強い。ちいさな子どもはかなり弱くて、わたしはとてもじゃないけどあの場に居た幼い存在を優しく守り抜けなかった。下手したら盾にして走り去りそう。
罰は、言い逃れが下手な子や幼子が受けることになる。連帯責任の時もあるけど、うまくやれば逃れられる。方法をいくつかやって私は、逃れてた。そのたびにほかの子がされたのだと、認めたくないけどどこか印象を覚えてる。書けない、わかってる。書けるものならすでに無くなってる。神様。