できごと

里親さんへの思慕のイメージ

 たぶん私はまだどこかであの施設に居るのだと思う。

 私はイメージする(思慕する)、

 ある子が、あたたかで、人生の良さも知ってて、「助力者としての大人」(養護児童の声p172)として共に生きてくれる養育者のもとへ行ける事。

 

 小さな子が里親さんのもとへ必ず行ける事・・・。

 

 30歳前後まで、自分より小さい年齢の者たちのことまで思おうとするゆとりが生まれてこなかった。私はどれだけ、小さい子ども達を蔑ろにしていたかを内省する。

 

 私には強い思慕があって、あたらしいふれあい2のp180『C子の実母が、手元で育てられないから、養子縁組で誰かに託したいと言ってきたので、里親を求めることになった。D夫妻は緊張感の高いC子を何の苦労もなく育てたという。苦労なんて途中からの育児だからあたり前という覚悟と、苦労を楽しみに変えてしまう柔軟性ゆえのことである』このような里親さんのことを、ずっと、ずっと想い描き、そのイメージで生きているところがある。

 世の中には、しっかりした、内面的にも豊かなのんきな大人がたくさん居て、私の魂の中に残るあの子のような子も、まずまず、ぼちぼちっと育ててくれるだろーと、つい、思慕のイメージを湧き起こす。

 

いつか吐き出しをやめ、ゆったりしたい。

 いつかしばらく経ったら吐き出しのような語りをやめたい、ゆったりのんびりしたい〜と思っている。時々、私のせいであの子たちが、という気持ちになる。

 早く知らせて欲しかった思いがあってブログでは、大人の私から子どもの私へ、子どもの私から大人の私へ、相互作用的に言葉を残すようになった。ここで吐き出す時期も必要なのかもと思ってる。

 資料は、斜め読みから始め、休憩をとりつつ読み進めてる。知りたかったものを読むと私は一時、気持ちのゆらぎが起きるから。それでも知りたい。休憩も睡眠も自分好みな量、充分にとる。読めない文もある。かなり、ぜんぶ情報をさけ、何も気づかずに済ます時があり、この自分の繊細なところを、なだめて、気楽に落ち着かせる。資料を述べる事にはなぜか迷いがある。

 専門的な資料を読む時、どうぞお気をつけてください。ぜひ無理なく、ためになりますよう。

ファミリーグループカンファレンスについて

 一生で一度ぐらい、辛かった事について書き留めてもいいだろうとズボラになって思う・・・。事実と想いを書けるのは安らぎ。

 

 取っ組み合っても、いつ、誰とか、覚えていられるところじゃなかった子ども集団。関わり続けるには責任がもてない子ども達が、いつもそばにいた。

 

 私は考えてる。

 「私は取っ組み合ったが、押したが、暴力じゃなかった」と思うのは言い訳かどうか。「子どものほうからやって来て、私から進んで子どもに触れた事は一切ない」と断言するのは、言い訳かどうか。こういう言い逃れは大人がよくする言い方のような。私はどの点で加害者なのか。

  小さい子ども達には必要なはずの連続した対象者がいなかった(のではないか)。

 

 たとえ、施設は3〜4人に1人が加害側になるとしても、それは言い訳にはならない。年下のあるいは弱い子が、いくらやって来ようが、近くにいようが、自制すべき。

 

 私は加害を自分の死で償いたい。しかし私は潔癖で、死で償えるものは何か?と思う。死で明確に償えるか。何が償いなのか。誰(複数)に償うのか。

 被害を受けた子どもという人間が、誰かわからず、数の問題ではないが数がわからず、その人間からどんな償いが適切かを知らされない。

 

 私はあらゆる施設的なところから脱落して、小鳥の声でも聞いていたい。昨日はメジロと1m半の距離でいた。私もメジロの好きな花の咲く木だと空想してじっと止まっていても、夢の中でないとメジロは止まってこない。ちょこまか機敏に動いている。尾長は少々、ゆったりした動きで、尾長に会えた私の人生は薔薇色の心だ。声は力強くて、姿がなくても判別できる。青みがかった灰色は尾長独自のもの。飛び方も美しくて、少々、典雅な様子で、しかもチャーミングだ、と思う。どちらかというと私の散歩コースの、ひっそりした神社をいくつか回るコースでよく見かける。ズボラなので見る時間帯や季節での変化は不明。鳥やバッタなどの生態系を調べる人になってみたかった。

 

 ファミリー・グループ・カンファレンスでやっと検索していくつか国会図書館で斜め読みしてきた。

 

 書籍 子ども家庭福祉分野における家族支援のあり方に関する総合的研究。確か、母はもちろん、短期で引き取りたいと願い、子ども側も、母が恋しく、家が良い、戻りたい場合。親族を含めたファミリーグループカンファレンスまでこぎつけて、対話し、意見や想いを考慮しあった結果、母が自分を整えるまで、子どもが親族のもとへ行く事が可能だとなっていった事例。子どもは同じ小学校へ通える。そして最優先されるべき子ども本人の希望、早く母の家へ戻りたいという願いを支える形になった。対話の、子どもの話したままの言葉がちゃんと載っている。(紹介事例なので実際の事例ではなく匿名的に構成してると思う)

 

(施設で家より多数の暴力がある事を、FGCでは・あるいは人々は大抵、知らされないかもしれない。けれど、それを言うのは脅しみたいなものかもしれないので、自分ではもし言うとしたら難しく感じる。)

 

 母も子どもも、共に暮らしたい。その場合、借りられる親族の力も借りることは本当に良いと思った。子供が施設入所がいいと言ったり、親側が子どもを家には置けないと拒絶し続ける場合とは違うのだと思った。

 

確か書籍ファミリーグループカンファレンスの可能性、61ページにはこうあった。「子どもの生活にとって最高の価値ある資源は、専門職や機関でなく家族である(Merkel-Hol-guin 1998a:10)」。

 

 施設で誰も来ない子が「自分にはなぜ来ないのか」「私にもほしい」と言う。そのような子どもに、必ず里親が現れてほしい。

 そのような子ども個人の思いが実在すると学び、感じ取りたいのであれば、「母と家にいたい」と望み、話す子ども個人が実在することも、私は学ぶべきとしている。

 

 書籍あたらしいふれあい2。縁組前提の里親のところで何年も暮らした子ども。その子どもを引き取りたいと、生みの親が来た話。引き取りたいならあなたが育てなさい、と語る里親。里親は施設へ返すのだけは、避けようとする。私は同感する。言いたくないが、施設は、家より、なんでも起こる。ここ一文は、消したいかも。家が難しい背景をもつとしても、家庭は一つのみの背景だ。施設は30人いれば30の難しい背景。50人いれば50の難しい背景だ。どうやって地雷を爆撃をよけよう? 家族なら数人からの危害を心配すればいいが、施設では数十人以上だ。

 

 司法福祉学研究の2010、確か248ページ。「実親が養育できないならば、子どもは親以外の身近な人のもとで育つことが望ましいという考え方がほぼ各国で根付いている。したがって親子分離を要する場合、FGCの実施と親族里親の模索がまず検討されている。」

 

 私は恥じ入りながら書いている。1度も盗まず、リンチせず、「真面目すぎ」と大人に言われ、内向きな私だけど、まっさらではいられない。里親やFGCや紹介したい様々なことを、さらっとうまく紹介できないジレンマ。 

 被害者が誰か、加害者が誰か、不明だった実状。

 そしてだから施設より育て親がいいと収束させる傾向が私にある事。一つずつ考えたい・・・

 

 入所して遭遇した事で、被害と加害を併せ持つ者になった。同時に、誰かから突撃を受け、誰かと取っ組み合ったのに、様々な事を目撃したのに、その子達が誰か、いちいち覚えていられない。それは被害の遭いやすさ、加害のしやすさに繋がる。

 

 共生と修復2の46ページ〜、共生と修復4の26ページ〜では、施設内の事ではないけど被害者加害者の双方が誰だかわかり、ここに書き表し難い、書き表わせないような、良き対話が行われているようだと読んできた。

 

 私が加害した子どもに謝罪したいと願った時、子どものあらゆる事を覚えていない、知らない事に気づいた。施設にいようがどこにいようが、取っ組み合った女の子には、産んでくれた親御さんがいたのだろうし・・・。でも私はといえば私本人にももちろん、そこの女の子、男の子、あらゆる子に、何があったか不明。

 これらが、施設より、実親のもと、あるいは里親のもとがいいのでは、と思う理由。

 今回は、施設より実親のもとがいいという場合について学ぼうとして、FGCについて書いた。

 

 

遠くからはるばる来てくれる里親さんのこと

  私は不道徳なところもあるけれど、いつでも、あの子ども達のことをちょっとだけでも考えていたい。
 北海道からも、大阪のほうへ、里親が決まらない子どものために大人がはるばる来るとのこと(ふれあい誌2017年3月。読み返し中)。
 自分のことのように嬉しい。
 あの子達は私・・・私はあの子達なのだから・・・そうでなくても、あの子ども1人へも心を向けられないのなら、私はどうやって自分を人だと言えるのか。
 私は嬉しがることもへただし、里親と子どもにつながりが持てるまでの戦いも楽な事とは考えていないけれど、小さな子に本当に必要なのは連続した人とのゆったりした日々の繰り返しだと思うので、その変わらない大人が、遠くからもはるばる来てくれることを、心から嬉しがりたい。(何月号か不明だけど同誌の裏ページに毎回、どこから里親候補が来るかやどこへ訪問へ行ったか等も書いてくれている。候補は、北海道からも、山形からも、神奈川からも、長野からも大阪へ来てくれる。私は、肯定的な意味で、胸がとても痛むようにおもう・・・本当の出来事、実際に起きている事だから、読むと嬉しくて胸が痛い。読み返す事が困難で、神社などで同誌の内容を思い返してた。)

葛藤と自尊心の無さについての内容

 子供たちの世話が人並みにできなかった事が本当に恥ずかしい。私は里親になりたいのでもなく、子ども達の世話をする大人や専門家になれそうなのでもなく、小さな子の代弁をしたいわけでもなかった。3、4人に1人が子どもだけの建物で暴力を振るわれると読んだことがある。私も逃げられなかった。私は盗みも、リンチもしたことがなかった。でもあの場所で即、被害と加害に応じ、生きていかなければならなかった。知らない人から受けた危害が、そこでは即、無自覚に小さな存在に向かうかもしれないものになった。

 家にいられない。そして小さな子に対処できないのなら、たとえ私がもう養子縁組をするには大きくなってしまっていても、里親のもとへうつしてほしかったと思う。同居人でいい。高校生ぐらいで、施設への宿泊をほぼ経由せずに里親のもとへ行けた子どもの実話を読んだことがある。私は、建物内での暴力も、この高校生の話も、本当かうまく認識できないところがある。

 

 すでに大きくなった私だけれど里親へうつしてほしい、と願う時に、避けて通れなくなってきた気持ちがある・・・。それは私が何か言うと小さい子が里親へ行くことの阻害になるのではという恐れ。

 書籍の心的外傷と回復で、戦場はもう嫌だし犯罪だと述べて抜け出した男性に関する実話があったと思う。すごいことだと思う。大きくなった私でも里親へ行かせてほしいとか、自分の抱える力が小さい子に向かう事を恐れるとか書く時に、この話を思い出す。小さい子が居続けるとしても私は抜け出したかった。でも自分のことはすごいなどとは思えない。

 

  大きくなってしまった私が施設から抜け出て里親へ行けても、あの場所に小さな子ども達は居続ける。それについてスポーンとぬけて思いやれない時もあるし、キツイ時は、本当にキツくなる。里親委託率が4、50%になるような県もあり、10%ちょいの県もあることが、本当なのか、実感を見失うことがある。誰にもかえりみられない小さな子は、いるのだ、と認識したいけれど、する力を私は失いがちというか。

 

 大きくなった私でも里親へ行きたかったとかつての願いを書く時、小さい子全てが里親へ行くのがまず第一なのだ、と思い自分の願いを遮る。乳幼児(や近い年齢の子ども)と、それ以上の年の私とはある程度(あるいは完全に)違いそうなのに、同じところで暮らしてしまうと、境界がなく、私は自分の理由から幼い子について書いてしまっている感じがする。それに、書籍養護児童の声では、里親などナンセンスで僕はずっと児童ホームへ居たい、と述べる子どもや、語り合いの機会があった事で十数人中、5人ほどが自ら里親を探して発見し里親のもとで暮らすようになったという内容がある。里親と合いにくく、しかし「次の里親を探してほしい」と言ったことで次の里親へ行った男の子の話(埼玉のほうの本)も読んだし、本当に人それぞれで・・・。

 

 なので、私は、ここでぐらい、私個人の言葉と想いを認識したい。だけど、私も里親へ行きたかったとか、あの建物が嫌だったし私は外で駆け回るのが好きだったから海浜留学里親/センターでも良かった、旅館の同居人みたいなのでも良かった、などと言うと、小さい子が里親へ行くのを阻害するのではと悩む、緊張する。ドイルが推理小説でホームズに、「この連れ子はかつて不慮の事故で不具になり、継母と父との間の健やかな赤ん坊を見て心をすり減らし、家にあった吹き矢の毒で赤ん坊を刺した、それを吸った継母を吸血鬼だと父のあなたは間違えたのです。連れ子は1年ほど海岸へ行かせてあげることですね、、」という内容を語らせてたけど、私もそういう風で良かった感じすらする。

 

 小さい子は特に里親が必要で、私は、大きくなっていたので、また違った内容でも良かった気もする。あるいは里親が必要な子には里親が必要で、私は単に本質は不登校系統の子どもだと最近気付いてきたので、私個人は、支配されない学校へ行ければ充分だったのではないかとも思う・・・。自分の感じ方を、つかんでみたい。書籍『この国の子ども達』で引用があり、日本の児童養護を研究したグッドマン教授が「不登校の子どもが施設入所を検討されるのはなぜなのか」も研究対象にしてたことが書かれてた。あの建物で私は「なんて真面目なの」と言われてたけど、小さい子達と一緒にちゃんと暮らせるとは、私は、思えなかった。

 回想すると、アウシュヴィッツで餓死監房送りとなった見ず知らずの男性の身代わりになりたいと言って了承され、最期までほかの囚人達をケアし、餓死監房で祈りを捧げていたマキシミリアノ神父と、小さな子どもが重なる。小さな子どもが、私の身代わりに施設、愛情の餓死監房に入っていたのだ、と。

 

20180112追記、(私が里親へ行ったら)

 私のせいで、ほかの子が里親へ行けなくなるのだと思う、と今日朝、やっとはじめて言葉になった。でも誰か子ども達にそういう思いはさせたくない。どんなジャッジも、評価も批判もせずに自己の内面を観照したいと思った。

 

 

『施設内虐待を防止するために』より抜粋

 施設内虐待について、できるだけ平常心で、起きたことを起きたとわかりたい。けれど、下記のビビーは驚かずに事実に対処できても、私は、驚きがち、起きていなかったと自分に言い聞かせがち。専門家の調査報告を拠りどころにだきしめて、枕もとに置いて安眠する。私には被害を実感・把握する個人の時間、加害を実感・把握する個人の時間、2つから脱出する個人の時間が必要だ。油断すると私は、子供の頃のあれらの出来事を、人生で一番素敵な時間だった、と考えようとする。こういう子どもを人間を2度とつくり出してはならないと思う。

 

施設内虐待を防止するために より抜粋

p11

1989年、ロンドンのブレント区社会福祉部部長代理であるピーター・ビビーは、彼自身のソーシャルワーク実務経験からすると、どの年を取っても、入所施設の75%で性的虐待事件が発生しているということを見出しても驚かないと主張している(ビビー、イートン編、1989)。

 

前述のように、施設内虐待が高い割合で起こっていることは、自分から訴え出たケアを受けている50人の若者のグループによって、ネイピックへ報告された(モス、1990)。グループの若者の65%が性的虐待を、75%が身体的虐待を訴えており、80%が拘束/謹慎処分が過剰または違法に使用されていると訴えている。

 

p12

リンドフライシュとラーブ(1984b)は、施設内虐待の発生頻度は家族内虐待の2倍であると結論づけている。(下線訳者)

 

ヌーノウとモッツ(1988)は、ある州では同州の精神保健諸施設にいる子ども100人当りの虐待通告率は州人口全体の虐待率の3倍である、と述べている。

 

パリー(1987、トーマス編1990)は、175人の児童ケアワーカーに対する非公式調査の結果2/3のワーカーが「仕事中」さまざまな機会に虐待とみなせる出来事を目撃したと答えていると、報告している。

 

グロウズは、総括すると(略)虐待の訴えは入所者100人中58.7人の割合で起こっており、入所者100人中8.5人の割合で虐待が確認されていると報告している。それゆえに、これらの数字は、虐待の訴え・虐待の確認のいずれにおいてもリンドフライシュとラーブが報告したものより高い比率を表している。

入浴場面での争いかはしゃぎあいについて

 お風呂で争いあったりはしゃぎあったりしていた、と回想するのが私の記憶の限界・・・入浴の場面をたびたび回想しようとして、争いだったのか、はしゃぎあいだったのか迷う。


 より小さい子は怯えていた生活だったとも思うけど、淡々とした日々な気もするし、証拠はない。

 大人女性が「やめなさい」と時々注意していた。単なる日常の場面もよくあるし、死角もいくらでもある。

 

 争いかはしゃぎあいがあったのは確か。よく憶えている。でも、5、6人が関わりあって、笑ったり、ちょっと叫んだり、くすぐってたり、掴んでたり、小突いたり、遊んだり、水をかけたりしてくるシーンを、苦痛に思っていたのは私だけかも。誰かに尋ねなかった。尋ねたいことが、たぶん多すぎた。


 「やめてよ!」と何度か言う女の子が、次の瞬間には笑って(怒って?)同じことを女の子に返している。端には黙々と洗っている子。湯船のお湯がかなりゆれて、はねてきたり、桶が転がったりする。転んで頭を打つのでは?という面でハラハラする私。


 5人ぐらい・・・。お湯に浸かっているその何人かの様子に戸惑いながら、早くあがりたいと私は体を洗う。私の左斜め後ろ。その中の年下の1人が、私にちょっかい(かSOS)を出してくるけれど、何事でもないかのように厳しく無視してしまって、私は慌てながら脱衣所へ戻る。単なる入浴でこうまでうろたえる自分が信じられない。

 

 これらまで物理的な争い、暴力と判断していたらきりがないけれど、えーと、私はこれらをむごく、嫌な状態と把握したいのだと思う。均衡が崩れれば、あるいは死角では、これ以上のことが子ども同士で起きると、そういう感じがあった。入浴(あるいは子ども同士の生活)については、そんなに苦悩する内容は無かったと以前は考えていた。意識を集中させて、憶えている映像をたぐり寄せる。もしこれらをむごく嫌な状態と実感できたらこれらの記憶にある程度は悩まされなくなるのだと思う。こんな程度のことをいちいちほじくり返して一体どうしたいのかと、つい悩む。それでもふっと記憶がやってくる。決して実態を把握しないようにしていた一つの場面に、長い時を経てやっと全神経を集中する。私はお風呂の事について、案外、状況判断できてない(したくない)のだと気づく。