あじさいと海の写真を現像しに行きたいです。

委託率が50%ほどになってる静岡県の市

 虐待、加害の連鎖については、2017年5月ごろにリアルノートにかなり書き殴ってる・・・あるページは、「喰い合い」と書いてる。虐待した・虐待していない、この感じが交互に来る。「頭の中で、体中で、警報が鳴っていた」、とたびたびノートに綴ってある。


 2017年5月30日のノートに、里親と子どもたちの世界の記録の書籍や、全てのそれらに関するサイトを見るのが、辛く苦痛だと書いてある。そしてかなり迂回してる。無関心になりたくない…

 私には施設で暮らす、4万人ぐらいのうちの、約半数ぐらいの、5才前後以下の子が、賽の河原にいさせられているかのように感じる。

 私も、賽の河原、あちら側を垣間見て、二度と戻れなくなるんじゃっていう激痛を感じる。そして私はあちら側の者ではないっていう、私の心の中の差別と闘わないといけなくなる。(わたしには耐え難い戦場を見て、逃げ帰り、わたしはとにもかくにも家に逃げ帰れたけど、そうじゃない本当にそれが不可能な子の事を、逃げ帰ったわたしがどう把握したらいいのか。)


 2017.6.9のノートより写し。
 何か書く時に、何かを非難せずに書けるのか、が私には重要だったみたい…。気を付けなきゃ。

 里親制度を語ると、施設に入りたい子どもを虐げてる気がしていた…。
でも最近は考えが変わるようになってきた。無くしてしまう前に書き留める。里親委託率が50%ほどになってる静岡県の市のことをおもうにつれて。

 きっと、里親制度が充実すれば、里親のところで一人ひとりの子どもに
目が届いて、施設は施設が必要な子どものみの入る所になっていくかもしれない。私のように、急激に引き離され、準備なく、より小さい子と暮らす重圧に負けて加害に至ってしまう子どもも減るかもしれない。長期入所する子どもが減るかもしれない。国会図書館で海浜留学里親を知った。私のような大都市でへとへとになった子どもにはこれは良かったかもしれない。

 委託率50%の日本の市があることで、色んな都道府県の大人達も、無理なく肩身狭くなく里親制度を発展可能かもしれないし。海浜留学里親をする大人が、里親制度とつながるかもしれない。国会図書館で読んだ資料にはその海浜留学里親と本来の里親制度の里親が明確にわけられていなくて、わたしはまだ把握しきれていないけど。里親制度が周知されたことで逆説的に、なんとか様々な支援を見つけて赤ちゃんが家庭にとどまれた件が増えた話も読んだ(たしか書籍「里親と子ども」、巻数忘れ)。津崎氏「この国の子どもたち」のイギリスのウォリクシャ県でもそういう文があったと思う。

 

 目の前の子の苦痛を取り除きたかった。自分が確かに相手に苦痛を与えた時もあったにもかかわらずそんなことを思っていた。大人になってしまったら、里親制度にくるまれることはできない。

 私は里親になろうとした事はなかったが、子どもの頃に実体験したかった気持ちを引きずるあまり、スムーズに結婚して里親の勉学がしやすくなるのなら、結婚したいと極端な思考をしたこともあった。対人があほですぐ断念したけど。元子どもの私がかつて、何を得たかったのか、なぜ被害に遭い加害をしたのかを知るために入っていける勉強場所は少ない。

 ウォリクシャ県の事を最近やっとのことで読んでる、この本は…こどものころにわたしが読みたくて、言ってほしかったことが書いてあるので。

何があったのか把握したい

 虐待、加害の連鎖については、2017年5月ごろにリアルノートにかなり書き殴ってる・・・あるページは、「喰い合い」と書いてる。虐待した・虐待していない、この感じが交互に来る。

(話せない事が2つほど。この2つがあって私は、)こどもが何をされててもしかたない、そこがそういう所なのは、ままあることだ、と思うようになっている。


 なんとか言えることは・・。私には、小さな子にも年上の子にも、ゆったりとした歳月をともに暮らす、その子どもだけの大人がいないのではないか、と把握したいのに、そうは考えにくくて、人の子として、私自身がその子ども達を思いやることができなくて涙が出る。


「頭の中で、体中で、警報が鳴っていた」、とたびたびノートに綴ってある。書いて、やっと思い出して気づいたような気がして、でもそれを以前も書いていた、というのがよくあるみたい。メモを短くまとめて何を繰り返し綴っているのか把握して、同じことを繰り返しノートに書かないようにしたい。

小さな子に私がなんのいたわりの心も無かったこと…

 虐待、加害の連鎖については、2017年5月ごろにリアルノートにかなり書き殴ってる・・・あるページは、「喰い合い」と書いてる。虐待した・虐待していない、この感じが交互に来る。

 わたしはほんとに、あのちいさなこどもに対して、何の慈しみの心もなかった・・・。とても恐ろしいことに、ちいさなこどもの様子をみていると、内心で警報が鳴り、ずっと放置している気分になった。

 

 わたしは、ちいさいころに、「あなたの心配している、あの何人かのこども。その子たちには、必要に応じ、短期でここを出られるよう、里親制度があり、あなたがたが互いに世話しなくてもよいよう、養育者が探されている」と大人から教えてもらいたかった。

 来る子のお世話を考え、無視するしかなかったのが、わたしには本当につらいことだった。こどものわたしが、別のこどもを世話するなどできない。

たぶん、被害と加害の境界線

 子どもだけがわらわらっと暮らす生活で、差し迫った感じでまとわりついて要望してくる子どもに、私はほかの年上の者や大人のほうへ行けばいいのにと漠然と思ってしまっていた。

 

 私は見たくなかった…研修を受けた者や里親でもないのに、沢山の子が、世話するかもしれないぐらい近くに居る事。時にはキャパを超えた要望をされる事…。必死に私は避けていた。

 今では、望む子(必要な子)はすべて、よき里親家庭、養育家庭へ迎えられてほしいと思うようになった。定期的にそれぞれ子どもの気持ちを聞いて、このような里親家庭、養育家庭がある、と行ける場所を示してほしかった。(この文章は、私にとって言ってはならない言葉になってしまっている。)

 

 私はいくつかの場面で、とても驚いて…うろたえた・・・年上の人にも年下の人にもかかわるゆとりはなかったけれど、特に年下の子どもが、追いかけてくると、パニック状態だった。とても苦悩する。来ないで、と思っていた。それだけでとても対応などできなかった。加害をしない戦いをし続けた、自分の魂を破壊させてもかまわない、すぐそばに住まう小さな子、弱い子にあらゆる危害を、暴力を、連鎖しないように律していた。

 ここはこういう子どものいていい世界ではないのでは、と漠然とショック状態だった。こういった言葉を言えるようになるまでかなり時間がかかった。

 

 たとえば私は居たくなかった、と告げるとほかの子ども達をないがしろにしている気持ちになる。ほかの子も望む子は全て、と言う時には、望まない子ども達をないがしろにしている気持ちになる。

 望む子は全て、と言う時、言葉が出ない幼い子どもを放置している感じになる。幼い子は全て、と言う時、年上の子ども達のことも深い気がかりになっている。すごく言い訳がましくなってしまう。
 私個人の場合は、入りたくなくて、昼食をはさんで長い時間、入りたくないと繰り返し述べてた。今の大人の状態でも、もし体が子どもになってもう一度入れられてしまったら、私は加害をするだろうという確信がある。それは絶望的なことで…
 だから、すごく利己的な気がするけど、入るかどうかの段階で、委託のないいくつかの里親家庭も示してほしかった。


 私は児童虐待犯だと書かなければ、秘密ごとを持っている気がしてしまう。(子どもの頃のどうしても隠したい事は、隠しても暴露してもならない葛藤がある事……被害認識も加害認識もない事、被害認識と加害認識ばかりな時間の事かも。)

 連鎖をしないように耐える戦いを子ども達はしていると思うから、(丸投げの意見だけど)何かのご縁で里親登録や研修をして下さってる方に、どうかあの子のような子どもを、迎えてほしいって思う。これからも少しずつ委託は増えていくと思うし…

 

 以前、これからもいろんなところへ出かけようね、人生を喜ばしいものにしよう、と委託の子へ語りかけている文も読んだ。私が自分を育てるにあたっても、心のかよう色んな里親家庭や養親家庭の話を読めたのはとても良かった。そのことが自分の人生をひたして、一生分、連鎖をしないよう果てない戦いを戦ったことが報われた気がする…

争いの記憶の洗い出し、2017年5月頃

 最近は、子どもの頃何があったのか本当に知りたいと思うようになった。いくつかの場面で、年下の子どもが繰り返し私にまとわりつく時があった。
 私はこの子どもだけの暮らしが嫌で、たぶん許容量を超えていたので、
それを自覚しないまま全ての子とかかわらないようにしていた。

 罪の償いはこの人生では不可能だと思い始めた。私は言い訳をしている、繰り返し、トイレやお風呂にまでまとわりついてきて、逃げても離してくれなかったと。私はトイレのドアを必死に閉めようとして取っ組み合った。その手の感触が残っているけれど、恐ろしいことに、取っ組み合いははっきり記憶していても、殴ったか蹴ったか、ドアがあたったか等回想しようとしてもそのつど違って、憶えていないっていう壁に突き当たってしまう。

 追いかけてくる年下の子どもから逃げ切れる時もあった。
 執拗だし、さらっとしていた。今も苦痛なのは、その子は別の子たちのほうへ向かい、激しい争いになったのを見た事。
 私はフォスターファミリーの制度は重要ってことに強く頷く。(2017.5.16のノート)

 2017年冬頃のノートには過去を回想してて、ある小学生の女の子が罰を受けていて宙に浮き、床に倒れて、叫び声がした、と書いてある…
 この場面は繰り返しノートに書いてあって、その都度、とても怖いとか、感情が湧かないとか、麻痺や、陶酔の感覚のことも、書かれてる。
 何があったのか知りたい。

(2017.6.28に読み返したら、全然実感がない。実感が持てない事は、たとえ、子ども達がなにかむごい目に遭っていたとしても、見つめることのできる状態じゃないんだと思う。)

捨てられた子どもと建物内で住むことは保護された子どもの心的外傷になると思う。

捨てられた子どもと建物内で住むことは保護された子どもの心的外傷になると思う。

 

たとえば4、5歳のころから何年も施設にいたとしたらわたしは、どうなるだろう、わたしはあの場所に一時期いただけで、幼子がそこに居続ける社会とはいったい何なのか、戸惑ってしまった。そこにいる5歳ぐらいの子、数歳の子、何年も居る子っていったいどうしてなのだろう。専門家の言葉の力が届いてない。

 

専門家は口々に、施設に長くいるほど、障害をもたらすと語っている。(これとは別に、児童間暴力も、傷ついた未成年が集まり寝泊りすればごく自然に起きるとされている)でもそんなことは、公然の秘密なのかもしれない。でもわたしが単にまだこわがっているだけかもしれない。


一時期しかいなかった子どもは、里親家庭、養育家庭を語りにくいかもしれないけど、誰でも里親家庭、養育家庭を応援していいと、考えていこうと思う。誰であれ、子どもだったのだ。一時期だけ居た者は、部外者ではあるけれど、もしも自分が長くそこにいたら、と考えてみて良いと思う。


もしも、自分が長くそこにいなければならなかったら、すぐにでもあたたかな家庭を教えてほしかった、と考えて良いと思う。言える子、言えた子に嫉妬心がある。

3、4歳の子は語れないだろうから、専門家の言葉をいつか引用してみたい。

 

わたしが3、4歳だったら(乳幼児だったら、そして何歳であっても)、早くあたたかな里親(養育家庭)、ただ一人の消えうせない大人に迎えてほしかった、そのように語る大人達に出逢いたかった。わたしは子どもっぽいため、もし神さまがゆるして下さるなら、一時期いただけの年上のわたしでも、里親さんにひきあわせてほしかった、里親さんの世界を学ばせてほしかった。その気持ちを、めげずにもち続けて書きたい。2016.12.17

里親さんを知りたかった子どものわたしについて

子どもの頃に里親さんを知りたかった・・・

 

 今も、里親に関する情報/サイトを見たいのに、そこは自分の行っていいところじゃないと思ってしまい何日も見られない時がある・・・。子どもの頃に感じた火あぶりを連想する。

「どうして子どものころに教えてくれなかったの?子どものころに分かりやすく教えてくれていたら、わたしは里親さんの講座へ行って、わたしの里親さん(短期でも)を探して下さい、と言ったのに。何度でも行ったのに。」

 たびたび、わたしの叫びの言葉は、色んな人を批判しているのではないかと感じてしまう、なんでだろう。。

 

 里親さんを応援してくれている色んな人だっているのだ。もう、火あぶりなど連想しなくていい、自由に文章を書いていいのだ。わたしの言葉は、わたしの心、わたしの想い、わたしの祈りだ。

 火あぶりを連想してしまうより、色んな人の祈りをもっと感じとろうと決意。実質、火あぶりの連想と人の祈りを感じる真剣な時間の、どちらに真実重きを置いているかと内面を調べると、わたしは自分の浅はかさを見つける。

 どこにいても人を批判せずに里親さんを応援する方法が、もっときっと沢山、豊かにあるに違いない。そのフィーリングに包まれようとおもう。わたしは、まだ、もういまは不要な怯えの中にいる。

 

どうぞ里親さんのサイトへ行ってみてください。
里親さんの活動について、お知り合いの方と話してみてください。